聖化

ボイスメッセージの声色を聞いただけで、友人はもう助からないだろうと思われた。

マンションの上層に向かうエレベーターに乗りながら、私は驚きよりも諦めに近い感情を握りしめる。

「まだあいつについて何も知らないままだった」と心の中で呟く。

彼が高層マンションの一室を住処に選んだ理由だって知らないのだ。人嫌いがそうさせたのだろうか。度々彼の部屋を訪れていた私は、その生活ぶりから、自室に呼び寄せる知人を多くは持っていないのだろうと推測していた。しかしそれも推測だ。その気難しい思考は、相対的に近いところで彼を見てきた私からしても、ベールに覆われていた。

彼は怒り易い性格で、社会の諸制度や身近な人々に対する嫌悪を隠さなかった。自分なりの一貫性を備えていることは察せられたが、それも独自性の強いもので、知らず知らずの内に地雷を踏んでしまうことも少なくなかった。幸運にもと言うべきか、私は地雷を踏んでもそれを取り返すチャンスに恵まれた。心からの理解というよりか、事の巡りによって形成・維持された友人関係だった。

数十分前に、「見届け人になって欲しい」と言われ、納得半分、不可解半分というところだった。

エレベーターの扉が開く。左手に進んだ突き当りに彼の部屋がある。合鍵は、郵便ポストから既に回収してある。扉を開けば、彼と相まみえるだろう。生きている保証はないが。

玄関扉を開いても、まだ異変は感じられない。階自体が静けさに支配されている。大通りの喧騒も、有子家庭のにぎやかさも、遠く離れた場所にしか存在しない。静寂はきっと、彼がこの住処を選んだ理由の一つだ。そして視覚的にも、嗅覚的にも、ただちに脳に訴えかけるものはない。出迎える意志が希薄なのだから廊下の電気が消えていることも不自然とは言えない。適度に埃の匂いを孕んだ、生活感のある雰囲気が漂っている。

リビングに進むと、カーテンを開け放した窓から、灰色の街が見える。曇り空に照らされた街並みに、地上の生き物である私は解放感を覚える。彼が日ごろからカーテンを開けっぱなしにしていたかというと、記憶は朧気だ。この光景を既に何回か見たことがあるのは事実だ。地上を見下ろす際に、彼の裕福さに対して若干の羨望を抱いたことを覚えている。

そして、見渡した範囲に彼がいないとなると、自室にいる、あるいはいたと考えるべきだろう。

果たして、開いた扉の向こうに、床にうつ伏せに倒れこんだ死体があった。

私は、彼の死体の傍に崩れ落ち、涙をこぼす自分を想像した。生憎、現実の情動はそう激しくは現れないもので、私は遠巻きに彼の死体を暫く眺めていた。生死の不確かな、しかし文脈上限りなく死体に近いそれとの距離感を測りかねていた。無名の時間を経て、私は彼の身体に近寄り、動かぬ肉体の状態を観察した。

死体は既に冷たくなりかけていた。顔に触れると、顎のあたりが硬直しているような感触があった。ほんの数時間前なら、助けられたのではないかと想像した。メッセージに気付いた時間を考えれば、それは無理だと分かっていたのだが、それでも脳裏に現れずにはいられない。

こちらから見て反対側には、白濁した吐瀉液が広がっていた。若干の饐えた匂いと、溶け残った白い泥のような内容物に気付く。食事の痕跡が欠如していることを、不気味に思ってしまう。

そこに何かの考えがあったのは間違いない。自殺という人間的行為の裏には、譬え認知が歪んでいようと、確かに思想があるはずだ。それはそれとして、死者の思考の再現という遠大な行為を達成するには、私はあまりにも力不足だった。

後始末。警察を呼ばなければならない。しかし目の前の人間が数時間前に考えていたであろうことを想像すると、手が動かない。

私は待つことにした。

その間、私は努めて静かに時間を過ごした。遺体の写真を撮り、姿勢を整え、吐瀉物の掃除を行う。この際、警察の検分が入った後の束の間、他殺犯だと疑われるのも甘んじて受け入れようと思った。今は静かに過ごす時だ。幸いにも、私の帰宅を待つ人間は今の私にはいない。

高々半日の時間だ。友人の為に待ってやっても良い長さだ。

その間、私は死について考えた。目の前に死の表象が現れているのだから、至極安直な思考だ。それでも仕方のないことだ。

かつての世代にとって、聖化は大きな文脈を背負っていた。それは神と人の間に子を設ける行為だとされていた。当然、科学世紀の現代に神話を額面通りに捉えるものはいなかったが、その新規性故に、直観的には神秘の所業に等しいものだった。幼少からその概念を知っていた私の世代とは違う。過去の人間にとって、不確かな希望と冒涜性を兼ね備えていた新技術は、後の人間には、ただ"或る物"でしかない。無知蒙昧な余人は、形質エンジニアリングという技術を理解することなく、それを90年代のフィクションに描かれたような遺伝子混交と同列に捉えた。かといって私も、人に高説を垂れる程の知識は持たないのだが。

昔、人は今ほど死体と頻繁に触れることはなかったらしい。今となっては、常に死者に見守られているといっても過言ではない世界なので、死への恐怖心は少なからず軽減されているのだろう、と私は想像をする。

要するに、私にとって、それは葬式の範疇に収まる営為だった。彼の聖化を辛抱強く待つことは。

既に部屋から余分なものは退けてあり、死体の下にはポリ袋が敷かれていた。その時を待ちながら、私は部屋にある諸々の所有品を観察していた。充実したPCデスク。工芸品が並べられた金属ラック。本棚には歴史本・自己啓発本の類。ゴシックに縁どられた置時計。それ自体に意味を見出せるものは少ない。彼は彼であって、その部屋は限定的にしか彼を表現しえない。

彼の背は裂け始める。静かに、前触れもなく。私はそれを視界の端で捉え、手元にあったノートを離れたところに置いた。私は死体を遠巻きに眺める。

裂けた背中の中に、黒い影が見える。むしろ、黒い影しか見えないのだ。一か所で曲がった折れた金属棒、そんな風なシルエットが現れる。彼の内臓の中に収められていたそれが、突出し、徐々に鈍角に至る。
その両脇から続々と、黒く伸びる影が現れる。背中にドームが形作るような柱が立ち並ぶ。

闇は粘土の高い液体で、気付けば死体の表層に垂れていた。死体が汚されることも構わず、背中から現れた影は、棒状の影を方々に伸ばす。それは、正二十面体を欠いたバクテリオファージのような見た目で、生まれるこの瞬間を示すように、脚部を四方に伸ばし、床に設置した。死体にのしかかるリギッドな生命擬き。覆われた黒の粘液は死体と床を緩やかに汚す。

しばらく静止していたかと思えば、それは震えだす。異様な、機械にしかまねできないような震え方だ。金属質な怪音が鳴り響く。黒い粘液は方々にまき散らされる。私は自分が汚れることも受け入れて、極力目を離さないようにしていた。

耳に禍根を残すような不快な音が続いた。視界は飛び交う黒によって大きく妨げられていた。しかし主観的な永劫を待てば、それも止む。気付けば、あの黒い影はもうそこにいない。それは透明な骨格をさらけ出していた。上部から延びる透明なプロペラ構造は、全体の輪郭として蚊を思い起こさせる。高さ60cmに及ぶ、蚊とは似て非なる存在。生命というのは直観的にも科学的にも不正確だ。いつかの誰かにとって、それは聖性であり、私のような人間にとっては、ただ存在する"虫"だった。

透明な虫は、羽を広げている。それもまた透明で、昆虫の羽のように構造色を放っている。斑に怪我された電灯や窓から漏れる光が、その立体物をきらめかせていた。そして虫は羽ばたき始める。大ぶりな動きで周りを破損させることを厭わない、野性的な動き。実際、ガラスのナイフを振り回すようなものだから、人間はとてもではないが近づけない。私は戸口にたって、虫がこちらに向かってこようものなら、すぐにでも扉を閉められるように待ち構えていた。

無秩序な飛行は、全てを傷つける。部屋中の物に切り傷を残しながら、荒々しくぶつかる。それは頑丈な体を持っていて、ブレーキなしに壁に直撃しても傷一つ貰っていないようだった。部屋の中央に残された死体、あるいは抜け殻もその餌食となる。彼だったものは鈍く血を流していた。

虫が何を求めていたかと思えば、きっと、空だろう。閉じ込められた鳥が空を求めるように、狂乱の飛行を続けている。

カーン、と金属音が響く。透明虫が窓枠とぶつかった音だ。それはレールに足を掛け、しばしの逡巡を経た後に、飛び立った。

私はタイミングを見計らって、即座に窓に駆け寄る。遠く飛び去った透明な存在を肉眼で見定めることは叶わない。予め窓を開けて置いたおかげで、建物は悲劇的な破損を免れていた。残るは黒に覆われただだっぴろい部屋と、傷付けられた死体一つ。

彼は大河の一部となる。頭上を流れる、広大で不可視の大河の一部に。

*

街の景色を見渡していると、死者が飛び立つのを見ることがある。それ自体は極端に珍しくもないが、その後の人生で聖化の傍らに立ち会うことは結局無かった。

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