連載小説 魂の織りなす旅路#45/失明⑶
【失明⑶】
「マンションってね、窓が1つしかないの。ベランダに通じる窓だけ。ほかの3面は分厚いコンクリートに覆われていて、仕事をしていると息が詰まっちゃう。独立したときに帰ってくればよかった。」
独り身の娘は数年前に独立開業し、在宅の仕事をしている。社会人になってからというもの、この家に帰ってくるのは盆と正月だけで、それは独立開業後も変わらなかった。
娘が30歳になったときお見合いを勧めたが、「結婚は考えていない。これから先も結婚するつもりはないから、もうこういう話はしないでほしい。」と言われた。仕事に専念したいのだろうと、それ以来結婚について話題にしたことはない。しかし、彼氏くらいはいるだろうし、娘の人生の足枷にはなりたくない。娘がいなくても自立した生活ができるよう、僕は訓練に励んだ。
娘は急速に視力が低下していく僕を目の当たりにしても、まったく動揺を見せなかった。それよりも僕が失明したときのための工夫に夢中なようで、僕が気づかない細部にまでこだわり、あれやこれやと準備してくれた。
おかげで訓練により身が入るようになった。さまざまな生活音に耳を澄まし、指先の感覚を研ぎ澄ます。今まで無意識に聞いていた音を意識的に聞きとり、指先の腹に神経を集中させる。そこには目が見えなくなっていくにもかかわらず、世界が開けていくような不思議な感覚があった。
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