5月4日日記

2022年5月4日

今日はみどりの日だそう。
お昼を食べに行ったフレンチレストランのソファが緑色で、緑色のポロシャツを着ていた父が完全に同化していた。緑色のポロシャツから日本人離れした色に焼けた還暦過ぎの少し皺のある腕が伸びていて、ほとんど木だった。

人語を操る木の精霊となった父は昼から赤ワインを水のようにぐいぐい飲み、いま一緒に働いてる人間がどうだとか、昔イタリア出張で行ったバルがどうだったとかなんだか話していた気がするけどほとんど聞いていなかったので詳しいことはなにも覚えていない。木の精霊は少しばかり話が長い。


待ち合わせの時間に颯爽と遅れてきた幼馴染とスペインバルに行った。さりげなく車道側を歩いたり、メニューを一緒に見るときにわたしの方に向けてくれたり、店員に人当たりも良かったり、そういう小さな気遣いをさらりとできる男であったなそういえば。と思った。

20年来の付き合いとはいえ頻繁に連絡を取り合っていたわけでもなく、二人で飲みに行くなんて初めてだった。時間の経過によって多少の容姿の変化はあれど、そういう品格が滲み出るみたいなところが変わっていなくて良かったなと勝手に安心した。VIOの脱毛が痛すぎてたまに泣いているという話もとてもよかった。


数年まともに話していない間にわたしの耳にピアスが7つついていようと腕にタトゥーが入っていようと引くことも否定することもなく、素直に褒めてくれて、まるで昨日も会ってたみたいにフラットにいてくれる人が幼馴染としていてくれることはとても恵まれているなと思う(もちろん理由は他にもたくさんあるけど)。人間関係とか、人との距離感とかにほとほと疲れてしまっているわたしには、気取らず、こちらにも気取らせない態度でいてくれる人がとっても救いなのだと思う。幼馴染の父親ですらわたしたちの関係性を羨ましがっているくらいである。その父親も我もの顔で「ただいま」と家に上がり込むわたしを平然と迎えてくれるのだからありがたい以外の気持ちがない。

実家から徒歩15秒のオアシス。やっすい言葉で言えば第二の我が家。わたしのことを大事に思ってくれている人はわたしが思っているよりもたくさんいる。その事実が嬉しくもあり、時にどうしようもなく苦しくもなるけれど、きっとそれは尊いものなんだよな。安易に放り投げたり落としたりしないようしっかり抱えていなければ、と今日という日の石碑に刻む。

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