第9話『砂』
砂に極めてゆっくりした意識があるのではないかと最初に疑い、独特の記録法で法則を収集、分類を行ったのはフェニキア人でした。砂の意識は極めて微細で緩慢で捉えがたいもので、フェニキア人たちが収集した記録も、適切な知識が無ければ無意味で漠然とした記録に過ぎなかったといいます。
海岸を占める砂が互いに感能する様子を捉えていたことが、フェニキア人が航海に長けていた理由のひとつと考えられています。
しかし、ローマ人はこれを、破壊すべきフェニキア人たちの叡智と考え、徹底して葬り去ろうとした様です。
ポエニ戦争でカルタゴが滅ぼされた時に、図書館に納められていた砂の意識についての報告書は残らず焼きつくされ、この知識に触れた可能性のある者は、一族諸共殺されてしまいました。
砂が意識を持つという知識の存在が辛うじて残ったのは、わずかに残された図書の中に、ほんの少しの断片が残っていたからですが、このわずかな断片では、砂の意志をうかがい知るための、いとぐちすら掴めませんでした。
砂の意識については、この後には誰からも把握されることはありませんでした。
砂がそれぞれに遠くの砂と感応する力を持つという記録が発見されると、多くの学者が砂の意識を読み取ろうとしましたが、観察の方法が間違っているのか、なにもわかりませんでした。
ある学者は、砂の意識が既に、砂という微細な実体を必要としなくなっているのではないかという仮説を立てましたが、とにもかくにもなんの成果も得られませんでした。