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母には作れないオフクロの味

私の母は、私にとってのオフクロの味を作れない。
悲しくてもそれは現実で、その現実を私は生きていかなきゃいけない。

母の記憶

私の母は料理が嫌いな人だった。というより、なんでもかんでも何かすることが嫌いだったのだと思う。

私がいちばんよく覚えている母は、テレビに齧りつく後ろ姿だ。ダイニングテーブルに肘をついて、座面が回転する椅子に斜めに腰掛けて、近距離でテレビを見ていた。その大きく丸まった背中は今でも目に焼き付いている。

小学校から帰ったあと、土曜朝のアニメを見終わったあと、夏休みのお昼前、母はずっとテレビを見ていた。
幼い私は毎日ずっとテレビの前にいてつまらなくないのか疑問だったし、母の背中の丸まりが(当時はこの言葉を知らなかったので今考えれば)あまりに怠惰で、張りのある肥満だから贅肉がダルダルはしていないのに、すごく醜く見えた。

夏休みの素麺

土曜日や夏休みのお昼は憂鬱だった。
あんまり学校が好きなタイプではなかったので、休みが好きな子供ではあった。夏休みだって外に遊びに行くのは片手で数えるほどだったし、家の畳でゴロゴロしながら本を読む時間はとっても幸せだった。

でも、お昼ご飯は憂鬱なのだ。

例えば素麺。
たぶん、スーパーでいちばん安いメーカーのものだ。それはいい。
麺つゆも家にあるものだ。それも別にいい。
人数分の茹でた素麺を大きなガラスの器に盛り付けて、小さなガラスの器に麺つゆを注いでそれぞれ取っていく。これだけは美しいことだろう。

しかし、素麺と麺つゆ以外、何もないのだ。
子供だからというのもあっただろうが、薬味のネギもない。素麺に薬味を入れる文化は一人暮らしを始めてから知った。
それを少なく見積もっても週3回、おそらく週5回は夏休み中続いた。
私は当時から食べ物の味に拘りがちだったので、すぐに飽き飽きしてしまっていた。

たぶん、金銭的にあまり余裕がなかったのが大きかったのだろうとは思う。
でも、素麺だけだと飽きるから具を何か入れてと言っても、入れてくれたことはなかった。

当時の私は、冷凍食品やカップ麺がうれしかったぐらいだ。忌憚なく言えば、そちらの方がおいしかったから。

焼きそば

素麺と似た象徴で、一年中出てきたのが焼きそばだ。
うまく作れなかったのだろう。麺がべちゃっとしていて、キャベツは大きすぎて少し固くて、豚肉はバラけずに塊になっていた。

焼きそば自体に問題はなかったと思う。当時手伝いで混ぜ入れた銀色の袋に粉が入った焼きそばを、一人暮らしした私はおいしく作ることができる。
同じ焼きそばをよくあそこまでにできたなと、逆にちょっと感心してしまう。

私の話

「料理が苦手」だと思ってた

そんなに文句をいうなら自分で作ったらいいだろうと言われそうだが、言い訳をさせて欲しい。
母は私が台所に入るのを割と嫌がったのだ。
私がというより、弟に対しても同じようだったので、他の人間に入って欲しくなかったのだと思う。
父は入っていたが、母は父にきちんと逆らえなかったので除外する。

だから私は一人暮らしをするまで、ろくに料理をしてこなかった。
調理実習でも洗い物ばかりを買って出ていた。
ずっと料理が苦手だと思っていたし、嫌いだと思っていた。
でも、そうじゃなかったらしい。

一人暮らしを始めて

一人暮らしを始めた頃、自分の自炊頻度に驚いた。
確か引越しが落ち着いて最初にモツ煮込みを作り、案外おいしくできたのがはじまりだ。
SNSでのレシピ投稿をチェックするようになり、そのうちの簡単な炒め物から始め、揚げ物に手を出し、やっぱり煮込み料理が楽しいことにも気付く。
キーマカレーに野菜の素揚げを添えたときは、おいしかったのはもちろん、自己肯定感がすごく高くなった。

そこからお菓子作りにも手を出していく。
最初は小さなコップに砕いたクッキーを入れ、水切りヨーグルトを上に乗せたなんちゃってスイーツだ。
でも、それだけでも充分においしかった。お店のケーキじゃ食べられない味だったし、何より自分で自分を大切にしてあげられた気がした。

母への感情

好きじゃない料理を出してきた母を恨んでいるのかと言われたら、ちょっと答えが難しい。

まったく恨んでないと言えば嘘になる。
素麺や焼きそばは当時の私にとって「とりあえずの投げやり」の象徴だった。それに他の料理上手な人が母だったらと思ったことももちろんある。

でも、母はたぶん、何かをするのが本当に苦手だったのだ。
中学を卒業してからしっかりと働く前に年の離れた父と結婚、その後ずっと専業主婦だった。
簡単な計算もできないし、読み書きだって小3の私の方ができた。
母はそういうことが苦手だったし、だから結果として怠惰になったのだと思う。
仕方なかったのだ。

だからといって、母をまるきり許すことはできない。
私は、そのときだけでもいいから素麺に大葉だけでも足して欲しかったし、焼きそばがどうしておいしくないのか考えて欲しかった。
母に大切に扱われたかった。
叶わなかったことだけれど。

私にとって母は「苦手な人」なのだと思う。
大切にして欲しかったけれど、私視点ではそうしてくれなかった。
母と過ごすとリアルに体調が悪くなってしまうので、交渉は絶ってしまった。
だから「苦手な人」という印象が褪せることはあっても、他の何かに変わることはもうないのだろう。

私のオフクロの味

あれから一人暮らしは続いて、基本的に自炊で過ごしている。
たまに忙しくて外食やコンビニが続くこともあるが、そんなときに恋しいのは自分の手料理だ。
きちんとレシピがあるわけじゃないが、なんとなく感覚でテキトーに作るような料理も増えてきた。
少し前から計量しないで目分量で味付けしている。

私のオフクロの味は、私の手料理の味だ。

この間、一人暮らしをして初めて焼きそばを作った。
それは記憶のものよりずっとおいしくて、そうやって少しずつ、私は過去の悲しみを埋めていく。

私は自分で自分を大切に扱って、生きていこうと思う。

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