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金なしコネなし語学力なしの大学生が急にバックパッカーをした話 その2(準備編2)

オーストラリアに行くぞ!と決めたのはただの二十歳の衝動だったのかもしれない。

でもその経験があったことで

・その後の人生でこすり続けられる話のネタ
・面接などで受けの良いチャレンジネタ
・自分で頑張ったという自信
・楽しかったなあという思い出

などを得て、かけがえのない体験をしたというのは間違いない。

海外なんて遠い話だと思っていた凡人がいきなりオーストラリアへ旅立つ思い出話、続けていきたいと思います。

これを読んで、ふと「自分にもできるのでは?」という考えが頭をよぎったらぜひお気軽にご相談ください。力になれるかもしれません。
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はじめましてorこんにちは!
やってみたら意外と出来る!を伝えたい。
namです。よろしくお願いします。


バックパッカーの体験記ですが、言うてWWOOFで滞在したんじゃないか!という声が聞こえてきそうです。
お詳しいですね。
バックパッカーと言うとホストファミリーなんておらず、荷物を持ちながら旅をする人ですよね。

私だって最初はバックパッカーで行くつもりはありませんでした。
大然の中でナチュラリストのホストとともにスローライフをするつもりでした。
その方が両親が安心するので。


当時、WWOOFのホストを探すにはコンパクトサイズの辞書のような、冊子の住所一覧表からめぼしい相手を見つけ、自分でメールを送って話をまとめるしかなかった。
アテンドなんて誰もしてくれない。
つたない英語を駆使して、私はNoosaという街の有機農家にメールを送った。

ホスト一覧には名前、住所、やってることしか載っていなかったと思う。
どうやってここから選べと!?と思うのだけど、そこはもう、直感ですよ。

なぜそこにしたかと言うと、調べるとどうもNoosaはすごくいいところらしいということが分かったのが一番の理由。
以下Google検索のAI概要コピペ

ヌーサ(Noosa)は、オーストラリアのクイーンズランド州にあるビーチリゾート地です。温暖な気候と美しいビーチ、自然の楽園として知られています。

原住民アボリジニの言葉で「隠れ家」を意味します
サンシャインコーストと呼ばれる地域に位置し、珊瑚海に面しています
サーフィンが盛んで、コアラやテリクロオウムなどが生息するヌーサ国立公園があります
ブリスベンから車で約2時間です

オーストラリア人やヨーロッパ人、富裕層に人気があります
治安が良く、イベントも多数開催されています
洗練されたブティックやレストランが立ち並び、高級感あふれる大人のリゾート地として知られています

ヌーサは有名なリゾート地のため、世界中から観光客が集まります
アルバイトを見つけづらいという特徴があります
語学学校終了後はブリスベンやシドニーなど大都市に移動するということも視野に入れておくと良いでしょう

Googel AIによる概要


そんなリゾート地、ではなくその内陸の山?大自然の中にそのホストは住んでいた。
気候と治安が良ければまあどこでもよかったんですが、当時そんなNoosaに魅力を感じ、ホストファミリーに連絡をした。

するとどうでしょう。
うまく約束を取り付けたつもりが、旅程が決まった後に渡豪予定の2週間後からしか受け入れが出来なくなったとの連絡が。

はて。

それまで2週間どうしよう。

飛行機をずらす?
チケット取ったし成田まで送ってもらうために親の仕事の休みも合わせたし、難しいな。

そこで私は考えた。

2週間、適当に過ごそう!と。


なんとなくDALL-Iに作ってもらったイメージ図

もちろんホストファミリーがいるということで許諾した親はめちゃくちゃ心配した。

どこに泊まるの?
その間何しているの?

ほんとその通りだよねとは思う。
でもこれは私の長所兼短所なのですが、無駄にポジティブで大抵のことは何とかなると思っている。

母親が沖縄出身で、よく「なんくるないさ」と言ってくれる。
有名な沖縄の方言だ。

「大丈夫」「なんとかなるよ」という意味。

ただこの「なんくるないさ」は手放しにダイジョブダイジョブ!なんとかなるよ~~というのんきな言葉ではなくて、「やるだけやったんだからあとは大丈夫だよ」というニュアンスの言葉だとよく注意されたものだった。

なにもしていないのに何とかなるっしょ!というメンタルではいけないのだ。

母親はなんくるないさマインドを勘違いするなと言うし、父親はものすごく神経質で心配性。
なのに私は猪突猛進その場しのぎの楽天家と来たものだ。
逆の立場なら胃に穴が開きそうだと思う。

とにかく2週間の間どこでどうするかをちゃんと決めてから出発してくれというので(当然だね)ブリスベン周辺で安く泊まれる宿を探し説得した。

日本の予約サイトを見て、1日1万円弱の個室のホテルを予約した。
つもりだった。
そこはなんたらBackPackersという名前のホテルだった。

私はバックパッカーをするつもりはなかったし、バックパッカーという言葉は人を指すものだと思っていたので、その時点ではホテル名に入っていてもピンときていなかった。

とにかく宿は確保したよということで両親を納得させ、いよいよ出発のに私はオーストラリアへ旅立つべく成田空港へ向かった。

成田空港へは父親の運転で送ってもらった。

スーツケースひとつ、バックパックひとつ、デイバックひとつ。

登山に行こうと思って買ったのに、熊が出て中止になって以来出番のない新品の登山靴を履いて。

空港が近づくにつれ、ワクワクと不安が争いを始めた。

無駄にポジティブと言っても不安が無いわけじゃない。

海外なんて初めて。
英語も話せるってほどじゃない。

それでも、今までワクワクが勝っていたはずなのに。

空港に着いて車を降りようとした瞬間、不安で涙があふれだしてしまった。

「いきたくない~…」

行きたくないわけじゃないのに、嗚咽とともにそんな言葉が漏れてしまった。

もちろん父親は困ってしまいオロオロ。
いまから止めて帰ってもいいんだよと言ってくれる。

一瞬不安に飲まれたものの、ここまで来て引き返せないと思い車を降りた。

父の車はまだ自分の家の延長だった。
そこから降りることは自分で歩き出すという選択だったのだ。

いつでもどんな時でも守られていた環境から一歩踏み出す。
一人で行くのだ。海の向こうへ。

車を降りた時覚悟が決まった。
そこからは勇気とワクワクが私を飛行機に乗せてくれたのだ。
父に心配かけたことを謝り、感謝を伝え、行ってきますと笑顔で出発することができた。

神経質で潔癖症で心配症な父。
幼少期、公園で砂遊びをするだけでも病気になる!と制止したり、エスカレーターの手すりや電車のつり革は汚い!触るな!とヒステリーを起こしたり、書籍は平積みの下から取って買う(2冊以上ないと買わない)、必ず朝4時と夕食後にクイックルワイパーで家じゅうを掃除するそんな父はどれだけ心配だっただろう。
私が行く先を、たぶん未開の地だと思っている。


私は飛行機が大好きだ。
オーストラリアはブリスベンまで8時間のフライト。
苦手な人には長いと思うが、私は大好きなので物足りないくらいだった。
本を読んだり、寝たり、映画を見たり、のんびりしながら空の旅を楽しんだ。

そこには出国前に感じた不安はもうどこにもなかった。

始めてしまえば案外こんなもの。
先のことしか頭にないんだなあ。
悪いことはすぐ忘れる頭でよかった。
これからが楽しみだなあ。

なんくるないさ~


次回やっとオーストラリアへ行く話。

お読みいただきがりがとうございました。
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お酒に興味がなかったらすみません。
それでは。

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nam
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