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私にとっての感受性のお話

感受性、と一言で言っても結局は個人差があって。単純な感じ方や感じるモノの違いだけでなく、感じ方の度合いみたいなのもあると思います。

そして、感じ方の「度合い」ですから、これまた感じ取れる、感じ取れないという差も。こういうのって運動能力でいう足の早い、遅いみたいなのと同じ感じで、得手不得手という物だけでなく、突っ込んで知ろうとすれば学術的な話になることも。

更に個人的には、周囲に何かしら言われて、自身を掘り下げたら、「こういう部分があるから無意識に」という感じで動くこともよくあります。正直、掘り下げれば自分でも把握できるけど、言われて掘り下げないと気づけないレベルでの無意識なので、そこに感じ方の違う側から、よくも悪くも言わてもどうしよもない、ってね。

ということで、そんな私の感受性のお話。

あくまで、こういう風に感じるから、こう受け止めてるだけですよ、という感じなので、正しいそうじゃないみたいなのは外して、気楽にどうぞ。

「ありえない」って、そんな……

よくあるのが、これですよ、これ。

何でこうなるか?というと、私の感じ方について「おかしいって言われただけでなく理由を聞かれたから答えた」という状況で、相手がおかしいって感じるくらいなのに、自分尺度での正しい、誤りに固執してるから。

これね、すごく面倒なんですよ。

多様性と言われる時代になっても、幼少期からかわんねー、いつまで立っても進歩しやしねー、っていうのはこの辺に理由の一つがあったりします。

これ書いてる今も、所謂頭痛が発生していて痛みがあるのですが、もともと頭痛持ちな体質もあって、痛みを発してる位置や、痛みの発し方受け取り方、痛みの種類(ズキズキとか、キリキリとか)の違いetc、細かい部分まで結構把握してるんですね。

意識しなくても、どんな頭痛が今自分の頭で発生してるのか?という事をさらっと把握して口にしたりするんですよ。まぁ、「どんな痛み?」って聞かれない限り、答えたりはしませんけどね。

まぁ、こういう痛みに限らず、とにかく色んな要素を感じ取りやすい方なので、結構周囲と色々あったりします。

正直ね、気になったから聞いただけとかもわからなくないんだけど、その上で答えたことに、○○過ぎるってだけじゃなく、ありえないとか、自分はそうならないとか、そんなはずはないとか……

私の感じ方について話してたのに、相手としての善悪とか正誤が絡んで、妙なことになるんですよ、トホホ。

聞いたり、言ったりしたのも、特に意味はなく「言いたかったから言っただけ」とかそんな話ばかりで、私についての話なのに、私のことが入ってないんですよね。

あと、更に面倒なのが、精神科通院であるあるの話なのですが、特に聞き返したり掘り下げたりすることもなく、即座に気にしすぎ、思い込み、勘違いという言葉を使われて、自分で把握してる事だから「違いますよ」って答えるんですけどね。

そこで、「いや、気にしすぎ、勘違い、思い込みだと思いますよ」ってね。

うん。ごめんなさい。

一体、何を聞いて、何でそんな問い返しして、最終的にそちらの言い分にしようとしてるのか?がわからなくなりますよ、って感じで。

この辺、相手が医師だからと言うことで、相談も出来ないんですよ。医師=医科大出てるという肩書=お前の負けって話にしかならなくて。

こういうね。私達と違うから、みたいな否定ってずっと続いてるし、幼少期の私に対して周囲の大人がうまく対処出来ず、善悪にすりかえて怒りどころか恫喝で抑え込んできた、という経験も話してて。

こういうのも、「過去を引きずりすぎ」みたいに言われますけど、引きずってるんじゃなくて、そういう掘り下げないまま向けられた言葉で、フラッシュバックするかのように思い出されるから苦しくなるし、言及してるんですよ。

ほんとね。

そりゃ、薬だけじゃ改善しないですよ、もう。

これを言うと、医師も人だし完璧じゃないから、というのもよく聞きますが。

肩書で、お前の負けとか、お前が間違ってるの根本が即座に崩れたじゃん、みたいなね。

また、精神や心理ってどうしても学術的に表しても難しい部分があるからか、診断基準の改定もあって中身が変わってたりするんですけどね。

日本でのうつ病ブームだった頃はDSM-4で、今はDSM-5のようですが、4の頃には誤診云々も多く見受けられたという事から、うつ病については結構見直しもされたようで。

で、この話も私が知り得た部分が正しいという話ではなく結局こういう部分でも絶対がないから見直されるという現実があるのに、聞かれたから答えたという内容にはね、なんかこう正しいとか誤りとかそういう所までいかない、そんなつもりはないとはいえ、そちらに傾いてるから現実問題としての訴えに対し、現実的な処理、処置ができてないのでは?

っていう、感じなのですよ。

なんかこう、精神とか心理とかの部分に、やっぱりかと言わんばかりに感情が絡んでしまうっていう感じです。

という感じでね、感受性が高いっていうだけでも、結構面倒抱えてるし、もう40年間何がどうあろうがこういう感じだし、で疲れが出てきてるよなぁって状態になってたりもします。

現実を見る、ということ

まぁ、そういう感受性がある故の一面を書いてみましたが、こういうね。

現実を見ましょう、とかもよく言われます。

はて?なぜこんな話になるのかしら?と、私には疑問しか浮かばず、というわけでもなくて、声の調子とか語感とか、言い回しとか、言葉に関する部分や、表情や雰囲気という人がまとう部分で、やっぱり二元に偏ってるよなぁというのも多かったりします

これは、家族や友人知人とかからも言われるんですけどね。

まぁ、そうは言われても現実見てないわけでもないし、寧ろ嫌でも感じ取る=嫌でも伝わる、相手の何かしらが入ってくる、そういうのを感受性としての一側面で持ってるので、寧ろ出さずに黙ってるほうが多くこの際物凄く感情や善悪等の二元に対して、コントロールもかけてたりします

そして、別視点で言わせてもらえば、○○過ぎっていうのも、こういう部分からの発生というのがあって、これは相手のためを思ってではなく、何がどうあろうが人間が面倒くさいので、防衛行動なんですよ、防衛。前にもちらっと書きましたけど。

そうはいっても、こういう部分でも絶対とか完璧とか無理なので、状況によっては相手を刺激しないために、その場では言い分を飲むという判断と行動もとります。こういうのも、ストレスなんですけどね。

とはいえなー、そういう事しないと水掛け論から、感情のぶつかり合いになったりするだけで、私には完全にデメリットしかなくて。

より自身のダメージを減らすには?を、話しながら掘り下げたり、そうであっても意識的、無意識に相手を観察、把握しようとしったりするんですね。

なので、どっちかっていうと、現実見てないのはどっち?って言い返していいくらいだと思います

これまた面倒なことになるから、もうもうもーう!!って感じで。

実際問題として、HSPが話題になったのは、こういう感受性が持つものと、そういうのが高い人と向き合う難しさ、そういうのを知ってほしいって気持ちは強いんですよ。

そうじゃないと、本人だけでなく周囲にもデメリットで。お互い言いたいことが伝わらないって感じになって辛いですしね。

ただ、こういう伝える伝わらないが100%は無理、とかも言われますけど、言葉にして説明してるのに受け取ってない、受け取ろうとしてない、そもそもがそういう人達がいるというのも、あまり知られてないと思うし、本当に高い人って隠すのうまいんですよ。

母が亡くなり際に後悔したのも、ある意味私のせいであって、感動的な話でもなかったりします。だってもう、幼稚園年長の頃にで既に「母は普段見てくれてるし優しいけど、やっぱり敵」みたいに、捉えるようになってしまったので、自然と感じ取る=自然と隠すっていうのを、無意識とはいえ私自身がやってのけたという、見方もできるんですね。

なので、現実問題として

・母は気づいてたけど、言葉を覚え使い出したことで油断をしてしまった

・私も私で生きるために必死とはいえ、私の本音を隠し続けてきた

これだけとも思いませんし、言い切ることもしません。ですが、こういう部分があったからこそのスレ違いで、結果として物心ついた頃からの「対人でのこじらせっぽい何か」の正体がこれだったんだなぁという感じで。

こうやって、色々あった、未だにあり続ける部分で、何が正しいとかじゃなく、現実としてこういう部分があった、母についてはあくまで予測だけど、油断したせいで云々の所から母についてもほぼほぼ当たってるでしょう。

こういうね、苦手意識があるというのが根本にあっても、必要以上に善悪に偏らないこと、そして偏らないにも偏らないこと、とかそういう部分も掘り下げて色々見てたり、考えたりするだけでなく、今は失われつつあるように感じる「想像力」も総動員して、「現実」を見るようになってますし、また見るように意識もしてます。

100%無理というのは、そう言い切って済ませるではなく、100%無理なのは何故か?相手が、自分が正しいとかではなく、どういうことなのか?他色々諸々、ね。

めっちゃ現実を直視してるし、人によっては直視しすぎ=だから精神病んだと受け取る人も居るかもしれません。

というのが、色々感じてしまうからこその、個人的な言い分として落ち着くところです。

私にとっての感受性とは?

とにかく、何かを意識しようが無意識だろうか感じ取ってる

とにかく、気がついたら自分の中に入ってきて処理してる

こんな感じです。

あとは、感じるだけでなく、「受という1文字が入ってるから」というのも、こういう文章を書いてるからこそ気付けるのですが、受け取るとか伝わってくるとか、そういう言葉で表現することもあります

周囲に指摘されて、え?ってなることも多いですし、否定されることも多いけど、それなりに驚かれたり、感心されたりということも実は多かったりします。

良くも悪くも、幼い頃にネガティブを受けすぎてネガティブに敏感になってるというのもあるのですが、ポジティブな部分って、今のHSPブームのようにそこだけしか見ない、そこだけ受け取る、そこだけ使うという現象の発生要因だ、というのも目にする、感じる、掘り下げるという、色々を総動員して、こういう可能性もあるから、ポジティブは出さない、という側面もあります。

言葉に乗るのは悪くはないです。

ただただ、私の言い分としてはそれはさせませんよ、っていう牽制とか自己防衛とかそんな意味合いもあって、キツイこと言ってたりもします。

また、自分だけに当てはめて使うならまだしもソレをもとに拡散とか、寧ろ本当に高い人には迷惑にしかならないんですよ。

良くも悪くも、人の常識とか普通とかの外に出てしまってるのが生まれつきで、ソレ故に辛い思いしてきましたし。

たまに話しますが、就労継続支援のサービスが付いてるのですが、たまたま聞いた私以外に担当してる人とのやり取りをきいて、そこから「その人は多分こうだと思うので、こういう対処とか配慮してみたらどうですか?」って提案してみたら、当たってたということもあります。

相談上手というのも、相談してきた本人だけでなく、話に出てくる家族や友人、職場の人などについても同様で、「話してない部分までよく分かるよね?」とか結構驚かれたりするんですね。

こういう部分も感受性が関わってきてたりします。単純な予測、推測というだけでなく、実際話しながらでも相手の相談内容の状況が、頭に映像イメージで浮かんでることも多いので、そういう部分からも掴んでたりします。

こういう、話してるだけでも伝わってくるのもあるし、それ故にいろんな状況も思い浮かぶんですよ。

そもそも、人間誰しも持ってるものですし、感じる、知覚するというのは誰でも普通にある部分なのですが、なんでかこう良いも悪いもをもたらしてくれるもの

その正体の一つが感受性というところです。

簡単な言葉はやめて

ほんと、マジこれなんですよ。

わかりやすい言葉で伝える、受け取るのは良いのですが、それを簡単な言葉で十把一絡げにするのは、手にすくった水が溢れるのと同じです。どうしても、そこからこぼれ落ちますし、そこに何がどうあるか?という部分に関心が持たれなくなります。この溢れた水の方は、言い方が悪いかもしれませんが、見捨てられる、捨て置かれるのが現実で、そこに実はもっとすごい人や物が、居たあったということも

私も、性別についていえば当事者ですが、LGBTの扱い方も、HSPと同じく疑問に思ってます。

LGBTって言っても、頭文字をつなげ合わせたもので、その中には色んな人がいるんですね。

私自身、その中のT、トランスジェンダーになるわけですが、その詳細も色々あるだけでなく、変化が発生してるので常にアップデートした方が良いという側面があったりします。

そもそも、言葉だって言葉の意味だけでなくなぜそんな言葉がうまれたのか?という原因や要因みたいなものもありますし、5W1Hが当てはまらなくもないんですね。

わかりやすく伝えるのは構わないです。

ですが、そこだけで終わらせると、本当に無責任で自分が出したもので人が傷つけ合うみたいなことにもなります。

こういうのを、知らんがな、で済まされるのが当たり前な世の中なので、変なブームばかりが流行って本質が捨て置かれてしまうというのは、嫌というほど見てきてますし、オタクにしろ、性別にしろ、散々バカにしたり、見下したり、キモイ扱いしてきたのに、時代が変わって手のひらひっくり返してるというのは、なんだかなぁだったりもします。

それに、HSPであるあるな言葉は、

・敏感=鈍感

・繊細=図太い、無神経などなど

・生きづらい=同じじゃない人は感じてないのか?

という、対義語やら自分と違う側の事は、見てなくない?って感じで、そこから本当に「感受性が高いんですか?」っていうね。

ブーメランがザックリにもなるんですよ。

こうなると、せっかく安心できる言葉、メンタルの安定が取れたというのも、周囲からの指摘があったとはいえ、目の前の良さばかり見てて本質を追わなかった自身の浅はかさが原因で崩されるということにもなるんですよ。

なので、繊細さんとかは、状況が変われば無神経極まりないな、とか言われかねないですし、それで自身も傷つきかねないですから、止めたほうが良いと思いますよ、という感じです。

まとめ

なんか長くなってしまいましたが、こんな感じって所で、一旦落ち着けましょう。というか、一旦落ち着けとかないと、どこまで書くかわからないし。

最初にも書きましたが、これで正しいとかそういう話ではなく、あくまで私がもってる感受性と、それによる色々から自分なりの解釈を述べただけというものでもあります。

何をどうかこうが、どれだけ感じ取ったものから可能性を追おうが、必ず拾いきれてない何かってあるんですよね。

この内容が刺さったというのであれば、同じ意見を持つ人に問うのではなく、自身で調べるなり、自身の記憶や経験を辿ってみるないして、「掘り下げたがゆえに、自分のものになった言葉」くらいまで掘り下げてみると、色々見えてくると思うし、自身の経験値になるとも思います。

なので、気になるようなら、色々掘り下げるのは本当にオススメです。そして、そこには正誤や善悪という二元の価値観は置かないこともオススメしておきます。

それではー。

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