インスタ、アンインストールしました。
2023年9月2日。
わたしは、アカウントを残す形で
インスタをアンインストールした。
このことは、SNSのことで悩みがあるたびに、
いつも頭の中の思い浮かぶのが、これだった。
インスタのことが頭に浮かぶってことは、
依存していると言えるのではないかと私は思う。
1 インスタをはじめたとき
はじめて、インストールしたのは、中学卒業時。
今まで、ガラケーだったから、すごく新鮮だった。
ストーリーをあげられる、DMができていつでも友達と繋がれる。
それが、すごく嬉しかった。
でも、それと同時に、
友達の投稿を見ると、嫉妬してしまうという
怖い部分が見えてきた。
2インスタの誕生日ストーリーってなんのためにあるの?
高校にあがってから、気づいたこと。
それは、友達の誕生日をインスタのストーリーで祝う
という、よく分からない風習。
これは、いつからあるのか分からない。
なんであるんだろう?と思うと同時に、
自分の誕生日をストーリーで祝ってくれるかな?という
あわい期待もあった。
友達が祝われているのを見て、
自分で言わなくても、祝ってもらえるなんて
うらやましいと思った。
なんで、こんなわけのわからないものがあるのか?
不思議でしょうがなかった。
3自分の誕生日を自分で祝うことにつかれてしまった
私は、夏生まれだ。
だから、ほとんど誰にも気づいてもらえない。
自分で自分への誕生日ストーリーをのせる。
そうすることで、誕生日なんだよ!って周りにきづいてほしかった。
そういったことを過去に2回した。
そしたら、
それをすることすら、疲れてしまった。
無気力になった。
4そして、友達のインスタを見ることに苦痛になった
友達の誕生日ストーリー。
ディズニーに行った。
海にいった。
旅行にいった。
こういったことを、あげるのはいいと思う。
でも、それらに嫉妬している自分が怖かった。
むしろ、そう思う自分に、
どういった対処法をしたほうが、いいのか。
頭を抱えた。
5インスタを消してから、今思うこと
インスタをアンインストールしてから、1週間。
今でも、インスタの存在は探してしまう。
でも、話したい友達とLINEできる楽しみ。
好きなYoutubeが見れる。
こういったことが、心から楽しめることができるになった。
もしかしたら、私は、
インスタなどと行ったSNSはむいてないのかもしれない。
そこは、まだわからないけど、
すこしずつでいいから、
自分にあったSNSの使いかたがみつかりますように。
DMを見るためにインストールして、アンインストールするという形でも、ひょっとしたら、自分にはあっているかもしれない。