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僕はアイギスが嫌いだ【エピアイレビュー】

ペルソナ3は話題に事欠かないタイトルだと思う。
革新性を提げてシリーズ最新作を走ってみれば古参ファンからは「こんなのペルソナじゃない」と叩かれる。追加コンテンツを出してみれば非難の嵐だ。

もちろん、当時の僕もプレイしていた。
PS2無印で1周。アペンド版で2周目をする前に、後日談をしっかり遊んでいた。

正直な話、後日談のことをすっかり忘れていた。
「ああ、そんなもんもあったな」程度。だから、エピアイ配信開始と聞いても「へぇ」程度だった。

色々な声が聞こえてくる中、「やらなきゃなぁ」と思い、ようやっとプレイ。
そしたら記憶の蓋が外れて、閉じ込められた感情が一気に蘇ってきた。

結論:やっぱり蛇足

思い出したぞ。思い出したぞこんちくしょう。それと同時に後日談の見方が変わってきた。

この記事では、P3ファンたちが後日談の何に怒っていたのかを考察し、それについての僕の考えを書いていく。普段のレビューとは違う形になると思います。

先に書いておきますが、僕は後日談を「どうでもいい」と思っています。あってもなくても別にいい。特別な感情を持っていない。後述する一部分で特に怒ってるけど、それは他の作品にも言えることだしなぁ、という感情です。

※本記事ではEpisode Yourselfを本編、Episode AEGISを後日談の表記で統一します。
※ネタバレありです。ご容赦。


ファンたちの怒り

後日談への批判はこれまでたくさん目の当たりにしてみた。
特に統計をとったわけじゃないけれど、怒っている人は大体4つに大別できるかなぁと思って分けてみました。他に意見があれば遠慮なくどうぞ。

怒り① 前提が無理

あまりにも美しすぎるラスト

スクショで振り返ってみても鳥肌が立つ。なんと素晴らしいEDなんだ。

ただ同時に、卑怯な演出でもあると思う。

本編のラストでは「死そのもの」という抽象概念に絆の力で立ち向かうという大抽象バトルが繰り広げられていた。プレイヤーの多くは「主人公が特別な力を発揮してなんとかしたんだろう」という理解にとどまり、間髪入れずに流れてくる「キミの記憶」でノックアウトした。考えることをやめたのだ。

大いなる封印に全てのHPを使う理由や死そのものをどのように封じ込めたのかについて、各個人の結論を出す前に、激アツ展開だけでEDまで走っていってしまった。

開発者としては「分かりやすく結末を提示した」つもりだったという。
でも、演出方面に振り切ったことで、解釈をプレイヤーに委ねる形となってしまったのだ。

前置きが長くなった。
つまり、「キタローの死を受け入れられない」というのが怒りの1つだ。
僕はこれに対して真っ向から反発する。

もちろん、作品を楽しむ上で、受け取り手がどう解釈しようが責められることではないと思う。キタロー死亡説とキタロー生存説が同時に存在することは正しいと思う。それこそ解釈次第だ。

僕はキタロー死亡説が正しいと思っている。正確にいえば、生存説は正しくないと思っている。

それは本編を見れば明らかだ。「死そのもの」が迫ってくるからS.E.E.S.のメンバーは取り乱したし、あれだけ感動的な結末を迎えられた。
脇を固めるコミュだってそうだ。「死」をテーマに一貫していたからこそ、僕にとってはコミュメンバーも輝いている。

キミへの感動だって「死」あってこそだ

「キタロー死亡説」が受け入れられないのなら、それでもいいと思っている。別に僕は石を投げるつもりはない。各個人の中でその思いを大切にしまっておいてほしい。

でも思う。そういう人たちは「後日談のお客さん」ではない。
公式が出した結末が受け入れられないから後日談を叩く、というのは僕としては受け入れられない。

それは別な話だ。矛先が本編に向かうならまだしも、その感情でもって後日談を叩くべきじゃないと思う。

本編で感動し、後日談で落胆したあと、P4Uでエリザベスの話を耳にしてその先の展開を妄想するのが、僕としては綺麗な流れだと思う。

怒り② 展開が無理

あらすじだけ追ってみると、僕は後日談のシナリオが大好きだ。
だから、この項目でも真っ向から反発する。

本編で築き上げた絆はなんだったのか。
エピローグで仲間割れするな。
こういう話が見たかったんじゃない。

色んな意見があると思う。
でも僕は色々飲み込んで「賛」だ。後日談の路線を過度に叩く必要はないと思った。

僕は後日談を「もしも自分が死んでしまったら?」というお話で捉えている。

誰しも一度は思うはずだ。自分が死んでしまったらどうなるだろう。親は泣くかな。友達はどんな表情をするかな。葬式には誰がきてくれるかな。

それを叩きつけようとしたのが後日談のシナリオだという解釈だ。そして僕はこの路線を強く支持したい。

これには大きく2つの理由がある。

1つ目は、「ペルソナ3じゃないとできない話」だからだ。

本編がもたらしたゲーム体験は、まさにもうひとつの日常だった。4月に転校生として編入し、シャドウ討伐や日常生活に明け暮れ、12月を迎え、1月の決戦を終えた。

あの日常やあの世界で暮らす人々に愛着を持てていないと「もしも自分が死んだら」という仮定をもろに食らうことができない。

つまり1作目から「自分が死んだあと、仲間がどんな反応をするか」というゲームを作ることはできないのだ。

乱暴に言えば、本編は壮大な前フリだ

本編での感情移入が後日談のカタルシスに繋がる。後日談のシナリオがそれに足るものだったのかはさておき。

そしてこの路線のお話は、「アトラス」が開発する「ペルソナ3」じゃないと、説得力を持たない。古くからメガテンをパブリッシュしてきたアトラスが、「メメント・モリ」を題材に作り上げたペルソナ3じゃないと成立しなと思った。こういった視点から僕は後日談のシナリオを擁護する。

もう1つは転換点であったということだ。

色んな記事で考察しているように、僕はペルソナ3を転換点だと思ってる。それはP1,2とP4以降の狭間にあるということだ。

女神異聞録の文字から漂う初期アトラス臭を払拭し切らなかったのがペルソナ3だ。頑張って言語化するのであれば、スタイリッシュさやモダンな感じを醸し出してマス層を狙いつつも、奥底には「これまで強烈な作品を送り出してきたんだぞ」という矜持を感じる。

「とっつきやすくしてみました。でも、まだまだこんなもんじゃないっす」

前半がP4以降だ。後半の部分がP2以前だ。果たして僕の想いは伝わったのだろうか。

後日談の展開に異議を唱えているのはマス層なのだと思う。
P3が開拓したオシャレでクールな路線に浸っていたのに、急にメガテン的な殺伐とした世界観を叩きつけられる。この温度差に驚いて拒絶反応を起こしているのではないかと考える。

名台詞をそのまま収録。
サンキューアトラス。これがなかったブチギレてた。

コロッセオ以降の展開は後日談として素直に面白いと思う。
思想信条の違いで対立するだなんて、メガテンでは日常茶飯事だし、メガテニストとしては垂涎ものである。

ただ単に仲間割れをしておけばいいということではない。カタルシスが必要なのだ。

真1が物語の中盤までヨシオ、ワルオと一緒に過ごしていたように、「こいつらは頼りになる仲間だ」と思わせてから、それをバキバキにぶち壊してほしい。

その点で言うと、3以降のペルソナは格好の題材だ。他のRPGとは段違いに愛着が湧くし、思い入れもある。そんな仲間だからこそ、思想の違いで対立したい。その時の感情の揺さぶられ具合は、真4F皆殺しルートの比にはならないと思う。こういったゲーム体験はアトラスが昔から僕たちにもたらしてくれた面白さの一つだと思う。

「本編の感動はなんだったんだ」という批判がある。

でも、それはそのまんま裏表だ。
本編が素晴らしかったからこそ、僕らは後日談に怒っているし、キャラクターたちがこんなにも取り乱しているんだ。

間違いなく、あんたがヒロインだぜ

この醜悪さがそのまま「自分がいなくなった後の世界」を体現してくれていると思う。

彼らの痴態を覗きたくなければ、本編だけで終わらせておけばよかったのだ。でも、アトラスはリロードでもしっかり作ってみせた。

これは「3以降はペルソナじゃない」と石を投げる古参に対して、一種のアンサーなのではないだろうか。

願わくば、もう一度こういうペルソナが見たい。
P4であった、花村黒幕説。ああいうダークなペルソナを見たい。

社会風刺にとどまらず、プレイヤーをどん底に叩き落とすぐらいの訴求力・破壊力を持ったペルソナがやりたい。
僕がペルソナシリーズに唯一求めているのが、その路線だ。

だからこそ、後日談のダークなシナリオ運びを否定するわけにはいかない。

怒り③ アイギスが無理

これは大いに賛成する。というか、タイトルからしてみてそうだ。

僕はアイギスには大きく分けて2つの人格があると思っている。

それは屋久島で起動した時のTHE・ロボ娘のような人格。
もう1つは美鶴の父が亡くなった後の人間然とした人格。

空気が読めない感じのお騒がせキャラ。
こういうアイギスは好き。「なるほどなー」だけ言っててくれ。

僕は前者のアイギスが好きだ。非常に可愛らしいと思う。その愛着は一般的な二次元キャラクターに持つものと同等の感情だ。

しらねぇよ

後半のアイギスメインなシナリオ運びに強烈な違和感を覚える。
穿った見方をすると、ラストシーンの構図を作りたいがためにアイギスの特等席を用意したような気がしている。

そもそも、アイギスが命を手にする過程に興味がない。
僕の中ではヒロイン群の中の一人だし、好感度で言えば伏見千尋と大差ない。それぐらいなんだ。

膝枕をしてもらえる人を一人選んでいいよ、と言われたら真っ先に美鶴にお願いしたいし、それがダメならゆかりがいい。アイギスはそもそも候補にない。

全体を通して、サブヒロインの一人がしゃしゃり出てくる感が鼻につく。彼女がヒロイン街道を歩むだけのために、なよなよした共感性皆無のセリフを読むのが苦痛だ。

本編の経過とともに精神的に成熟していく仲間キャラとの対比もあって、未熟なアイギスの魅力が加速度的に落ちていく。だから僕はいつまで経ってもアイギスが好きになれない。

そんな僕にしてみれば、後日談は非常に不愉快だ。
なんでアイギスの目線でやらなくてはならないのか。
なぜアイギスがチヤホヤされるのを黙ってみなくてはいけないのか。

僕がやりたいのは「ペルソナ3の続き」であって、「アイギスが主人公のゲーム」ではない。それなのに、シナリオの本筋より前にアイギスの話を延々とされることは非常に不愉快だ。詳細は後述する。

オルフェウスはお前のペルソナじゃない
こういうところがマジで嫌だ

主人公交代というと、真っ先にペルソナ2が思い浮かぶ。
罪では達哉が、罰では舞耶がそれぞれ主人公を務めた。

その主人公交代には意義があったと思う。
達哉の罪を舞耶が回収する。その関係性は腑に落ちる。

でも、キタローにとってその存在がアイギスだったのかが理解できない。本編を終えた僕がアイギスに特別な感情を抱かなかったことが全てな気がしている。

後日談を遊ぶ=アイギスが主人公のゲームを遊ぶということになっているのが、非常に残念だ。

アイギスにも熱烈なファンがいることは重々承知だ。

先日、友人のアイギスファンに質問してみた。それはこの項目の冒頭で示したような「ロボ娘」か「人間然とした姿」のどちらが好きかというものだ。

意外なことに、「人間らしいアイギスの方が好きだ」と答えた。

僕が唾棄したアイギスの人格は彼の琴線に触れたようだ。これ以上は宗教戦争なので、口をつぐむことにする。

リザルトのこの顔は好き。ロボロボしてて。

怒り④ ゲームとして無理

ここまでの話は賛否両論があるお話だと思います。でも、この項目は許さない。

リロードでかなりマシになったとはいえ怒っている。異論は認めない。

初見HARDで遊ぼうと思って、数時間後にこれ。

2時間がパァ

この全滅で一気に記憶の蓋が外れた。

まず、PS2時代は強制ハードだった。その上ペルソナ全書もなしだ。ここまでならまだ許す。

許せないのは「弱点見切り」だ。

プレイをしながら、「なんかバトルが平坦だなぁ」と思っていた。それもそのはず。エピアイでは弱点なしの敵が存在する。弱点をつくことが戦略性の一つなのに、最初からゲーム性の一つを放棄してしまっているのだ。

おまけに弱点が存在しないボスまで存在する。弱点があったとしても、見切りのせいで1moreが発生しない。総攻撃でラッシュをかけることすらもできない。弱点ゲーで弱点を塞ぐ名采配。

本編で当たり前にできていたことが没収される。これの何が楽しいのか。

まさにペルソナ3ダウングレード。
本編で(一応タルタロスも含む)楽しかった要素を取り上げ、残った見窄らしいゲーム性だけで勝負する。なんなの、これ。

後の項目で記述するけど、コロッセオに到達するまでのシナリオが本当に面白くない。どうでもいい。しかもそれを数回やらされる。

何が楽しくて意地悪なだけの味気のないダンジョンを潜り、本編よりも面白くなくなった戦闘をこなして、別に面白いわけでもないシナリオを見ないといけないのか。

バトルを楽に戦うためには、結局物理偏重ゲーになる。メルキセデクのゴッドハンドにお世話になったことを唐突に思い出した。

何が悍ましいってリロードでもこの感想だということだ。原作だったらもっと酷かったんだろう。あまりに酷すぎて記憶から消去していた。

数時間プレイした後、真っ当にやるのがバカらしくなって、ぬるぬるっとクリアしました。エピアイに真摯に取り組むぐらいなら、本編2周目行こう。それかメガテンで遊ぼう。

評価点と不満点

評価点

すでにだいぶ擁護したので、出しきったと思いますが。あとは細々としたものを。

中身の部分は次の項目で批判するけども、大枠とかは悪くないと思うんだよね。

それこそ、アトラスができる話運びだと思うし、ペルソナの説教臭さにうんざりしながら付き合っている古参はこういった刺激が欲しいと思うんだ。

後日談批難ムード一色だと、なかなかこういったチャレンジングなシナリオに持っていけないと思う。でも、今のペルソナだからこそ、こういった路線もありだよって伝えたい。このまま丸くおさまっていったら、それこそアトラスらしくない。

これは「大いなる意志なのかな」とか思ったりして

でも、令和の時代にこの後日談をパブリッシュしたのは本当に偉いと思う。

リロードを作り切って、煙に巻くこともできたわけだ。
リロードで獲得したファンが反転アンチ化することも十二分に考えられたわけだ。それでも出したんだから偉すぎる。いや、黒歴史扱いしろという声はわかるけども。

しかも、このリロードにおいて、だいぶ遊びやすくしてくれたと思う。
それでも残ったクソさは開発の贖罪だと思った。エゴだといえばその通りなんだけど、ある種潔くて褒めたいなぁと思う部分。

何よりも嬉しかったのが、結末を変えなかったところ。
キタローはずっと封印されていてほしい。これで真ルートとか出された方が萎える。それこそ後日談を擁護できなくなる。

例のムービーもマイルドに

何かと話題に上がるグロムービーだけど、これも特に何も思わなかったな。当時から特に気にしたことも無かったし、今改めて考えると「下品だなぁ」と思うぐらい。変更点は気になりません。むしろいい采配?

細かい話だけど、DLCで昔の曲を入れてくれたのも高得点。嬉しかった。
あとはFes版のMassDestructionだよね。文句なし。最高のお仕事。

さぁ、最後の不満点です。

不満点

ここで語るのは2つだけ。
「コロッセオまでのシナリオ」と「メティスの取り扱い」について。

・「コロッセオまでのシナリオ」

正直言って、かなり出オチ感が強い。「自分が死んだ後の世界」っていう設定は訴求力があるんだけど、そこからあんまり広がらなかったなぁという印象。

開発当時のことを考えると、予算もあまり降りなかったんだろうけど、それでもなんとか作りようはあったわけだ。それこそ、かつてのコミュメンバーの哀悼を覗き見るとか。

でも蓋を開けてみると、おもんないダンジョンの果てに待っているのは仲間の昔話。後日談で深掘りされてもなぁという印象。そういうのは本編が終わる前までにやっておいてくれよ。

無理を承知で言うけど、本編での行動に応じて各キャラの思い出が蘇るとかいう仕様でも良かったよね。クリスマスを誰と過ごしたか〜とかさ。
自分とは全く関係ない短編集を見せられているようで訴求力が薄い。そういうのはドラマCDでやってくれ。ゲームでやることではない。

コロッセオの衝突がカタルシスのクライマックスなんだから、そこに行くまでに気分を盛り上げて欲しかったなぁという印象。

臨場感マシマシ
こういうのが欲しかったわ

本編でベタ褒めしたムービーもほぼゼロだったし、演出面は結構不満。ちゃんと面白く作ろうとした?

・「メティスの取り扱い」

アトラス恒例追加シナリオでの謎女。
メティスとマリーはドベ。芳澤かすみがナンバーワン。

立ち位置としてはこの世界について説明する役回り+トリックスターなんだと思う。後日談はどこまで言ってもメティスに主導権があるし、彼女なくしては語れないと思う。

問題はそのキャラクター性だ。
順平が彼女をぴたりと言い当てているので、そのセリフを借りたい。

本当に男前になったよな、お前

この幼稚なメティスの人格に付き合うのが面倒くさい。

後日談の魅力のひとつとしてメティスとアイギスの関わり合いというのがある。まぁメティスはアイギスだから自己と向き合っているという解釈でもいいけど。

でも、後日談の硬派なプロットラインとチグハグなシスターフッドが全く噛み合っていない。明るくて幼稚なキャラが明らかに場違い。

そういうとこだぞ、お前

それは暗い雰囲気をぶっ壊そう! みたいな善意ではなくて、本当に空気が読めない小学生が混じっちゃった感じ。ゲーム冒頭からプレイヤーのヘイトを買いすぎてて、「どう処理すんのかなぁ?」と思ってたら、特に挽回する機会もないまま終わってしまった。

対照的なのは美鶴とゆかりのシスターフッドだ。

美鶴とゆかりの株が上がる名シーン。
これをムービーにしてくれよ。

本編で培われた人間関係が花開く場面。これは後日談で特に評価されるべきシーンだと思う。非常に良かった。

アイギス・メティスと美鶴・ゆかりの関係性がどうしても対比されてしまって、前者の稚拙さが鼻につく。

もう少しメティスに感情移入できる作りになっていれば、後日談への印象も変わったのかなぁと思った。それは、彼女もまた代弁者の一人だったということだ。

幼稚だから言えるセリフなのか

アイギスを失うことに対して、何の抵抗もなくNOを突きつける。これは仲間やプレイヤーがキタローを失うことへの代弁なのかなぁと思った。うだうだうだうだ考えて、本心を曝け出せないS.E.E.S.のメンバーを鑑みると希少な存在だ。

本来ならば、ここで感動しておかなければならなかったのだ。
それでも僕の胸を打たなかった。何も思わなかった。「メティスはそういう意図で作られたキャラなんだな」と思うばかり。2度目になるけど、こう思ってしまうことが全てだ。

「私の本当の名前は『ベラドンナ』」とかだったら笑う。
いや、そっちの方が燃えそうだな。やめとこう。

総評

後日談は蛇足である

エピローグのあり方を考えさせられた作品だった。

思い返してみれば、F、G、Rとペルソナの追加ストーリーは軒並み評判が悪い。強いて言えばRが少し巻き返したぐらいで、そのほかは蛇足と切り捨てても差し支えない出来だった。

それぐらい本編でのゲーム体験が完璧だったということだし、それぐらいの気合いを入れて作らなければ偉大な前作(本編)は越えられないというわけだ。だからP5Sが稀有な例なんだと思う。

ここまで色々と書いたけど、ペルソナ3の世界に浸れる作品であったことには変わりない。現に僕も再びペルソナ3のことを考えられたし、美鶴先輩最優先なゲームプレイをしていて、色々な思い出が蘇ってきてしまった。

ブリリアントですわ

「蛇足」という一言に尽きると思う。
あとは各々で補完すればいい。これだけ書いた僕でさえ、エピアイをプレイするまで忘れていたことだらけだった。

いつかキタローは救われるのだろうか。
この期間が長ければ長いほどカタルシスに繋がると思う。
解放されるその時を夢見て、薄い希望を持ちつつ、これからもシリーズを追いかけたいと思う。


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