瞑らずにひん剥ける私で
✳︎深夜録音で小声です
父が私に怒っているらしい。心当たりはある。
それは先日、55歳の母がパート先を変えようとタウンワークをめくっていた時のこと。
「お母さん、子供のお世話できるかな?」
「お母さん、営業できるかな?」
イキイキと質問してくる母に、きっとできるよ、と返し続けていた。そこに父が現れて、こう言ったのだ。
「この歳で新しい仕事なんて見つかるわけない。探せるもんなら探してみなさい。」
母の心が小さくしぼんでいくのがよく見えた。だから、すごく迷ったが私は父に言ったのだ。
「どうしてチャレンジする人を馬鹿にするん?それは足を引っ張るだけの発言だよ。」
父は、「だってもうこんな歳だし」などもごもご言いながら自室に戻っていったのだが、どうやらこのことを根に持っているらしい。
正々堂々私に言いに来ないで、母に陰口を言うあたりが父らしいなと思う。
そして、私は深く傷ついた。それは、父が私に怒っているからではない。オブラートに包んだ発言をできなかった自分が情けなかったからだ。そして何より、当たり前を当たり前に理解しない人物が自分の父だという事実が、悲しかったからだ。
これはかなり、心に重くのしかかった。だって、こんな人を小馬鹿にするような奴、本来だったら大嫌いだ。そんな奴が、私の父…。
そう、「父だから」だ。「父だから」なんとかオブラートに包めないかと、考えた。傷つけずに伝える方法はないのかと、考えたのだ。
「父だから」嫌な奴だけど目を瞑っている。そんなことが、ここ数日山のようにあった。
「目を瞑ってるから」じゃん!!!
唐突に気がついた。最近の私は、ちょっとした幸せに優しさにも、気づきにくくなっていた。
清潔で広いジムで走れることや、レジのおばちゃんが優しいこと、交通整理のおじちゃんがキビキビ案内してくれること。
本当はたくさんあった嬉しい出来事を、見落としまくっていたのだ。
それは、「目を瞑っているから」だった。身内だからと、嫌な部分に目を瞑る。すると、次第に自分の本音の目は開かなくなっていく。
目を瞑っていてはだめだ。しっかり見よう。汚かろうが、醜かろうが、この目にしっかり焼き付けよう。
嫌なものは嫌、それでいいじゃないか。
父よ、今回のあなたのこと、私は嫌いだ。あなたの醜さが凝縮された出来事だった。だから私は、今、あなたが嫌いだ。
でも、それは「これからも」ではない。あくまで今回のあなたが嫌いなだけだ。
家族だから、親だから、いつも思いやって尊敬して好きでいなきゃなんて法律はない!
嫌いな時は嫌い、好きな時は好き。
自分の心に素直にいなきゃ、自分で自分を殺してしまう。
目ん玉ひん剥いて、ありのままを見ていくのだ。