火垂の墓
火垂の墓を見た。高畑勲作品。できれば毎年見たい作品だが、悲しすぎるのでなかなか手が出ない。今回は思い切ってお盆前に見ることにした。日本人として忘れてはいけない気がするからだ。戦争時に起こったこと。戦後しか知らない僕が知る意味は何か。
前半。
性悪のおばさん。節子は正しい。社会性も身に着けているせいた。せいたも正しい。そこにいる大人が、子供の人生を左右する。
節子の家族は貧しくはなかった。空襲により家も主も失い、親も失い、一気に生活の糧をなくし、戦況の悪化とともに、生きるすべを失っていく。
最初は食べられていた白米。空襲が始まっていてもまだ食料の配給はあったのだ。たまには食べられていた。だが、おばさんが作っていたように、雑炊にして嵩を増やして、おなかを太らせていたようだ。握り飯は、梅干し入りなんかとくに、高級品だったのだ。節子が食べたがる。
空襲も怖い。空から爆弾が降ってくる。もっと大きいのがどかん、というイメージだったが、小さい竹に火がついているような松明のようなのを落としていたのだ。あれで民家に火をつけていき、一夜にして焼け野原に。せいたのお母さんも大やけどでなくなった。
せいたが庭に保存していた瓶詰の梅干し。サクマドロップ。この頃の貴重品。海辺では、海水を得て、塩をつくろうとしている様子も。そこら中に遺体もある。戦時中は生死が近いところにあり、死ぬのは普通のこと。生きていることが貴重だし、すべて。生きていることに感謝し、生きて居ることを楽しむしかなかった。
繰り返すが、戦時中も日本には静かで豊かな人間社会があったのだ。それを壊しきったのが戦争だったのだ。そこまでして国民をだまし、また国民もだまされ、従順に従い、生きた。そんな日本人の従順性とか忍耐強さを、米国は恐れたのかもしれない。
こうはん。
盗み。飢え。病そして死、火葬。
いじめ、見栄、暴力、選民意識。
戦争がもたらした嘘。金。
えいがには人の一生の全てが描かれていると思う。
それにしてもおばさんは強烈なキャラクターだった。
あと、いままで見たテレビ版だったかな、それとレンタルのは、つまり、今回のは、違う気がする。せいたの盗みが、節子より自分の空腹を満たそうとして食べ物を捕るしーんとかがあったように思うが、気の所為か。
前ほどは悲しくなかったけど、やはり前も今回も思ったのは、いまの、一応平和な、飢えない生活を、させてもらっていることへの有り難さ。
それをこの真夏の敗戦記念日に思い起こすのはいいと思う。広島に連れて行くのもいいかもな、子供たちを。
画像引用元→
https://www.ghibli.jp/works/hotarunohaka/