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れる・られる、せる・させる
受け入れられる。
受け入れさせる。
こういう語尾の活用は、一歩間違うと強要という、ね。
印象強くなると思います。
まぁ、あれですよ。
ここ数年の自由だ、権利だ、平等だはもう、ね?
せる、させる、という強要になってないかなぁ、と。
細かいかも知んないけど・・・
快不快としての細かさではなく、日本語の扱い方、表現方法のおかしさとして、個人として突くこと多いです。
こういう部分も、あっという間に、バチっと来て気づくんですよ。
なので、自分から進んで「自分は厄介な人」とも、言うんですね。
そして、相談上手と言われるうえでも、言葉としての表現、その些細な部分に気づける、感じ取れるしからこその、相談上手、という部分もあります。
声で聞くだけでなく、言葉の使い方だったりにも、ね。
そういうのあるんですよ。
とはいえ、「相談」上手なので、相談としての大きな流れ、外側の括りになる部分もあるからこそ、為せるんですけどね。
その、ね?権利はいいんですよ。
でも、権利も平等だし、訴えてる人だけが使えるものでもなく。
LGBTQ、トランスジェンダー、MtF、なんかも、ね。
認知されだして人が増えだしてから、おかしくなったというか。
「こういう人達がいると知ってもらう」のではなく、自分にあてて「個人の表現、ステータスのように扱う」が増えてしまい、当初の目的の認知や理解も歪んだと思います。
いくらそこが同じであっても、ソレ以外は違ってるのが人間なので、ね。
「こういう事やってる人が居る!」
「は?だから何?」
パーソナルな部分に突っ込むような真似を迂闊にやると、人って嫌がるんですよ、ね。
でも、これ、うっかりやる人が多いんですよ。
「知ったつもり、わかったつもり」になってるだけ、なんですね。目に見えてる部分、接してる時の個人が全てではないというのに。
彼を知り己を知れば百戦殆うからず・・・。
自由も、権利も、平等も
法治国家というだけでなく、法で保証されてますよ。
別の法による設定、そこに触れない限り、程度を超えなければ犯罪にもなりはしない。
うん。
あとは、自分の頑張り次第、なんですよ。
そう、頑張って認められれば良いんですよ。そうすれば受け入れられる。
でも、頑張りたくない、楽をしたいから、声高に訴える。そうして、それを受け入れさせようとする。
れる・られる、せる・させる。
今どきの自由とか、言論の自由もそんな感じだと思います。
他者や相手に対しての配慮ができない、出来てない。だからこそ、反論される。
それ以上に、言論の自由があるからこそ、反論するのも自由、です。
更には、反論する、されるも自由の上ですが、反論する側もしたところで打ち返される、それも自由、と。
ぶっちゃけ、言論とか、言葉で戦うようなもんだから、言葉を上手く扱えないと負けるんですよ。
そういうものなのに、こう、ね。
意見が食い違ったり、反論されたりすると、言論弾圧だ!とかも、ホントもう・・・って思います。
言論弾圧、で検索すると、
ちなみに、言論に限らず、権力が抑え込みに来る諸々を、弾圧、と。
言論だろうがなんだろうが、抑え込まれたなら弾圧、よ?(´・ω・`)
とはいえ、権力による強制力が伴うと、ですけどね。
それ以外だったら、上手く言い返せず、言い負けただけであって。
その負けを認めたくないから、相手が悪に見えるように、と狙っての「言論弾圧だ!」では?
ホントこう、日本語って、国語とか現国とかあるし、言葉にも成績付くくらいだから勉強できてないと、大変ですよっと。
ネットとはいえ、公共の場
PCやスマホを通してて、外出してないから、ではなく。
情報や言葉が飛び交う場に、踏み出してるんですよ。
最近だと、VRでキャラやアバター作って触れ合うとか、できますけどね。
そうあらなくても、否応なしに他者と触れ合う、公に開かれた共用の場、です。
だからこう、ネチケットだ、ネットマナーだ、リテラシーだ、と。そういう、配慮に対しての言葉が出てくる事もある。
匿名だからとか、個人の自由だからとか、ね?
匿名でも何かあれば情報開示されて、個人が特定されます。
自由とはいえ、それは自分が管理してる場に限るし、そもそも個人の自由なんだから個人にしか及ばないって・・・。
自分も自由なら、相手も自由だし、何かしら意見が食い違うなら、話し合ってすり合わせようとしなければダメであって。
電車の中で、個人の自由の元に騒いでたら、叱られた・・・、クソが!と変わんないです。
個人としても、実生活ですら、言語化という部分で相手をのしてしまうことで、
「自由に物が言えなくなる」
とか言われますけど、ね?
「自由に言っていいけど、それに対して不快だと感じたから、こっちだって自由を行使して異を唱えてるだけ」
って返すだけなんですよ。
自由も良いけど、自由だって過ぎれば、お互いの自由を賭けた戦争になるんですよ。
ただ、個人ベースだと、言葉と感情のぶつかり合いで収まるだけ、です。
うん。
自由とは何ぞや?
少しばかり、考えないとイケナイのでは?と思います。
言葉というか、単語レベルでも、スラングや造語なのか、もともとある言葉なのかの境界が曖昧になりすぎてる。
言葉や、その意味を知らないまま振り回してるばかりだと、そりゃ、ね?
足元すくわれて当たり前。
面倒だからとか、出来ないからとか。
出来る側からすれば、まず出来るようになる、ネットに触れる前に必要じゃない?
学校で国語とかあるし、成績も出てくるし。
うん。
自由の名のもとに、勉強とかwwwって手を抜いてて、そういう状態になるようなら、ホントね?
それはもう、ワガママでしょ?自由ではなくて。
と、思います、よ?
あとがき
いや、ホントこう、ね。
自由って、もう普段の生活ができてる時点で、保証されてるんですよ。
言論も表現も、自由は良いけど、他者の気分を害するようだと、いくら自由を謳っても反論されますって。
大小問わず、様々、ね。
煽り運転なんかも、感情的という部分はあるけど、そういう自由に伴っての他者への嫌がらせ。でも、度が過ぎてしまうし、大事故も起こすような状態になったので、厳罰化された、と。
飲酒運転もそうです。
捕まらなければ良い、にしてたら、とんでもない大事故が相次ぐので厳罰化された、と。
自由は良いけど、捕まらないからって、自由を謳歌してたら大惨事。
笑えないんですよ。
だからこそ、自由には対義語はない。でも、責任という形で問われるから、「自由の反対は責任」と言われたりするんですね。
自由=自分の取った行動、言動なので、尻拭いや火消しは自分で出来なきゃいけない。
それが嫌だから、楽をしたいから、もっと自由を認めろ!とか、アホちゃいます?です。
その結果が、煽り運転だ、飲酒運転だの大事故だっつーの。
自分の自由は問題はない!
だから、それが捕まらなければ問題ない、と同じだっつ―の。
そうこうしてたら、結局、ね。
侮辱罪厳罰化、と。
まぁ、自由に関しては自分も跳ね返りそうですが、跳ね返してくれたほうが良いです。
それなら意見を出し合えばいいだけであって。
ただ、感情的になってたり、思い込みが強かったりするだけでも、言葉って打ち返せるものなので。
それこそ、彼を知り己を知れば百戦殆うからず。相手の出方を伺いながらやればいいだけ、なんですよ。
でも、そういうのをすっ飛ばして。
自分の意見を飲ませよう、認めさせようという、せる・させる系の人って凄く増えてると思います。
リテラシー=読解記述力以前に、「相手は何を言おうとして、そういう事を書いてるのか?」という、ね。
一歩立ち止まって考える事すら出来ないようだと、コミュニケーションってまずうまくいかないんですよ。
よくある、ネットで叫ばれる自由って、そういう、コミュニケーションという部分での能力不足が発生してるのでは?とも思います。
ほんとこう、ね。
不得手を受け入れるのは難しさもありますが、それを受け入れずに配慮を要求するばかりだと、ラインを超えれば侵害だと思います。
要求される側は、我慢とかストレスもありますので。
流石に、度を超えてしまえば。
かならずどこかで、仕返しがあるというか、因果応報すると思います。
ということで。