幸福の瞬間・天使の口付け・真空に佇む一分子

来那奈月は、悩める幸福な乙女だった。目先の懸案は、年上の彼女である白鷺霊を喜ばせるプレゼントに何を選ぼうという、傍から見れば些細なことだった。その些細さ故に、信頼できる友人らをあたっても、納得の行く解には至らない。馴染みの店は見て回ったし、たまにはあまり行かない所に目を向けようかと考えていた。

そんな折に、数駅離れた大きな書店に立ち寄る機会があった。そこで見つけたのは、銀の栞だった。適度に重量感のある材質で、記念品にはふさわしく思えた。華奢になり過ぎないくらいに施された装飾加工も、十分に見栄えするデザインだ。

「重いかなあ」と彼女は一人呟いた。"重い"というのはプレゼントが過剰に受け取られないかという不安ではなくて、栞そのものの物理的重量に対する懸念だった。普通に考えて紙製の栞の方が取り回しが良いのではないか、という意見も思いつくし、否定はできない。

とはいえ、読書に没頭する彼女を思い浮かべると、何となくそこに干渉したいと思う自分がいた。こちらに全く目を向けていないのはまあ仕方ないこととして、意識の傍らに自分を置かせることができたら心地よいものだと思う。全く質の悪いことに、彼女の愛読書にすら嫉妬しようというのだ、私は。その意味では、"重い"プレゼントなのも一面的には事実だった。予算が常識的な範疇に収まっていたとしてもだ。

彼女は売場で少し悩んだ。投げやりな返答しかしてこない友人らの呆れた顔を思い返しつつ、一旦、これで納得することにした。

可愛いデザインの封筒に入れて、お菓子でも食べる時に一緒に差し出そうと思った。

誘いは既にしてあった。「来週の金曜日、付き合い始めて一年じゃない?だからデートでも行こうよ。」と端的に、要件を送った。即座に同意のスタンプが返ってきた。その時彼女は、「記念日、覚えてくれてたかな」と一人呟いた。こういうことを覚えているかどうかに個人差があることくらい、身内の世間話を聞いてれば分かることだ。だから「ごめん」の一言が返ってきたとしても幻滅はしないはずだ。

そのはずだが、何かの拍子に価値観の溝が生まれてしまうことが恐ろしかった。だから彼女を試すような物言いはしなかった。

当日、二人は煉瓦通りと呼ばれる商店街を歩いていた。適度に遊んで、残る目的と言えばショッピング。私は有名店のレモンケーキに目をつけていて一緒に食べようと話していた。迷うことなく行列を発見し、最後尾に立つ。急用とは縁遠い一日だったので、のんびりと言葉を交わした。

人の多いところに長居する必要もないと思って店内の観察は手短に済ませた。それはそれとして、陳列されていたケーキは一通り確認した。目星をつけていた通りに、店内で一番人気のケーキをワンホール注文した。「お互いへのプレゼントってところかな。記念日だし。」会計スペースを前にして何気なく彼女が呟く。

「プレゼントは別にもあるから。」と私は思わず言った。少しサプライズを損なってしまったと次の瞬間に思った。

しばらくの沈黙があった。彼女は何かを言おうと迷っていたのだろうか。それともいつものように少し遅れて返事がやってくるだけなのだろうか。曖昧な相槌しか与えられないまま、店から出る。すると煉瓦通りの真ん中で、彼女が振り向いた。はにかんだ笑みで、ありがとうと小さく呟いた。

喜び慣れていない先輩をどう喜ばせようか、という思案の無意味さと、贈り物をするという行為のあまりの意味の大きさに崩れ落ちそうだった。

後で栞を渡された彼女は、見慣れた柔和な笑みと共に感謝を伝えてくれた。贈り物を渡す前の私は、何故か、大げさにはしゃぐ彼女の姿を想像していた。良く考えなくても、彼女は私のように喜怒哀楽の表出の激しい方ではない。私の基準でそれを求めても仕方ないのに、それを見過ごしていた。

彼女は自分の表情の乏しさを自覚していて、好んで愛を言葉で伝えた。その率直さが却って心に響くのだった。

レモンケーキは流石の美味だった。二人で柄にもなく盛り上がって、写真を知り合いに自慢気に送り付けたりした。

銀色の栞は、結局使われることになったのか。使われたと言えば半分正解だ。後で彼女の部屋を眺めると、栞はその時に積み上がった本の一冊に挟まっていた。彼女は言い訳を恥じるように、奈月のことを考えると好きで買ったんだから早く読まなきゃって思うから、と言っていた。

実用的な答えに、そしてそれに似合わないがさつな精神論に、思わず顔が綻んだ。そんなに恥ずかしいことをしれっと言ってくる彼女が好きだった。出会ったばかりの頃は知らなかったけれど、今となっては手放せない、そんな光景だった。

*

来那名槻は、自身をポルフィリンに囲まれた二価鉄に例える。大きな有機分子に囲まれ、一人浮かぶ、孤独なイオン。彼女自身は結合の意味を知らない。ただ収まるべきところに収まった結果に甘んじているだけだった。どうやら、彼女を取り囲む存在にとって、彼女の存在は意義あるものらしかった。さらに言えば、彼女の存在によって、より大きな構造に何か意味が生まれることが示唆されていた。例えば、ヘモグロビンを内部に含む赤血球のように。

彼女はまともな教育を受けていなかった。言葉はおろか、基礎的な認知も危うい。狼少女でさえ、もう少しまともな教育を受けているものだと彼女は思う。彼らが唯一教えたことを言えば、ヒトとそれ以外の動物を区別することだけだった。役目を遂行する上で、それだけが必要だった。ヒトとマネキンを区別する必要はない。家畜と野獣を区別する必要もない。

役目に必要な知識を教えたのは、無名の組織だった。それは目的のために彼女を含む幾人もの分子を、正確には彼女らを包含する幾つもの錯体を並べ、来るべき日に向けて世話をしていた。組織は不定形な存在だった。仮にそれを白装束をまとった老若男女の集まりとしよう。それでも、彼らの不定形さを表すにはまだ足りない。むしろ、余計な先入観を与えかねないものだ。そもそも、無貌の装束の下に、人間と呼べる存在がいることすら定かでなかった。

彼女を取り囲む高分子体は遍在神だ。ただの一柱でさえ、何万もの座標に同時に存在できた。有形無形の物質の器に流れ込み、力を振るうことができた。それが、何柱も居並ぶとすればどうであろう。世界を作り変える大それた計画であろうと、数時間あれば十分に実行に移せる。

実に、組織の計画は大それたものだった。ただしその詳細は知る由もない。大枠として、それは殺戮を伴うものだった。人類への敵視を内在しているように伺われた。しかし先も言ったように組織の構成員は真っ白な無人であり、深部に敵対感情が芽生えているのかどうかも仮定の域を出ない。

来那名槻は組織に支配されていた。彼女は行動を自発的に行えないだけでなく、成長を阻害され、感覚を制限されていた。畢竟、彼女の時間認識も組織の支配下にあって、彼女は自身が囚われていた期間の長さを知ることができなかった。

故に、大それた計画が実行される日は、唐突にやってきた。一介の被支配者である彼女は、準備が不足しているとも過剰だとも思わなかった。ただ、彼女を取り囲む存在が、今までにない律動を発するのを、無感情に認識していた。

無形の巨体の群れが動き出す。その時の来那名槻は、群れの一柱の中心に浮かぶ、ただの一点に過ぎない。

世界の人々の傍に、彼らは現れる。巨大な肢のようなものを翳す。緩慢な動作によって、人々の生きる基礎に相当するものが奪われる。例えるならば、一帯の空気中の酸素を一瞬にして奪われるかのような変化だ。不可視の変化によって、人々は明瞭な意識を奪われ、奈落に突き落とされていく。それは半ば同時的で無差別な行為だった。

彼らの機械的な動作とは異なって、その行為の波及は不規則だ。事態に気付くことなく眠り続ける街もあれば、炎が立ち上り、混乱に陥る街もあった。変わらず放送を続けるテレビのチャンネル、書き込みが殺到する電子コミュニティ、閑散とした客船、暗闇に閉ざされた複合商業施設、異常な煙を発する工場、書きかけの原稿。変化によって生み出された様々な光景があった。

その時、来那奈月と白鷺霊は、一つのベッドの上に隣り合って眠っていた。奈月が目覚めると、そこには天使がいた。

天使、というのは戯画的な表現だ。彼女は聖書を信じない。故に、天使というのは白を纏った異形の存在だ。剥き出しの歯を顕わにする獣であり、歪な羽を纏った怪鳥であり、姿形のどこかに、僅かばかりの人の痕跡を残す生物だった。

それは眼前にて静止した。本来であれば、羽の切っ先が掠めただけで息を引き取るであろうに、それは至近距離にありながら命を奪わなかった。酸素を一滴残らず奪う一撫でを拒み、微動だにしなかった。

次の瞬間、彼女は自分の鏡写しを見た。それは瞬間的かつ主観的な変化だったかもしれない。本質として、それは異形の天使のままだった。あくまで来那奈月の認知の膜を経て、それが女性の形に切り替わったと考える方が自然だ。

鏡写しの彼女は無表情で、乱雑に伸びた髪の毛は野生児を思わせたが、顔面の細部を見れば、確かに自分と同じ遺伝子で出来上がった体だった。それはぎこちなく体を動かし、近づいた。体全体が彼女と接触したが、命の燈火は燃え続けている。

天使の口付けが与えられた。

それは加護ではなかった。神を代弁する天使ではない。非人間的な力を振るう存在であって、できることは、力を振るうことと振るわないことを、人間には理解し得ない動作によって選び取ることだけだ。それは今、力を振るわないことを選んだ。彼女と共に、隣で眠ったままの白鷺霊も、生かすことにした。遠方では、来那奈月の両親や彼女の知己を前にして、同じように天使が動きを止めた。意味論的連なりによって、彼女が顔を知る者や顔を知らない者が、天使の餌食となる未来から逃れた。

彼女はいつまでも鏡写しの名槻を観察していた。得体のしれない同位体の深部を見出そうとした。しかしそれは徒労に終わる。何故なら彼女にはまだ、中身というものが無かったからだ。姿形を共有するものが相まみえるという予想外の事態に遭遇し、静かに佇む来那名槻は、何の感情も抱いていなかった。だから、対面はいつまでも続くかのように思われた。実際には、刻一刻と数多の人々が崩れ落ちていく最中であったのに。

*

そうして世界は終わるのだろうか。

まさか。当然、どこかに勇者がいるものだ。巨大な組織。数多の神格。あからさまな社会への敵意。文明が危機に瀕していると気づいた何者かが、反逆の狼煙を上げた。しかし来那名槻の目は、立ち上がる狼煙を見過ごした。彼女は、各所で挙がる災厄の煙との違いを弁別する術を教わってなかった。

配位しているに過ぎない彼女は、彼女を取り囲む巨体が攻撃を受けたとしても、それを自分の痛みとして認識したりはしない。等しい役割を授けられた全員がそうだった。気付いた頃には、彼らの揺籃は大部分を蝕まれ、配位子としての役割を果たせなくなっていた。無形の存在が崩れ落ちる兆候を、誰も認識できない。

彼女を取り囲んでいた存在を失い、来那名槻は宙に放り出される。彼女は森の中に落ちた。彼女には認識できない木という存在が、延々と立ち並んでいた。真空にいるのと同じだった。ここには認識できるものが何もない。かつて彼女が一部だったものは気配すらないことに恐怖を覚え、彼女は慟哭した。

組織が放った錯体の全てが、分解の対象だった。勇者は一人ではなかった。それは例の巨大な組織と同等以上の規模を持つ、不審な存在だった。彼らが人間という種族に肩入れしていることは分かっていたが、それだけだ。凡百の政府機関の想像を逸脱する迅速さで、彼らは遍在神らを解体した。侵害に伴う静寂が、真の平穏に変わるその時まで。

奪われた命は多かったはずなのに、残された痕跡は誰の予想よりも少なかった。勇者性を備えた人々の努力を以てしても、あの組織の真髄に迫ることはできなかった。

来那名槻は勇者に救われ、同時に見放された。彼女は最早干渉の対象ではなかった。大災害と彼女をそれと結びつけることが出来ないのであれば、彼女を攻撃する理由も守る理由もない。縁なく苦しむ人々がいたとしても、彼らの知るところではない。

彼女と境遇を同じくする、少なくない数の人々がいた。大半が、統計的に幸福とは言い難い短い半生を送ることになる。言葉を知り、己という存在を他者に刻み付けるに至ったのが、せいぜい半数と言ったところだ。それですら幸福そのものではない。旅路の始点に過ぎない。

来那名槻は幸運な方の半数に分類され、言葉を獲得するに至った。人が人であるために名前が必要であると初めて知り、彼女は来那名槻という名を自認した。それは刻印となり、彼女の実際の呼び名とは無関係に永続する。

実際的な始まりに至る為に、彼女は来那奈月と暮らしを共にした。生活の変化によって来那名槻は様々な人間に知られることになるが、奈月の両親は、彼女の存在を最後まで認めなかった。天使的存在を目撃しなかったのという事実を差し引いても彼らは盲目で、突然降って湧いた娘と瓜二つの存在を人と認めることが、まず、どうしても出来なかった。彼らの認知を阻んだのは、単純な資質な欠如だった。彼らは想定外に弱く、自身らの無情な判断を俯瞰的に制御しようとしなかった。彼らはそのことを言葉の上では恥じたが、内心では、娘の来那名槻に対する執着を不気味に思った。

他者が期待する正しさに従い、彼女は行政から与えられた補助金の全部と自身の収入の一定割合を来那名槻の訓練に費やした。彼女を教育した施設の人間も相当に優秀だったが、何よりも彼女の意識を目覚めさせたのは、自身と瓜二つな人型の存在だった。彼女は無意識に来那奈月をロールモデルと見做したのだろう。その頃はまだ、途方もない境遇の差があることを理解せずに。

当然のことだ。育ちがあまりに違うのだ。目にしてきたもの、与えられたもの、奪ったもの、身体に蓄積した原子の一つ一つが、あまりにも違う。今置かれた場所、他者への接し方、他者の接し方、何もかもが違った。そして、白鷺霊という女は一人しかいないのだ。彼女にとっての白鷺霊、最愛の人と呼ぶべき存在が現れるかは、神のみぞ知ることだ。

もし仮に無尽蔵の資産を持った自由人であろうと、一人の人生を誰かに教え込ませることは難しい。来那奈月には仕事がある。職業という呪縛がある。名槻に捧げられる時間も労力も限られていた。無垢なるドッペルゲンガーの行く末について、事情を知らない者は生き様の収斂を予想するが、事実はそうならない。静かに、確実に、個性というものが生まれていく。来那名槻の現況に即して言えば、個性の萌芽と言うべきだったかもしれないが。

彼女が生活という概念を理解した暁には、社会に出ようという取り決めが成立していた。ある時になって、その目標は達成されることになる。彼女は明らかに教養を欠いていたし、人格も未熟だったが、独り立ちができるのであれば十分な偉業だ。来那奈月はまだ教え足りないと思いつつ、彼女の門出を祝福した。

それから彼女は誰にも囚われることなく、彼女の人生を辿る。それは衝突の多い人生だった。社会に適応しきれない彼女は、誰かの慈悲が無ければどこかに留まることができなかった。そんな危うい生活は、例えば同僚が入れ替わっただとかで、容易く成立しなくなるものだ。浮世離れしていたのは私生活も同じで、規範に背くことが頻繁に会った。意図的な背信もあったし、無自覚に義務を怠ることもあった。時には誰かに好意や執着を抱くこともあった。しかし全体として、彼女の在り様は気まぐれな猫のようだった。

伸び伸びと生きる彼女を、白鷺霊は好んで写真に収めた。荒野の狼に、奈月とは異なる性質の親愛を抱いていた。彼女は友人として、彼女に接しようとした。来那名槻はこれに懐くことも反発することもしなかったので、つかず離れずの関係性が形成された。白鷺霊はこれを喜び、時折、彼女を旅行に誘った。旅に出る時は来那奈月も一緒だった。奈月は、名槻を突飛な場所に連れまわそうとする霊を不思議に思った。行く先々で名槻の写真を熱心に撮る行為に、何か非自明な理由があるのかと推測した。しかしそれらは結局、曖昧な趣味の域で理解し得る行為だった。奈月がそのことを理解するのは、何年か後になってアルバムを霊と共に眺める時だ。奈月の目に入るは、赤茶けた砂漠に佇む名槻を撮った写真だ。彼女の他には大地しか映っていない。孤独な彼女は、今でもなかなか見ることのできないような快活な笑みを浮かべていた。この時彼女は何を考えていたのだろうかと、奈月は霊と共に情景を懐かしんだ。

彼女の内面が理解し難いことは、奈月にとっての救いでもあった。それは、彼女が人並の複雑性を備えていることの証左だったからだ。

例えば来那名槻は時折、全てに嫌気が差したかのように逃げ出すことがあった。見かけ上の動機は彼女以外の人々の共感性が生み出した幻想で、本当はもっと直情的で、抽象的なものだった。彼女にとって、収まるべき場所というのはあの配位子の中心しか有り得なかった。譬え認識が生まれ変わったとしても、原初の感触が完全に消えることは無い。彼女は最早存在しない無形を探し求める時間を必要とした。時としてそれは、目の前の人々よりも大切なことだった。

それでも来那奈月はいつも彼女を見つけ出す。真空に放り込まれた名槻の行跡を辿ることは彼女の責務だと、自分でそう思っていたからだ。ただしそのことを来那名槻に恩に着たかどうか、それは別の話だ。彼女の思いやりが如何に慈悲深いものであろうと無関係だった。名槻は規範への執着が足りなかった。彼女にとって、世界は常に儚い、認識上の雲のようなものだ。故に彼女はどうしようもなく、狂いそうな程に自由だった。

運命に抱かれず、愛を受け取れない現状にあったとしても、自由があるだけで、彼女は自分を幸福だと思うことができた。

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