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蚊柱に眼球

夕暮れ、自転車で帰宅の途につく。8月の18時過ぎは、まだ明るいとも言えるしどうやら薄暗いとも言える。雑木林と住宅地の間を縫う県道の下り坂を、涼しいとも生ぬるいともつかない空気を割いて走った。

数メートル先の眼前に黒い斑点が舞っていると思った次の瞬間には、その中を突っ切った。蚊柱に突っ込んだようだが、特別驚くことではない。夏の夕暮れは蚊柱たちのゴールデンタイムだ。そこかしこに活動グループが形成されていて不思議はない。そこに人間が足を踏み入れた。彼らの領域を侵したのは私だ。彼らに非はない。


おやおや、目をつむるのが遅かったようだ。何匹か、恐らく3匹ほどの蚊が目に入った。「目に入った」と言うが、正確には目は「穴」ではない。目は「粘膜」だ。蚊柱に突っ込んで目をつむるのが遅れたならば、数匹の蚊が「粘膜」に付着することは容易に想像できる。蚊は目に「入る」のではなく、目に「付着する」のだ。

ただ付着するのではない。私は下り坂を重力に従い自転車で下っている。速度がある。風圧がある。広げた新聞紙をお腹から胸に当て、風圧で落とさないように走ってリレーするレクリエーションがあるが、あれと同じ理屈だ。

私の粘膜という「罠」にかかった3匹ほどの蚊たちは、風圧で身動きが取れずそのまま天に召された。

ただ召されただけではない。思わず遅れて目をつむり指で擦られることにより、まぶたの裏か眼球の裏に入り込んで召されたと考えられる。

家に着くまではまだ10分ほどかかる。私はすぐに目を洗うことができなかった。すぐにまぶたをめくって眼球の裏を鏡で確認することはできなかった。

確認できなかったが、体感的には3匹ほどだったと考えている。

10分間、左目の不快感を解消しきれないまま、自転車をこぎながら私はまぶたを空かしてみたりこすって指先に蚊が付いていないか見てみたりしたが、それが出てくることはなかった。

基本的には目にごみや虫の類いが入れば涙が流してくれると信じているが、今回は体感3匹なので、涙腺機能に全幅の信頼を置くことが難しかった。

家に着いて鏡を見た。左の眼球は充血していた。空に占める雲の割合で天気を表現すると聞くが、私の眼球は充分「雨」と言える充血具合だった。

水道を流し顔を横に向けまぶたをめくって裏まで流そうと試みたけど、蚊の行方は分からずじまい。取りきれずにそのまま残留したらどうなるのかな…?とか想像しながらその日は眠りについた。

翌朝、充血は治っていた。