二次元愛好者へ(勝手に)薦めたい実写恋愛映画 —『寝ても覚めても』

二次元に展開される虚構の関係性を見るだけの人になってどれだけ時が経ったか。恋愛漫画とそのメディアミックスに触れ、心をときめかせてきた。ロマンチストの気性故に、王道パターンに沿った関係性も、奇矯で生々しさのある関係性も楽しんできた。ジャンルに囚われず、どんなファンタジー世界からも恋愛のある種の記号を見出したりする。

その一方で、実写恋愛映画は長らく遠い存在だった。華々しさを欠いた役者を眺めるのは退屈で、情欲を掻き立てられない(世間で持て囃される名優も、ホモ・サピエンスである以上、〇〇に比べるのは酷だ!)。不朽の名作と呼ばれるものを観ては、無理くりに挿入される濡れ場にげんなりとする。かつてのインターネットに蔓延っていた邦画嫌悪は流石に忘れて、しかし即座に実写映画が身近な存在になる訳でもない。

濱口竜介監督『寝ても覚めても』は、三次元の日本を舞台にした作品だ。主題となるのは、衝動的で浮世離れした「麦」・家庭的で親身な「亮平」、対照的な二人の男の間で揺れる静かでミステリアスな女「朝子」の行く末だ。

二次元の恋愛と比べれば、地に足の着いた内容だ。生活があり、コミュニケーションがあり、結婚がある。そして本作の何より重要な点として、他者は他者であり、本質的に理解し得ないものだという現実が反映されている。そう表現すると、冷徹な視線の持ち主によって作られた作品と思うかもしれない。それは間違っていないが、同時に、本作には理想化された恋愛のファンタジーもある。破滅的で、衝動的な、模範的な社会人が眉を顰めるような心の動きがある。冷静に他者を観察する視線と、幼くて危なっかしい理想の追求。その対比が一つの画面に収まる様が、美しく、楽しい。

最初に本編に踏み込んだ時、朝子の役柄に面食らうかもしれない。素人の立場から臆せず言えば、彼女の演技は一人だけ異様だ。虚構を体現し、周りから浮いている。対して周辺を固めるキャラクターらの演技は、比較的普通だ;邦画と聞いて想像する通りに話す。それで主役のキャラクターとしての実在性が損なわれるのかというと、そんなことはない。抽象化された人間として見れば、むしろ飲み込みやすい存在だ。綾波レイや長門有希と似て非なる何者かとして、不思議な彼女を見届けようと思える。

とにかく、虚構性が楽しい映画なのだ。ファンタジーと現実が共存し、時に並走し、時に正面からぶつかる。時には現実そのままとしか思えない光景が画面を覆う。たまに両者が合わさって不協和音を響かせ、視聴者を驚かせにかかる。映画の文法にそこまで精通していなくても、二次元内の営みに触れてきた人はそういった楽しみを見出せるのではないかと、勝手に思っている。

最後に予告を貼っておこう。しかし正直言って、予告を見ても惹かれる要素があるかは疑わしい。自分は、本編を数回見て大層気に入った後でさえ90秒の中から魅力を見出すことができない。だから観るならあらすじだけ目を通して、こんな文章のことも忘れて、アマプラなり任意の配信サイトなりで観れば良い。星の数は不当に低いので、それも無視するのが良いと思う。

たとえ傑作と思う作品を薦めても、百発百中とは行かない。何なら、最終的に好みに合うとしても、序盤は苦痛かもしれない。それでも虚空に向かって薦めるのは、自分以外の二次元愛好者がこの映画をどのように見るのかを知りたいからだ。

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