わだちたち

1本に、1つに出来ないのかと、ずっと思ってきた。

点を線にするとか、一貫性を持たせるとか、戻るべき場所を持つとか、そういうことなのか。バラバラな自分を、たくさんの自分を、うつろう自分を、浮かんでは消えていくアイデアや感情を、時系列なのか、フォルダなのか、タグなのかでひとまとめにしたいと思ってきたし、きている。

いくらやろうとしても日記が続かないとか、おろしたてのノートに少しだけ何かを書いてほったらかしにしたりとか、そういうことばかりが連続して、「何も連続できない」「何も続けられない」「一貫性がない」「こらえ性がない」とないないづくしのような気分になっては勝手に自分で落ち込んだりしている。

けれどそこにゆるさを導入したらどうなるか、というのが今書いているこの文章の試みだ。

文章を推敲しない。敢えてしない。
ひとつひとつの完成度を下げる。
こだわりもなるべく捨てる。
ただし、続ける。形にしてみる。
という積み重ねで出していく連続性、一貫性。

と思ったら急に一貫性などは必要ないようにも思えてくるから不思議だ。
というよりも、一貫性とは「後からついてくるもの」なのではないか。
一貫性を持たせようという「考え方そのもの」が一過性のもので、
もし何かをやり続けたらそれは既に一貫性で、
どんなにバラバラであろうと、毎日寝て起きてご飯食べて、働いたり働かなかったり、セックスしたりしなかったり本読んだり走ったりしているうちにそれが轍のようになっていく。というかなっていた。

文章を書くことが特別なことのように思えたりもするし、思いたい気もするし、そこにすがりたい気持ちもあるんだけど、すがるのやめて書いてみる。
ひとまず今日はここまで。

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