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歴史教育と歴史学

年が明け、教え子たちの受験も近づいてくる1月の中旬。毎年、この季節になると行われる国公立大学の1次試験。共通テストに関連する話題を記述しておこうと思う。
と言っても、思考の掃きだめのようなものなので小見出しなどは割愛しようと思う。

タイトルにもある歴史教育とは、大学以前の教育機関で学習する歴史教育のことを指し、私の言葉で呼ぶと「覚える日本史」と呼んでいるものである。
この教育方法は単純にアンチが多い。「日本史は丸暗記ではない!流れで覚えよう!」と言うように、否定されがちである。

逆に大学で行われている学問としての歴史教育は、私の言葉では「考える日本史」と呼んでいる。集団予備校と個別指導でそれぞれ1年間、大学受験に携わってきたが、どうも受験生はこちらが苦手らしい。(私の身の回りで、この部分の発想力と考察力が優れていると感じた同級生は少ない)

正直言うと、この2つの日本史は自動車の車輪のようなもので、片方だけで独立するものではないだろう。どれだけ、歴史上の人物を覚えていても、論述問題は解けないし、どれだけ、歴史的考察力が優れていても、単語を知らなきゃ論理は組み立てることはできない。

しかし、現在の大学生、及び高校生は「覚える日本史」の部分しか強化されていないように感じる。私の周辺にいる、史学科の学生もただ1人を除いてそうである。

このような現状の原因は、クイズ大会状態となっている大学入試の日本史だろうなと思う。クイズ大会で点を取るには、知識を身につけることは必要条件であろう。そのような1次元的な問いだけを入試で問うから、毎年の春先で「史学科の被害者」が生まれるのである。

とは言っても、私立大学で考えさせるような問題を出題するのは、採点に時間がかかるというジレンマがある。それに、昨年度に20題ほど作問を行ったが、論述問題無しで考えさせる問題を作成することは難しい。思った以上にこの問題は根が深そうである。

「考える日本史」を目指した、共通テストも今年で3回目。私と恩師の予想では、2桁を迎える前に挫折すると思っているが、どうなるだろうか。(と言うよりも、模試を作成する予備校側のアイデアが枯渇するそう。このチキンレースの勝敗も楽しみである)

高校までの教育と大学での学びというもののギャップをどのように埋めていくかが、今後の歴史教育の課題であり、解決するべき至上命題になるだろう。実際、私の場合は、「覚える」「考える」を問わず「日本史」が好きだったため、何もなかっただけで身の回りにはこのギャップに戸惑っている人間は多い。
私も1人の教育者として、この問題について考えていきたい。 

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