感情は結果論
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どんなにおかしなことを言われても、理不尽なことをされても、どうにか理解できないかと模索し続ける。
「どうしてこんなことするのかな」
「何かきっと意味があるはず」
「私が悪かったかも」
毒親と住んだことのある人は心当たりがあるのではないだろうか。私はこれまで親を恨みながらも、なんとか好きになろうと努力してきた。今もしている。
「一気に理解しようとしすぎて、疲れちゃわないように」
友達にラインで言われた言葉が、じわじわ染み込んでくる。
理解することは悪くはないし、努力はどんな結末になろうと私の自信になると思う。でもそれは、自分をしっかり持った上での話だ。
好きにならねば、わかり合わねば。
そんな強迫観念に囚われた理解は、本当の理解じゃない。
理解は馴れ合いじゃない、自立だ。1人対1人でしっかり相手を見た上で、好きか嫌いか決めるのは自分自身だ。
好きになるために理解するんじゃない。
理解してから、好きか嫌いか選べばいいんだ。どう思うかは、私の自由だ。嫌いになるにも、結構覚悟がいるんだから。