わたしへ

前はもう少し元気だった気がするんです。

お風呂に入らず変な時間に寝ちゃって変な時間に起きちゃっても、取り返すようにサカサカ動いて巻き返しの活動的な夜更かしをしたりしていたんです。

仕事が終わって帰ってからやりたいことがぽつぽつと頭にあってそれを楽しみに帰っていたんです。
やりたいことではなく、家事などやらなければいけないことでもそのタスクをこなす事を楽しみにしていたんです。

食べたいものがあったり、行きたいところがあったり、会いたい人がいたり、したい話があったり、見たいテレビ番組があったり、もう少し生活に色味があった気がしています。

気心知れた人と美味しいものを美味しいね、と共有しながら食事がしたいんです。ただ人を誘う体力がないだけなんです。共有したいと思うくせに、会話をしないとと思うとひどく大変な作業に思えてしまうんです。

終業後も、誰かと話をする夜があって欲しいんです。
機械のデータがとち狂っていて調整するわたしの頭が狂いそうだったとか、〇〇職場のあの人のシルエットってワンピースのタマゴ男爵と同じじゃない?とか、とらやの栗おこわが美味しそうすぎるとか、夢の話しちゃうけど好きな男が出てきたんですけど!とか、iPadで写経書くのハマってんだよねとか、そういう、わたしの頭の中で垂れ流されてることを放出するタイミングが欲しいだけなんです。

きっと声をかけたら話を聞いてくれる人はいて、だから声かければいいだけなんですけど、でも聞いてくれるってことはそこに人がいるって事で、それを想像するとやっぱりエネルギー消費がすごくて。

干しっぱなしの枕カバーを取り込みたい。
ゴミとか髪の毛とか落ちてるなとか思いつつ何も出来てない床を毎日ちゃんと掃除したい。
お昼ご飯だって作りたいし、常に浄水器に水が入ってる状態にしたい。
溜めることなく使った食器を洗いたいし、買い物に行って広げたエコバッグをすぐに畳んでしまいたい。

出来ないはずはない、だって出来てた時があるんだから。
だからこそなぜか出来ない自分につらくなる。
理由もわからずただの惰性かな、意志の弱さかな、とか思ったりしちゃって。

こんなネガティヴの塊を文字に起こして残しておくことに意味はないのかも知れないけれど、放出することで整理できたり楽になったりすることがないかな、と思って、というのはかっこつけた理由で、自分でも自分の思考がわからなくなってきてしまったので、客観的に自分に向けて共有したかったんです。わたしよ、世界はそれを整理と呼ぶんだぜ。

この元気のなさに解決策があるのかわからないけど、わたしが鬱々としている間にも朝は迫りまた夜も迫り更には明日の仕事の時間も迫ってる。

わたしが、何もしとうない!ほっといてくんろ!って立ち止まって地団駄踏んでても、容赦なく時間に引きずられて明日に連れてかれるのよ、ひどいよね。

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