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血パンダはどうやって演劇を作っているか その8. 奥行きはあるか

客席と舞台が横一線で分割されているプロセニアム式の劇場では、登場人物の人数に関わらず、その位置関係が非常に短調で退屈な様子に感じられる瞬間があります。
これは、演出の段階の舞台上の絵作りの話しになるのでしょうか。どうしてその位置関係が放置されているのか理解できない舞台を見かけることがままあるので、稽古の早めの段階から検討を重ねることを前提に進めることで、いろいろと試す時間は確保できる筈。
どんなに舞台上の様子を作ったとしても、客席からの視線を完全にコントロールするのは非常に困難だと考えて、どんなアプローチの方法があるのか、それ自体を探ってみても損はないと、常々考えています。

舞台と客席の位置関係についても、これといって斯く在るべしということは無いものと考えます。
これまで、血パンダでは徐々に客席と舞台の境界を無くしていく方向で上演することを模索していました。新型コロナの影響で舞台と客席の位置関係については、何か対策を講じなければと考えています。
血パンダでは、完全にプロセニアム式で舞台と客席を分かっての上演は結成以来一度もありません。新型コロナが本格化する直前まで、スペースの中央にテーブルを置いて、それを囲む椅子に役者とお客さんが適当に座ったところから始まる作品を書いて、稽古を初めていました。

役者の立ち位置の様なものを決めてしまったり、セリフを喋っていない人が気配を消す様なことはしないので、客席からは、どこを見るのが正解なのかわからない状態で、とにかくどの客席からも同じ様に見える場面を無くすことで、フィクションに巻き込まれる様な体験をして欲しかったものですが、同時に、狭い上演スペースで、取れるだけの広さを確保すると思えば、客席と舞台の融合は、合理的な方法のひとつだと考えています。
幸い、役者全員の顔を常に見ておきたいとか、客席に尻を向けるなんて失礼極まりないという指摘は、今のところありません。

とにかく先ずは、役者の位置関係です。
重要なのはあくまで、日常に見える光景の中で、実は冷静に考えるとあり得ない距離や向きの関係になっていること。互いに相手に対して意識を途切れさせられない様な緊張感で、演者が相対している様に見えることです。
プロセニアム式の舞台の場合にありがちなのは、手前、中、奥と、舞台への出入りの影響を受けたラインができてしまう場合。舞台上の登場人物の位置関係に空白が生じている場合があります。役者の動きと位置関係に何か一定のラインができていないかを機械的に潰し、あわよくば利用できる立ち位置の高低差は無いか。あれば利用します。
距離感をどの様に誇張していくのか、その時に演技はどう変化するのか。それを考えていきます。
その4その5その6で繰り返し確認していたことを実際に舞台に投入するわけですが、やはり、斯く在るべしとの戦いになっていきます。
役者と役者の距離で言えば、寄り方としてはもう一歩、半歩近い方が見え方として良くなる場合が多く、実際の距離よりも遠そうに見える位置取りで有効なものがあった場合も、迷わずそれを選んでいきます。
ただし血パンダでは、この作業を通して選択肢の確認を繰り返していくだけで、これでなければならないという風に固めることはしません。「やらないこと」を共有し「できそうなこと」を増やしていく作業を進めていくわけです。

さて、多分稽古で繰り返しているのは、こんな感じ。照明も音響も、実はあんまり使いません。何かあるとするなら、照明は、満遍なく照らすというより距離を感じてもらえる様に少しムラを作っていきます。音は実際に出ている音以外は、SEもあまり使わなくなってというか、台本のレベルで音が出てこなくなて、かなりの年月が経ってしまいましたが、最近少し新しい試みを始めていたり、劇中歌を入れたりはしています。さて、ここからあんまり続きが思い浮かばない……。

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