(笑)との闘い
DJMIXを作った。
約80分、28曲収録。最近では、1曲が1分から2分で6曲入り10分のアルバムなんかもざらにあるから、それと比べるとだいぶ冗長なものを作ってしまったという感がある。
過去にも長編のDJMIXを何本か作っており、それらも90分に30曲前後を詰め込んだ何ともみっちりしたモノで、僕の作品はとにかく長くなりがちらしい。
数年前に『AQUARIUS』というMIXを作ったときは、日頃30分から40分の持ち時間でしかDJをする機会がなく、そのうさ晴らしと言っては誤解を生むが、持ち時間の窮屈な思いをすることなくのびのびとやりたいように創作をという願望があったように思う。
また『HEAVEN』というMIXは、今は鬼籍に入られた6969さんというDJの方から依頼を受け、ナーディウスさんというこれまた僕が尊敬するミュージシャンの方への結婚祝いとして制作した。このときは祝いの品に見合う出来のものを作るべく、改良を重ねた結果90分越えとなった。
90分というと小粋な映画を一本見られるくらいの時間である。ありがたいことに両作品とも沢山の方に聴かれているが、しばしば自分の臆病がその顔ぬっと突き出して、
「果たして自分はこんなに長い時間耳を借りられるほどのものを作っているのだろうか」
と不安になる。
が、時たまクラブなどで会った人から作品の感想を貰うと、その反動で嬉しさから一気に調子づいて有ること無いことベラベラ喋ってしまうのだから、小っ恥ずかしい。
さて、Altfloorである。
この度のMIXは、AltfloorというDJMIXプロジェクトのために制作したもので、Altfloorについて詳しく知りたい方は下記リンクを参照されたい。
運営の鶏七味さんから、AltfloorにMIXを提供していただけないかと依頼を受け、以前よりAltfloorのコンセプトや活動が気になっており、また鶏七味さんとはインターネットでの付き合いも長く人間的に好きだったのもあり、僕は二つ返事で承諾した。
制作にあたっては、「一本で作品として完結するものを80分以内で」という条件だったが、今回も例に漏れず80分いっぱいに膨れあがってしまった。
そもそもこのMIXは、『AQUARIUS』『HEAVEN』の長編シリーズの系譜に位置するものとして制作したため、今になってやれ長いだの冗長だのと一人で騒ぎ出すのは茶番もいいとこで、お寒い。長くなるのは必然である。
この一連の連作には、「Chill Emo Otaku MIX」という名が冠されており、頭文字を取って「CEmO」、その名の通り静謐で感傷的でオタク的な楽曲を中心に選曲したMIXシリーズである。
僕はエレクトロニカとかIDMと呼ばれる静かで雰囲気のある音楽ジャンルが好きで、かつアニメもアニソンも(偏りはあるが)好きだ。
その2つの領域が重なるようなものを作りたく、また当時アニソンをエレクトロニカ調にRemixした楽曲を大量に持っていたため、その全てをぶつけるつもりで第1作の『AQUARIUS』を制作した。
そのMIXが思わぬ好評を博し、大変ありがたいことに道外での出演の機会も貰い、「CEmO」は僕の代表作と言える存在になった。
あれから数年、時代とその空気は常に流動するものだが、僕にとって思いもよらぬ方向へと世の中が変化した。
言葉の陳腐化。多用されすぎた結果、「チル」も「エモ」も「オタク」も全てその後ろに(笑)がつく時代になってしまった、と感じるのである。
そんなものおちょくり好きのネットユーザーだけの意見でしょ、あんたの勘繰りだ、という反論は十分承知の上。それでも、やっぱりなにかこう、それらの言葉を使おうとすると気恥ずかしさというか、注釈が必要なような気がしてならないのである。
今や、「チル」と言えば机に張り付いて勉強する女の子の画が浮かぶだろうし、「エモ」は「やばい」と同義だし、「オタク」に至ってはもはや何を指すのかよくわからない。使えば使うだけ誤解を生むだけではないか。昨今、誰が「チル」にも「エモ」にも失笑一つ漏らさず、その言葉を受け止めてくれるのか。
シリーズを始めたときはいかにも気の利いたコンセプトだと思っていたが、時代と共にそれを形成する言葉が陳腐化し、ここに来てシリーズを支えてきた基盤がヤワになってきている。そんな心許なさの中、今回のMIXは作られた。いわば(笑)との格闘の産物である。
大仰にも「格闘」なんて言葉を使ったが、では何か抵抗をしたのか、工夫をしたのか、と言われるとこれが返答に難しい。というより、ほぼ空手であった。
これはDJMIXでも作曲でも何にでも言えることである。ものを作る前は格好の良いテーマだとかアッと驚く仕掛けだとか色々策略するのだが、いざ手をつけるともう一心不乱の無我夢中で何とか人様にお見せできるものにしようと躍起になり、初めに考えていた構想はどこへやらの有様である。
身も蓋もないことを言ってしまうと、「結局他人からみっともないと思われたくないだけでしょ?」とか「言葉の解釈で齟齬が起きるならこれもう成立しないのでは?」とか自分の中で発生した葛藤やら自意識との格闘であって、チルエモを論ずるとかそういう段階以前の、矮小な、ケッタイな話だ。
元来恥ずかしがり屋の臆病者であるから、他人の目を異常なまでに気にしがちで、ヘラヘラと取り繕っていてもやはり格好がつかないのは僕にとって嫌なのである。
だいたい仕掛けにしたって、BPMと拍を合わせ、フェードイン・アウトで曲を入れ替える、というようなオーソドックスな繋ぎの方法論を一気に過去のものにできるほどの、画期的な方法論なぞ僕は持ち合わせていない。
さらに言えば、そのオーソドックスな方法論に対して、まだ研究の余地があるんじゃないかと僕は思っている。数年DJを続けてきて、色々なジャンル、色々な繋ぎ方に挑戦してきたつもりであるが、未だに基礎の基礎をちゃんと理解していないんじゃないかと、そう思うのである。
「CEmO」を説明するとき、「エレクトロニカとオタクカルチャーの交差」と表現するが、最近はそこに含まれる2つの言葉について明瞭に答えることが難しくなってきた。
エレクトロニカについては昔から説明が難しく、実際僕もその定義が未だにつかめていない。強いて言えば、「ダンスの機能が支配的でない電子音楽」だろうか。
そしてオタクという言葉はいよいよもってわからない。古典的に言えば「偏執狂」という意味なんだろうが、最近は何をもってオタクとするのか、どんなものがオタク的なのか、もうよくわからなくなってきた。いささか消極的すぎるかもしれないが、「特定のもの・ひと・こと(主に娯楽産業)に対して多くの時間と金銭を費やす人たち」ぐらいの意味しかないのではないか。
チルもエモもエレクトロニカもオタクも、その全てがいまや曖昧であり、またその曖昧模糊の集積をDJMIXとして形にするというのだから、それはもう困った。3年近く悩んだ。実際今回も締め切りギリギリまで粘った。その節は本当に申し訳なかったと深く反省しています。
だけど見方を変えれば僕もつくづく物好きである。
なんだいこりゃ、と愚痴だかなんだかわからない言葉をこぼしつつ、それでも結局そいつら言葉たちに付き合って、なんだかんだ作品を作ろうとするのだから、マゾと思われても弁明のしようがない。格闘だと思っていたが、ただのSM行為だったのかもしれない。なんだか恥ずかしい。
さてその結果が今回のMIXであるが、僕は勝てたのだろうか、善戦していたのだろうか。それともただのマゾだったのだろうか。勝敗はリスナーの方に委ねます。
チル・エモ・オタクという語が、それぞれ今後どのような受容のされ方をしていくのかはわからない。そして僕の思うそれらと、広く認識されているそれらとでは、現状重なる部分もあれど若干のズレが生じていることも自覚した。だけどこれからも、よくわからないものに対してブツブツと弱音やら文句やらを唱えながら、一生懸命形にしていきたいと思うのである。
最後に、今回オファーをしてくださった鶏七味さん、MIXに楽曲を使用させていただいたクリエイターの方々、そして日頃より活動を応援してくださっている皆様への感謝を述べて、結びとさせていただきます。