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雨の午後
外で話す人の声で目が醒めた日曜の午後。冷たく降り続ける雨の音をバックに、目覚めのコーヒーを飲もうとポットの湯を沸かしに行った。
見るとポットの電源が入っており、湯はなくなり空焚きの状態になっていた。
またやってしまった。昨日も一昨日も、朝、ポットはこの状態になっていた。それにしてもおかしい。昨夜、ポットの水は足した筈だったが。一昨日もポットに水を入れてから寝た。ポットの湯が空に近い状態でそのままになっていたため、気をつけていたのだ。
先週の仕事がよほど疲れたのか。気をつけていたつもりが、忘れてそのまま寝てしまったのか。今日も昨日も一日、ほぼ寝てばかりだ。
それとも、ポットも古くなったので、長時間電源を付けたままにしておくと、蒸発して湯が無くなるようになったのか。
不思議なことがあるものだと訝しみながら、ポットに水を足し湯を沸かしてコーヒーを飲む。来ていたメールに返信をする。
そもそもポットの電源を切ってから寝ればよいのだ。夜中、ポットは使わないのだから電源を入れておく必要はない。電気を無駄に消費していることにもなる。
習慣というよりも単なる怠惰と言えるような行為を変えるのは簡単だ。簡単であるにも関わらず人はそれを変えようとしないことがある。それは何故か?
次元を変えて、もう少し重要なことでも人は必要だと思う改善をしないことがある。変化を頑なに拒否するのだ。それは何故なのか?
そんな事を考えながら日曜の怠惰な午後は過ぎた。
(おわり)