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健康管理システム

(頭痛ぇ……)
会社までの道のりをだらだらと歩きながら、胸の内でそんな事を呟く。
昨晩、仕事帰りに同期の連中と飲みに行ったのだけど、隣のテーブルの連中と意気投合して夜中まで大騒ぎ。
その結果がこの二日酔いだ。
歩くその一歩一歩にあわせてガンガン響くような頭痛。他の人から見たらだいぶ冴えない表情をしているに違いない。

激しい頭痛との格闘の末、ようやく会社の前に到着。
入り口に近づくと、瞬時に網膜がスキャンされ自動扉が開く。
ドアを通り抜けると、視界の片隅にこんな文字列が表示された。

お酒の飲みすぎにはくれぐれもご注意ください。なお、もし体調がすぐれない場合は、管理部健康管理室までお越しください

はいはい分かってますよ……。僕は心の中でぼやく。
まあ、単なるコンピュータのシステムにそんなことを言っても仕方がないのだけど。

最近多くの企業で導入されているこの健康管理システムは出社時、会社の入り口でのセキュリティスキャンと一緒に健康状態をチェックしてくれる。
問題がなければ特に何も起こらないのだけど、今日の僕のように何か体調に問題を抱えていると、健康のためのアドバイスがもらえる。ウィルス性の病気が疑われるような場合だとすぐに社内の保険センター送りになることもあるし、重大な病気でいきなり入院させられた同僚もいる。

チェックされるのは体の状態だけではない。心の状態もモニタリングされていて、過労状態だったり、ストレスが溜まっている状態だった場合は、すぐさまその情報が上司や健康管理の部署に通知されるようになっている。

さらに、そうやって集められた僕らの心身の健康状態の情報を元に、仕事の割り振りが調整されたりもする。
調子のいい元気な時には、重要な仕事や少し大変そうな仕事。調子の悪い時にはあまり重要じゃない仕事や比較的簡単な仕事。そんなふうに仕事を割り振ることで、ミスも減り、ストレスも減り、疲労も溜まりすぎない、そんな快適な仕事環境を維持できるのだ。

社員にとってはストレスの少ない快適な職場を維持できるし、上司は部下の表面だけではわからない本当の状態を知る事ができる。
お偉いさんがたは会社全体がたとえば疲労を蓄積していないか、効率が悪化していないかといった、大きな企業になればなるほど見えにくい現場の実態を知る手がかりになる上に、社員を大事にしているという対外的なPRにもなるので、高価なシステムではあるのだけど、これを導入する企業は本当に多い。

……まあ働く側からすると、常に監視されているようなものなので、正直あまり気持ちのいいものではないのだけど。
しかし今日みたいな日にはありがたい。こんな頭痛のひどい日に、厄介な仕事を回されたんじゃたまったもんじゃないし。

さて、今日の仕事は、と。
自席について端末を立ち上げると、今日のタスクのリストが表示される。
割り振られたお仕事は……データ入力か。退屈な仕事だけど、まあ動かなくていいし、頭を使わなくていいから助かるな。

そんな事を考えつつ、入力用のソフトを立ち上げたりしていると、後ろから声がかかった。
「ミヤさん調子悪そうですね」
声に驚いて振り向くと、そこには可愛らしい顔。
「ああ……サキちゃん」
言いながらちょっとドキドキする。実は顔もスタイルも気立てもいい彼女のことが結構本気で好きだったりする。
「ちょっと昨日飲みすぎてね。お蔭様で今日はデータ入力の一日」
できるだけ平静を装ってそう答える。
「いいなぁ。私なんて今日は例の得意先とのオンライン会議ですよ……」
「ああ……あの厄介な案件のか……」
ここ数日、仕様と予算で揉めていて部署のみんなが頭を抱えている案件の、そういえば今日は大事な会議の日だったか。二日酔いでなくてもできれば避けたい仕事だ。
「それはご愁傷様。ま、会社のために頑張ってくれたまえ」
「私も楽しく飲んで二日酔いにでもなっときたかったなぁ……」
ちょっとむくれた顔のサキちゃん。この顔がまた可愛い……ってあんまりデレデレしてる場合でもない。
「さて、頑張るか」
頭は使わない仕事とはいえ、入力しなくてはいけないデータは結構な量だ。
入力用のソフトを立ち上げ、軽く腕まくりをして、僕はひたすらキーを打ち続ける作業を開始した。

しばらく黙々とデータ入力作業を進めていると、視界の右下に、小さなポップアップがひょこっと表示された。
「すまないが、今からB-3会議室まで来てもらえるかな」
部長からのメッセージだ。
「了解です」と返信して会議室に行くと、そこには部長と、なぜかサキちゃんの姿があった。
「まあ座って」
「あ、はい」
僕はソファーに腰を下ろしながら、視線でサキちゃんに「何?」と送る。サキちゃんは小さく首を傾げて「さあ?」と答える。
「なんでしょう」
何かマズいことでもやらかしたかなぁとあれこれ考えを巡らしてみる。一番あり得そうなのはこの二日酔いだけど、それ咎められるならサキちゃんがここにいる意味がよくわからない。
それ以外で特に思い当たるフシはないけど……。
あれこれ思案していると、どことなく言いづらそうな様子で部長が口を開いた。
「いや、なんだな、つまり……こんなことを私が言うのも何なんだがね……」
僕は何となく緊張する。視界の片隅では例の健康管理システムが「心拍数が上がっています」なんていうことをのんきに表示している。
「ええと、つまり、だな……」
普段はわりとズバッと物を言う部長にしてはやたらと言いにくそうだ。もしかして解雇とかそういう話なのだろうか。
でも、僕はともかくサキちゃんは部署内でも仕事のできるほうだし、解雇という線はさすがにないと思うし……そうすると異動とか、厄介な案件にアサインされるとか?

「要するに、だ」
一呼吸置いて、部長が続ける。
「キミ達二人は好き同士なんだから、さっさと付き合ってしまいなさい、とそういうことだ」
「は?」「えっ」
思わず二人で同時に声を上げる。
「え……えっと、ど…‥どういうことですか」
気が動転して思わず声が裏返りそうになりながら、僕はかろうじて聞き返す。
「いやな、分かってるんだよ。キミらが好き同士だってことは。ほら、このデータを見てみなさい」
そういって部長は一枚のパネルを渡す。パネルに表示されているのは、心拍数やメンタルの状態などをグラフにしたもので……なるほど確かに「そういう」データだ。
そういうデータだけど、いや、でも、……え?
全く気が動転して何がなんだか分からない。ちらりとサキちゃんの方を見てみると、恥ずかしそうに俯いたサキちゃん顔は真っ赤に染まっていた。
(……そうか)
しばらくしてようやく思い当たる。健康管理システムは、社員のストレス軽減のため、心拍数など色々なデータを元に職場の人間関係の状態が良好かどうかもチェックしていたはずだ。
基本的には人間関係のストレスがないように調整・改善するために使われるデータだが、ストレスが判定できるならその逆も当然判定できる。誰が誰に好意を抱いているなんてことはとっくに筒抜けってことか……。

「好きなもの同士がね、くっついてくれないと、業務の効率に支障が出るものでね。宮沢もそうだが、特にサキはこの会社じゃ人気者だからな。片思いは非効率の源、ということだ」

◆ ◆ ◆

今、サキちゃんは僕の横ですやすやと眠っている。とても幸せだ。
でも、なんと言うか、何か腑に落ちない部分があるのも、確かだ。

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