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需要の有無から考えたら……。

先日から再開している『パイセンのラジオ』。「上手い下手について」考えた後、「美的感覚の更新について」というお題で、数回に渡って泰子先輩が喋っているわけだが、いきなり朗読から始まる回というのを作ってみて、ふと考えた。

朗読需要は独立してあるのではあるまいか。あるとしたら、何を読むべきだろう。
ここだった。ネットの需要を考えたらそもそも人が検索しそうなものを読んでおけば、それにひっかかって、人が来る可能性が高くなりそうだ。
人に見つけられるために朗読を利用するとなれば、相応の作品を探さねばならない。そして、ネット上にある朗読の調子に合わせて読まねば、朗読の需要には応えられないのかもしれない。声の出かたを聞かれて、それに合致しなければ数秒で再生停止だ。
と、ここで手が止まる。
検索されそうな作品で、朗読を聞きたいと考えられている、朗読の聞き手向け朗読。朗読の聞き手というターゲット層への訴求は、そもそも本来の血パンダの目的と合致しない。『パイセンのラジオ』どころか、血パンダという試み自体がマーケティングの結果発生したものではないわけで、劇団が発生する時点まで遡っての軌道修正は、本末転倒というものだ。

ネット上に何かを放流するにあたって、受け手が居るのかなんてことを考えたら、結局は世の中に既にあるフォーマットで、自分も好きで、かつ続けていけるものを発信していくしかないんだろうけれども、そこに自分の好みが無い場合、フォーマットと内発を折り合わせる作業は、どの程度必要だろうか。
血パンダからの発信は須く、日常の熱量の演技でも、演劇が成立するのではないかという試みと共通する立ち位置にあるわけで、そこを逸脱しても、我々の模索に有効なフィードバックがあるとは考えにくい。
いや、佐々木健一先生がプロ野球どこのファンか、簡単に情報がくる世の中(↑の動画参照)なら、インスタントに好奇心が満たされる、些細な満足感も捨てきるものではないにせよ、そうしたことでモチベーションが左右される程度を基準にしての論考は、こちらには無意味で、特に継続や、続けるためには様々な形のフィードバックが云々というのは、所詮は内発の無い衆の分析的な一般論でしかない。放っておかれてもやってきたし、やります。

いや、いろいろ作戦を考えてみても、インターネット上は似通った声で溢れかえってそれが反響している様なので、ちょっと落ち着いて作戦を考えて積み上げていこうと、まさに今これを書きながら、ちょっと落ち着きました。いかんいかん。
パイセンのラジオ、「美的感覚の更新について」の次は、「ツボとか需要について」みたいな展開かと考えていたけれども、「朗読について」でも良さそうです。

そういえば、Youtubeの動画は、放流したらあとはそこにあるものなんで、いいんですが、10月と11月、実際に足を運んでもらう必要のある演劇をやります。
10月は血パンダプロデュース『結論』。ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」から着想をいただいております。ええ感じで稽古進んでます。

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↑クリックしてもらえると、血パンダ公式ページで詳細確認できます。
チケット、間も無く販売開始。11月の情報も、また追ってお知らせします。

そういえば、血パンダのYoutubeチャンネルも、チャンネル登録少ないので、登録をお願いしております。団長が稽古場の裏の運河に落ちる動画とか作らなくて済む様に、是非お願いしたいところ。切実。

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