僕がヴァンフォーレ甲府サポになった理由
皆さん、休日をいかがお過ごしでしょうか。僕はお酒を飲んで、お昼頃に起床しました(汗) 今回は甲府サポになった経緯についてお伝えします。
きっかけは「ジョホールバルの歓喜」
Jリーグが創設された1993年からテレビでサッカー中継を見て、横浜マリノスを応援していたライトなファンでした。
1998年のフランスW杯の予選で日本代表はプレーオフに進出。マレーシアのジョホールバルでイラン代表と対戦。岡野のVゴールでW杯初出場を決めます。
その試合を見て「スタジアムで生観戦したい!」と思うようになり、諏訪から一番近いサッカーチームのヴァンフォーレ甲府の試合を見に行くことにしました。
1998年〜大学進学まで
初めて観戦したのは98年の旧JFL開幕戦、相手はジヤトコでした。当時の小瀬はバックスタンドもなく、観客も2000人弱。
ゴール裏へ行ったらインチャス(サポーター団体)の方に声をかけられ、一緒に応援することに。PK戦で勝って、すごく嬉しかったことを覚えています。
それからは駒沢公園や等々力などアウェー遠征にも行くようになり、徐々に知り合いも増えていきました。地元で友人が作れなかった僕を温かく迎え入れてくれたコミュニティの存在が、とてもありがたかったです。
2000年に大学へ進学することになり諏訪から離れることになりますが、ヴァンフォーレ甲府のコミュニティは僕にとって大切なものとなりました。
地元へ失意の帰郷と入れ替え戦
大学卒業後に就職しましたが離職し、短期の派遣の仕事もうまくいかず失声症にもなりました。諏訪へ戻って社会福祉協議会の職員として、知的障がいの方が通う作業所へ勤務。週末にヴァンフォーレの応援へ行く生活でした。
そんな中で甲府は柏レイソルとの入れ替え戦に臨みます。第1戦では奈須と柏の選手がペナルティエリア内にいる時に停電。この試合はチケットが取れず、自宅で2ちゃんねるの実況を頼りに経過を追っていました。
そして運命の第2戦。チケットが取れたのでサポ仲間と日立台まで行って現地観戦。スタジアム周辺は護送車が何台も停まっており、物々しい雰囲気でした。
試合はバレーのダブルハットトリックで柏に勝利。正直に言うと集中しすぎており、仲間に「あれ、藤田(健)が2点くらい取ってなかったっけ?」と確認する始末でした(笑)
ヴァンフォーレとは疎遠になった10年間
その後も小瀬のゴール裏で応援する日々が続きましたが、2010年に障がい者枠での就労を目指して上京した頃からJリーグ観戦からは遠ざかります。
日々の仕事で疲れて週末は寝て過ごす時間が多くなり、ヴァンフォーレ甲府の成績や選手の移籍などの情報にも関心が無くなっていきました。
あれだけ良くしてくれたサポ仲間とも疎遠に。転職して地元に帰ってきた2015年のホーム広島戦は小瀬まで行きましたが、それ以降はスタジアムに足を運ぶことも無くなりました。
再びコミュニティとの「つながり」を取り戻す
現在勤めているメディア関連企業に転職してから、時間に余裕ができるようになりました。富士見町のような田舎から都会へ引っ越すと、独身者が住むには快適な反面、どうしても人との繋がりが希薄になります。
「もう一度、僕を受け入れてくれたコミュニティとつながりたい」
その思いから昨年(2021年)知人にLINEで連絡。すぐに返信があり、小瀬のゴール裏で待ち合わせて一緒に応援。受け入れてくれた知人の度量の大きさに感謝しています。
スポーツを愛する「当事者」として
今年はリーグ戦・天皇杯合わせて6試合を観戦。横浜市内の自宅から甲府まで通い、犬岩石さんをはじめとしたサポ仲間と言葉を交わすのが楽しみでした。
僕はヴァンフォーレ甲府の応援を通じて、愛するクラブを一緒に応援して感情を共有する楽しさを知ることができました。
またサッカーというコンテンツを楽しむ消費者ではなく、クラブを支える当事者でありたいです。そのために仕事をしっかりこなし、健康に気をつけて過ごします。
また来年も、スタジアムでお会いしましょう!