義理チョコが届くみたいに年賀状が届く

同じ学区内で同じ習い事をしていたという「縁」で、ほぼ毎年年賀状を送ってくれる人がいる。
本当にマメな人だと思う。

そんな人付き合いにマメな姿勢を、年賀状という形で見せられても僕はずっと年賀状を書かなかった。

この感覚は「義理チョコを貰っておいてホワイトデーに返礼品を用意していない」によく似ている。

そして「用意するのが面倒くさくて忘れた振りをする」ことに繋がっていく。

幸い、(これを幸いと言っていいのかは分からない)まだ義理チョコに縁があった年齢の頃は流石に忘れた振りはしなかったが、急ごしらえで用意するのが定番になってしまった。

年賀状はそうも行かない。年賀状という名の義理チョコが相手から届いた頃には時すでに遅しだ。
そして「今年も書かなかったな」と新年早々反省する素振りをする。

義理を立てない私に対して、差出人は何を思っているのだろうか。
差出人にとって「年賀状を出すべき相手リスト」の下の方にいる私に時間をかけている暇などないのだろうか。
そのリストから名前が漏れるまであと何回年賀状が届くのだろうか。

終わり

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