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2024/12/2-2024/12/8の日記
12/2 月
午前休。
久しぶりに転職を本気で考え出す。この先ずっとフル出勤する気力と体力を私は持ってない
矯正のゴムを変えた。わずかに引っ張られの感覚がある。
12/3 火
昼の耳鼻科の予約を忘れてしまっていた。ことに、昼過ぎに気づいた。あ〜。
後輩の「お先に失礼します」に「お先に失礼します」と返してしまった。だめだ今日も。
帰りの電車の中で某アプリのTOEICオンライン模試(30分版)をやった。30分版やるのこれで3回目だけど、毎回結構良い(目標)点数が出るので、信じて良いん…ですか……?と思う。信じちゃいけねぇ、と思う。難問問題集みたいなのやるとぼろぼろになる。難問じゃなくてもPart5はぼろぼろになる。私と同じくらいのスコアを持っている人は、普通もっと文法とか品詞をちゃんと理解してると思う。逆に私のこの理解で950点超を達成したらアツいな?
12/4 水
12月って毎日何か(漫画のキャラの誕生日とか)があったような気がしてしまう。実際は知らないんだけど、誰かの誕生日が設定されてるような「気」が毎日してしまって、ずっと頭の隅にそれがある。
久しぶりに22時過ぎまで残業していた。最近体調不良で午前休とかしてたから仕事が溜まってた、というわけでは本当はないのだけど、チーム外からはそう思われてるだろうな。
ツテで来週の文楽の公演のチケットを2枚もらった。
いちばん食いついてくれる実家の叔母は都合がつかないというので、いつメン(?)LINEのグループチャットで募集をかけた。差し迫った平日夜の誘い、急すぎて30代社会人にはダメ元とはいえ、3人、4人と既読がついて何も返信がないと「分かってるけどスタンプのひとつでも送って反応してくれ」と思ってしまうのだけど、これは傲慢、demandingなのだろうか。決めうちで個別に聞く方が返事を丁寧に考えなきゃいけなそうで、少人数のグルチャで聞いた方が断るのも気楽にできるものかと思っているけど、この感覚もズレてる?
グループの全員から「非常識で独りよがりなやつめ。あーあ、こっちに精神的コストをかけさせるやり方してきて、本当にダルいやつだなぁ…」とか思われてるような気がしてきて、どんどんネガティブになってきた。
(程なく別のコミュニティに尋ねたところ、無事行きたいと手を挙げてくれた人がいた)
残業と気疲れでネガの底に落ちてしまった。
最初のグループでなかなか反応がなかったことに落ち込んだのではない。それを端緒にどんどん己の中でマイナスと自己卑下を増幅させていく自分の思考が本当に嫌で悲しく、寂しいやつだと思った。
日付が変わる前に最寄駅に着いて歩き出した。吐き気がする。多分眼精疲労と空腹のせいだけど、吐き気の中でネガティブ思考になるのって最悪だ。寒いし。
自分が孤独を避けるハードルは並より高いだろうと、この頃よく思う。環境からも環境から育まれた人生観からも。
並より、は不用意すぎるかもしれないけど、少ないなりに属してるコミュニティの中で、少なくとも私が把握している限りでは、孤立の因子が多いのは事実だと思える。親の状況、きょうだいの状況。仮に今ある状況のまま時間が進んでいったとして、近しい人々と比べれば、求める求めざるにかかわらず、自分は孤独になるのが簡単だと気付いた。
気付いただけでそれを避けるための方策、つまり例えば結婚とか、友人関係を広く持つとか、を取りたい、取ろうと思えるわけでもない。人間それとこれとは別。別でしょ?
だから余計に孤独が近いと思う。
孤独=独身という意味でもなければかかわりの数が多いことを孤独じゃないと言っているわけじゃない。ただ自分の心が寂しく、内向的で、猜疑心に満ちた価値観だからそう思う。
吉本ばななが著作の中で「幸福とは人生の中でどれだけ孤独なのだと感じずにいられる時間が長いかで決まる」みたいなこと(うろ覚え)を書いてた、というのをXで見た。その価値観からしたら私と幸福は遠いなと思う。吉本隆明を敬愛する父から吉本ばななと同じ古事記由来の名前をつけられているのだけど。
12/5 木
来週末にヒラケイ先生のディナーパーティーに参加する予定だ。まだちょっと怯んでてキャンセルするか迷ってる。
その中で、今年読んだおもしろかった本の交換会、というイベントがある。ということを今日思い出した。
それで今年を振り返ってた。
わたし今年なにしたんだよ??
漠然と振り返る時はいつも「今年はいろいろ挑戦したな〜」と思っていた。結構満足度の高い年になったのでは?という気がしていた。
しかし読んだ本は全然出てこない。というか、あまり読んでない?どうやらそのようだ。読書記録、今年の途中までとってたのに、うっかり捨ててしまった。しかもその内容をびっくりするほど覚えていない。そのことに対するショックがある。
•新潮の何号か
•文藝の何号か
•津村記久子『この世にたやすい仕事はない』
•三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』
•宮崎智之『平熱のままこの世界に熱狂したい』
•品田遊『納税、のち、ヘラクレスメス のべつ考える日々』
•榊原紘『推し短歌入門』
•平野啓一郎『富士山』
本当に思い出せる読んだ(読んでる)作品がこれしかない。まじで?
『私の最高の彼氏とその彼女』は今年の春先だと思ってたけど、去年の12月だった。
じゃあ絶望的に小説読んでないのでは?『この世に〜』だけ?確か手に取ったのは、先輩が退職して自分の向こう数ヶ月のワークが修羅になることが確定した8月頃だ。
それまで、小説を、読んで、いない?本当に?
あり得るのかもしれない。春までTOPIK、夏秋は忙殺だったから。でも不甲斐ない。
読書量はさておいても、今年いろいろ挑戦したなと思うのに、いざ記録的なものを振り返ったらあまり証拠がない。ふつう逆じゃない?
12/6 金
人間
↑これだけ打って一時保存してあった。今は日曜日の夜。まとめて書こうと思って立ち上げたらこれ。一体…?
何を思ったか仕事終わりに近所のバーに行った。お酒が飲みたいという気持ちはあった。日曜TOEICなのに。日曜なら良いか、と、ハロウィンの頃以来行っていない近所のバー(その時が初回だったんだけど、常連さんたちのハロウィン仮装パーティの日で、ドアを開けるなりスプラッターたちの視線と沈黙に襲われた。)に行った。前回、初回割的な感じでお会計をちょっとおまけしてくれたので、もう一度行かなきゃとは思ってた。だとしてTOEICを控えた夜じゃなくてもね、と、今となっては思っています。
いつもスコッチを掘り下げているんだけど、今日はテキーラかジンあたりが飲みたい気がして、マスターにそう伝えた。で、まず勧められたライを飲んだ。BULLEIT 95 RYEってやつ。Sosoって感じだった。やっぱりスコッチの方が良いなと思った。でも2杯目も勧められるままに、テキーラを飲んだ。Agavales Plata Tequilaってボトルに書いてあるけど、これが名前なのかな。Agavalesピュアテキーラって意味なのかなと推測しているけど調べはしない。
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常連さんたち(席の都合上必ずしも隣り合っていない)は話している。私はその間の席で一人で飲んでいる。こういう時、離れ席の常連さんは急に会話に入ったり、一人の私に話しかけてきてくれたりするけど、私自身の振る舞いの正解がわからない。話しかけられるのは気を遣われているなあと思う。こういう場に一人で来るからにはそのコミュニティに新たに加わる覚悟がないといけないのだろうか。話しかけてくれる方も疲れるんじゃないのと思う。これって隠キャだから? 別のバー(もっと閑散としたところ)に拠点を移した方が良いのかもしれない。それか家酒だけにしていくか。
12/7 土
昼過ぎまでベッドの中にいた。目が覚めたのが11時過ぎで、起きるか〜となったのが14時前。完全に夜の酒のせい。
持ってる腕時計が全部止まってて、秒針もないタイプだから、TOEIC用の時計は、電池交換より100均で見繕おう、と思っていた。今週ずっと。平日は100均が空いている時間に帰れなかった。
近所のキャンドゥへ行く。アナログの腕時計がない。ダイソーへ行く。同じくない。Xではみんなあるって言ってるのに。うちの近所の100均にはアナログ腕時計がない。スーパーにもドラストにもない。
バスに乗って阿佐ヶ谷に行った。阿佐ヶ谷のダイソーならあるだろうと思って。よしんばダイソーになくても駅ビルの雑貨屋で絶対に売っている。結局ダイソーで買えた。500円だった。交通費も考えると940円の時計だ。
本屋で仲良くさせてもらっている社員さんと孤独の話をした。4日の日記で吉本ばななの幸福論(単に登場人物の思想かもしれない)について書いたけど、父親の隆明は「孤独は強い」みたいなことを言っていたらしい。
店頭で見かけたバカボンのパパが表紙の本の幸福論を、個人的には採用したい。
「幸福とは今日もおひさまが昇ること」って書いてあった。「幸福とは新しい自分と出会うこと」とも。(いま見たらバカボンも表紙にいた)
12/8 日
今日。今。TOEICを受け終わって池袋のスタバで反省を込めて日記を書いている。
TOEIC爆死した。まさかの時間が足りなくてラスト数問なんか本当に色塗り。
これはきっと自己ベストに達していないどころか、800点台かもしれない。950点以上とるぞ、とってTOEIC受けるのをやめるぞ、と思ってたのだ実は。受けるのやめるぞって書くとまるでほぼ毎月受けてる人のようだけど、2021年上半期に受けて以来受けていない。その時は自己ベストの935点に届かなくて915点。一般的には上々だけど、950以上取りたいよな…と欲目が出る点数だ。でも仕事で評価されるわけでも、評価される場に出るわけでもないから、しばらく受けないまま今日に至った。
まあ、本当のところは「まさかの」なんて言う資格はないんだろう。今回、本で買った対策本もやりきっていないし、何より200問丸ごとの模擬試験を1度もやっていなかった。
990点対策本を買ったのは良いけど、それがきっかけで知ったabceedというアプリがめちゃくちゃ便利じゃん!と思って、そればっかりやっていた。いや本当に便利なんですよ。特急シリーズとか2、3冊こなせた。勉強時間はそれなりに費やした(今週だけで学習時間700分以上)し数もこなした、30分版のオンライン模試も何度かやって、予測スコアも悪くなかった。
でも所詮予測は予測。30分と120分では費やす体力も集中力も違うし、実際にマークシートを塗りつぶす負担もない。
反省点は
•勉強時間の記録や点数予測のような目先の報酬ばかり追いかけて、フルボリュームを実際に解くことを怠ったこと。
・買った本くらい2、3周するべきだったこと。
経験上分かってたはず、なのにできていなかったのが不甲斐ない。新しいやり方に惹かれてしまった。abceedは本当に便利だと思います。私が使いこなせなかっただけ。
そんななので、1月26日のテストを申し込もうか迷っている。
高スコアを出したいなら間を空けずに受けた方が良い。結果を出さないといつまでも韓国語の勉強に踏ん切りがつかないというのもある。申し込み期限は12/12。
TOPIKの方を4月を見送って、7月に受けることにしようか。
文フリの作品は2月いっぱいで一旦書き終えることを目標にしようという話になっている(※相方はストックがあるので納期に追われているのは私だけ)。
2月半ばにはフルートの発表会参加予定だ。
あれ、相変わらずやりたいことで溺れそう。体力と気力は、間違いなく、人よりないのに。
でも結局こうやってたくさんの野望に溺れる自分も嫌いじゃないのだ。TOEICも韓国語もフルートも、できない自分を認めたくない許したくない気持ちは未だにあるけど、昔より「できなければ私の存在には意味がない」「やりたいじゃない、できないとダメなんだ」という強迫観念がなくなってる気がするから。TOEICの問題を解いていると、確実にゲームよりは好きだな、と思う。私が好きでやってるんだ、と思える。
日食なつこの「エピゴウネ」にも以前より精神を追い詰められない。分かんない、季節とか忙しさとかで、また打ちのめされてしまう日もあるかもしれないけど。