弘前ぶらり旅:弘南鉄道大鰐線(2024年12月29日)
「 #外崎修汰 選手を応援する会」の開場は午後5時30分でしたので,それまでは #弘前市内 を散策しよう!
とは言っても,#青森県内 では同日まで雪が降り続き, #弘前市 で84cmの積雪は,12月歴代1位の記録(『東奥日報』,2024年12月30日,1面)。それでも,♪知らない街を 歩いてみたい♪。ワークマンの「滑らない靴」を履いて行ける範囲で,ぶらり旅をしてみました。
1.弘南鉄道大鰐線の沿革
弘前には,JR #奥羽本線 以外に, #弘南鉄道 という #地方私鉄 が運行しています。その路線の1つである #大鰐線 は,もともと戦争直後の1949(昭和24)年に #弘前電気鉄道 として設立され,1952年に #大鰐 - #中央弘前 間が開業しました。1970年に弘前電気鉄道が経営権を弘南鉄道に譲渡し,大鰐線と呼ばれるようになりました(弘南鉄道株式会社サイト,会社沿革)。
この大鰐線の運行が2027年度末で廃止を前提に休止される……という報道が,先般発表されたのです(読売新聞オンライン,2024年11月28日)。今後,弘前を何回訪問できるかを考えると,これは乗りに行かなければならない思いにかられました。
2.中央弘前駅のロケーション
中央弘前駅は,JR #弘前駅 から西へ1kmほど離れた「辺鄙」な駅。なぜこんな辺鄙な場所に,「中央」と名づけた弘前側の起点を作ったのかと思ってしまいます。
実は,戦前期までは #弘前城 に近いほど #郭外 の商人町として賑わっており, #国鉄 の弘前駅付近のほうが町外れでした(今昔マップ on the web,弘前,1939年)。発車5分前から改札を開始。それまで乗客は,待合室で暖を取っています。
3.東急車両のなごり
大鰐線の車両は,オールステンレスの元 #東急 7000系。1960~80年代に東急 #東横線 で走っていたので,我々東京育ちの団塊世代Jr.にはなじみ深い形式です。東急時代の面影は現在,車内のつり革に残っています。
握り部の輪は, #りんご をイメージして赤く塗られたものの,革に巻かれた広告部分には,「 #東急百貨店 」や「 #東横のれん街 」の文字。かつて #渋谷 の象徴だった東急百貨店の #本店 ・ #東横店 は,いまや共々閉店し,東横のれん街は東横店から #ヒカリエ ShinQs に移設されています(東急百貨店サイト,渋谷ヒカリエShinQs,東横のれん街)。しかし,こうした名称が渋谷から遙か遠い地方へ疎開した車内に,いまだ忘れ形見として掲げられているのは,時空を越えて感慨無量の気持ちを押し寄せさせるものです。そして,この旅では,もう一度「渋谷」を意識させられる出会いが待ち受けています。
大鰐駅までの所要時間は,約30分。終着地は猛吹雪となってしまい,駅からの出場を断念。同じ車両に乗って,中央弘前まで引き返しました。