大学生活を「遊び」で終わらせること

大学生を経験した人は、一度は先輩から聞いたことがあるであろう「大学生は遊んだ方がいいよ」とか、「大学生活は人生の夏休み。思いっきり遊んどきな」という言葉。

日本語というものは厄介なもので、「遊ぶ」という一単語だけで全く異なる二つの意味を含んでいる。好きなことをして楽しい時間を過ごすという意味の「遊ぶ」、何もしないでぶらぶらして時を過ごすという意味の「遊ぶ」。もちろん大学の先輩方が自分に教えてくれた「遊ぶ」は前者だと思うが、実はそれは建前で、同時に後者の意味を指す場合もあると思っている。要は、「フラフラしながら好きなことをしてみろ」=「社会的責任を負うこともなく、嫌なことは避けることができて、ストレスフリーで好きなことをして生きられる最後の時期だからなんも気にせず楽しめ!」ということなのだ、と思う。

確かにその通りだ。社会人になったら時間はなくなるし、責任や重圧も学生の時の比ではないほどのしかかってくる。学生のうちほど楽しめる時期はない。

ただ、私は「遊ぶ」という考え方に着目したい。先輩から「遊んだ方がいい」と言われて、素直にじゃあ思いっきり楽しむか!!と言って、文字通り遊ぶという行為に徹底して「あー学生生活楽しかった!社会人頑張りまーす!」。こうなる学生はおそらく大勢いるだろう。例えば、A. 昼に起きて大学の講義を結果的にスキップするだとか、B. 講義は真剣に履修せず、アルバイトばかりしてお金を稼ぎまくるだとか、C. 夜中に遊び歩いて家に帰らなくなるだとか。

上記のA~Cは大学生としてあまり聞こえのよくない行為かもしれないが、私は悪いことだとは思わない。正しくいうと、「自分がその行為を自分自身で選択して、何か得られるものがあったという自覚があるならば、どれだけ好きに学生生活を過ごしても良い」と思う。

そして、人は、「自分自身で選択」するところまではできるが、「自覚」が芽生えることはなかなかない。

おそらく人は無意識に、大学生活でしてきた「遊び」の経験から、自分にはどんな生き方があってるのか、何をしたら後悔するのか、何をしたら喜びが得られるのか、を発見するのだ。例えばAのような生活であれば、「昼に起きる➡︎ああ、午前中を無駄にしてしまったし、単位も落としそうだなあ / あれ、夜遅く寝て昼に起きる方がパフォーマンスが良いかもしれない。じゃあ生活のリズムや講義も午後型に変えよう」と、わかりやすく言うとこうやって自分に合った生活リズム、自分に合った生き方を見つけることができる。

Bだと、「お金たくさん貯めて、旅行とか車とか、自分が好きなものを買ったり、してみたかった経験ができた / お金はたくさん稼げたけど、それで結果何が残った?お金がある安心感はあるけど、やりたいこともないし。だったら講義受けて自分の世界広げた方が良かったかもしれない」。Cだと、「夜に出歩いて楽しんでいる自分が好き。こういう生き方が自分には合っている / やっぱ自分のベッドで寝て起きて朝から活動する方が健康的でいいかも」。

自分自身でどう毎日を過ごすかを選択し、その結果自分がどう思うのか。そして、その後の自分が最大限後悔を避け、喜びを享受し、自分に合った人生を生きていく方法を、学生生活でみんなが言う「遊び」を通じて知っていく。それこそが「遊ぶこと」の本質であるのだ。

しかし大半の人は、この遊びを遊びのまま終わらせて、学生生活の終わりを迎えているような気がする。「ああ、自分はこういう学生生活を送ってきたな」と。その感想のみが残るだけで、そこに学びはない。自分がどんな選択をしたら後悔するのか?どんな選択をしたら喜びを得られるのか?どんな生活が自分に合っていたのか?学生生活をどのように過ごすかを自分自身で決めてはいたが、決めていただけで、果たしてどんな生き方が自分に合っているのか、わからないまま終わるのだ。

しかし、しっかりと自分自身で選択をし、自分がどんな生き方を好む人間であるのかを理解していれば、かつ、いつか自分が悩んだ時、選択に迷った時に、大学生活を送る中で学んだ「"こう選択すれば"自分は後悔する / 楽しいと感じる」という傾向さえ頭で理解しておけば、自分を迎え撃つ問題への対策を生み出すことができる。

たまに、「自分がこれをしたら後悔する」と本人の経験上自分の頭でわかりきっているはずなのに、わざわざ後悔をする選択をしてしまう人がいる。そういう場合は、一時の気の迷いだったりする。せっかく自分がこれをしたら後悔するという傾向がはっきりしているのに、気の迷いなんかでさらに自己嫌悪に陥るような行為をして欲しくないと切に思う。

せっかく大学生活「遊ぶ」なら、自分が、どうすれば自身で選択した人生を幸せに生きられるのか、考えながら遊んで欲しいと思う。


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