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「怪獣と宗教」〜海外輸出の障害〜

2021年3月31日、アメリカで『ゴジラVSコング』が公開される。
日本は遅れて5月14日。
1962年ライセンス提携を受けた東宝が制作した『キングコング対ゴジラ』の60年越しのリメイクである。

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上記はスペインのKFC公式Twitterの投稿。
「新しい」ハリウッドゴジラはそれなりに愛して貰えている様子だ。

遡る事23年、ハリウッドでのゴジラ製作は大失敗で幕を開けた。
ご存知ない方向けに説明するが、現在ハリウッドで制作されているゴジラはいわば2代目である。

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1998年に公開された初代『GODZILLA』は国内外ともに散々な評価を受けた。ファンからはイグアナ・トカゲ呼ばわり。監督本人からも「日本のゴジラファンが自分の作品を観たら不愉快に感じるだろうと思っていた」。
日本の本家ゴジラに至っては、アレは別の怪獣とした上で「やっぱりマグロ食ってるようなのはダメだな」(映画『ゴジラ ファイナルウォーズ』)と皮肉られる始末。

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その反省を踏まえた新作ゴジラシリーズは、中々上手く行っているのではないだろうか。
嬉しくもあり、しかしあれはモンスター映画でしかない、日本が生み出した「特撮」が正しく出荷されていないとも感じる。

「日本の特撮は海外に出荷できるのか?」

難しく、工夫が必要になる。
理由は、一言で言ってしまえば「席が埋まっている」という事になるのだろうか。

ウルトラマンの登場、ゴジラのヒーロー化などで霞んでしまいがちだが、元々日本の特撮の本質は群像劇である。
怪獣という名の非日常との遭遇。未曾有の事態に人々が葛藤する様子を描く。初期の日本の特撮『ゴジラ』『ウルトラQ』等では、こういったフォーマットが守られてきた。
パニック映画に近い内容。
悪意の無い・人知の及ばない脅威。自然現象から生じた特異な生物、もしくは超自然現象そのものを、怪獣というユニークなメタファーを用いて表現する。これが本来の特撮の姿だ。

非常に日本的だ。
今更語るまでも無く、日本は災害の多い国である。全世界で災害で死亡する人の0,3%は日本人、というデータもある。(国土技術センターHP)
日本は自然の脅威と共に発展してきた。

もう一点、怪獣特撮との関係を語る上で外せないのは、その無宗教性だろう。
我々人類は古来より人知の及ばない自然現象の説明に「神」の存在を用いてきた。地域によってそれがキリストであったりアッラーであったりと違いはあれど、その傾向は変わらない。
こと宗教に関して、日本は変わった国である。
国民の6割以上が無宗教。寺に行けば仏に祈り、教会ではキリストに祈り、トイレにはそれはそれは綺麗な女神様がいると聞く。

先ほど述べた通り、初期怪獣映画の大前提として怪獣を人知の及ばない存在に位置付ける事は必須である。
大袈裟な言い方をしてしまえば「無意識下での神格化」だ。
台風や地震と同様、あれはもう人間にはどうにもならないものだと視聴者に認識させる必要がある。
唯一神を持たない日本ではこれが容易だ。日本人にとっての「神の座」は基本常に空席で、都度都度誰かが腰掛ける余裕がある。

その点、信じる「神」が既にいる国にとって、これが難しいのでは無いだろうか。
海外では多くの場合、それぞれに信仰している神がいる。例えばアメリカでは国民の8割がキリスト教徒と聞く。
そんな中にポっと出の怪獣が出てきたところで、「無意識下での神格化」は起こりづらい。「神の座」には既に先客がいるので、どこまで行っても怪獣をそれ以下の存在、モンスターとしてしか認識できない。

心理的な部分で、そもそも日本式特撮の海外進出はかなり無理があったのだ。

さて上記を踏まえ、
仮にハリウッドで日本式怪獣を製作するなら、どんなものになってくるのだろうか?
私の主張への理解を深めて頂く為にも、試しに考えてみた。

怪獣は神の力そのもの、人知の及ばない「装置」としての役割を担う事になるだろう。聖書の天地創造に則って、例えばこんな感じだろうか

「ある日、アメリカ大陸上空に無限に土を吐き出し続ける巨大な怪獣が現れる。
争うばかりの人類を見限った神が、使いの化物をよこして天地創造の7日間をやり直そうとしているのだ。(中略)団結した主人公達人類は、多大な犠牲を出しながらもなんとか絶滅せずに生き残る事に成功する。
その様子を見届けた怪獣は宇宙に去っていく。
だが、また再び人類が争いを繰り返せば、更に強力な怪物が送り込まれてくるであろう。我々はただ猶予を与えられたに過ぎないのである・・・。」

上記の様な感じだろうか。
怪獣を打倒すべき敵でなく、乗り越えるべき障害と位置付けた形だ。
「つまんなそう」「B級映画っぽい」といったご意見は、胸にしまっておいて頂ければ幸いである。
私は残念ながら脚本家では無いし、B級映画っぽくなるのは特撮だからしょうがない。

 

とはいえ日本の怪獣特撮も、正しく継承されて来たかと言えば
そんな事は全く無く、数年前まで本来の特撮は死んでいたと言っていい。
『シン・ゴジラ』での特撮の華麗なる復活に関しては、また別の機会に語るとして、
本家日本で守って来れなかったものを海外で守らせようなど、無茶な話であったとは自覚している。

ハリウッドのゴジラも、今のままでそれなりに魅力的であると思う。
宗教が絡めば様々な問題や制限が出てきてしまうだろう。
ただそれでも懐古趣味な私としては、アメリカ版「日本式怪獣映画」を夢想せずにはいられないのである。

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