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04-大切なマインドの話。「共創」「納得解」とは。

答えのない(答えが多様な)時代ゆえに「一人一人違って良い」と「みんな違うと困る」という状況下でワークショップ やファシリテーションは、どう全員で答えを創り出して行くか、という心がまえや役割について言及した前回。ワークショップ デザイナーは、いくつもの選択肢を用意しておくこと、その動的判断を下すチェックポイントをあらかじめ想定しておくといった「道筋の準備とバリエーション」が重要であると伝え、ファシリテーターは、進行の都度、参加者の反応を観たり、問いで考えや意見を引き出し、それを整理しながら次に進むステージを伴走するのが役割と伝えた。しかしながら、「共に創る」ということは何か、「納得解とは何か」という基本的なことを触れていなかったので、今回はここに触れたい。

・「共創」「納得解」は体験してない人には伝わらない言葉

「共創」にも段階があることに気づかされたのは、京都造形芸術大学のアートプロデュース学科での夏期集中授業「ワークショップ デザイン・ファシリテーションHOW TO」の時だった(というか、「共創」という言葉をその時まで気にもしていなかった)。

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様々なカタチのファシリテーターをゲストを呼び、社会人聴講も受け入れ、重層的な学びがうまれるよう企画したのだが、スタート時に一回生から「…あの、ワークショップを自分たちでやる側の視点で考えるっていうことですか?教えてもらえると思って受講しているんですけど」と怪訝な表情で言われた時だった。ワークショップやファシリテーションの授業であれば、たがいに学びあう状態が当たり前だと思っていた分、その心理状態で手が止まるとは思っていなかった。

授業の様子をレコーディングしてくれていたグラフィッカーの鈴木さよさんが「参加の状態もそれぞれあって、中脇さんが当たり前だと思っている「共創」段階に行けない人から、この反応が出ているのでは?!」と助け舟が入り、「一度、皆さんの参加の気分を聞いてみましょう」とさよさんから全員に投げかけられたのが、「共創」を巡る図であった。初めて見た図だったが、中々うまいものだな、と思ったので、自分なりに考えながら咀嚼して、以後使っている。

・共創に至る段階。

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まず第一に「無理せず自分らしく(自分を大切に)」。場にくるだけでもエネルギーを使っているかもしれない。後ろ向きな気分なのかもしれない。今日はしんどいかもしれない。無理に明るく振る舞うよりも、そのままの気分を大切に。まずはそれが大前提。もちろん、ファシリテーターも無理に明るく振る舞わない。今日の気分を大切にする。完璧な人はいない、という大前提から始めよう。学校の授業の場合は、よくいうのだけど、「参加型なので、それがしんどい人は見学だけでもOKです。ただできれば、場にはいてほしい。どのようなカタチでも場にいることで共鳴されていくし、僕も気を配れる。場にいないとやはり無になってしまう」。参加者の自己選択自己決定が尊重されることは、ワークショップの最も基本的なことであり、理念的にも重要なこと。これは個人的な好みの問題にもなるのだが、よく張り紙やアナウンスなどで「今日は相手の意見は否定せず、全てYes,andで考えましょう」といったことをすること。心情的にはもちろんそうなのだが、反対意見を持つ自由を奪うアナウンスは良くない。

次に「楽しもう!(参加者)」という段階。自分が楽しいのが何より大事、ということもあるが、その楽しむ姿は周囲にとても良い影響を与える。その次は「迎え入れよう!(場をつくる)」という段階。「迎え入れよう」という気分になれている人は、かなり場の開催にも主体的に関わっているとは思うのだが、その段階まできている人はぜひ初参加の人に気を配ってほしい。人が集まる、関わる活動はどうしても内輪感を印象付けるし、初参加の人はその場に期待を持って参加しているため、迎え入れてくれる雰囲気があるかどうかはものすごく満足度に左右する。そうやって「無理をせず自分らしく」「楽しむ」「迎え入れる」と三拍子揃えば、何をするかどうするか、何を創るかといった「共創(共に考え、共に創る)」の段階にいけるのである。もちろん、これがサイクルになっているのは、共創に疲れたら、無理せず自分らしくあることで良い、ということ。ただ、最近思うのは、「共創」の場には、「無理をせず自分らしくいる人」「楽しむ人」「迎え入れる人」「共に創ろうとする人」この4者がそれぞれ「いる」状態をたがいが認め合う状況まで作れれば「共創・共鳴」するような場が生まれると思っている。

・納得解のカタチ

「納得解」というのも聞きなれない言葉かもしれないが、ファシリテーターは場の決定を参加者自身に促していくため、合意形成や決定にあたっては、説得ではなく納得を大切にする。「頭で理解できていても、腹落ちしていないから進まない」なんてことはよくあると思うが、それは納得できていないからだ。

もちろん、経験値の差ゆえに、「話し合いに時間かけるより、答えはこっちしかないじゃないか」ということは多々あるだろう。ゆっくり話し合っている場合じゃない、ということもあるだろう。もちろん有事の際や、緊急度の高い時は全員の意見を聞いている場合ではないだろう。しかし、だとしても念頭においてほしいのが「戦力が優れていて納得性が低い場合より、戦略が多少まずくても、メンバーの納得性が高い方が、成功確率が高い」(『ファシリテーション入門』堀公俊著/日本経済新聞出版社/33頁)ということである。

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ただ「納得解」といっても、話し合いだけで反対意見を持っていた人に納得してもらうことは相当に困難であるし、反対意見を述べることによって議論が長引くのも正直しんどいこともあるだろう。そこでふと頭をよぎるのが「私一人が我慢すれば決まるか」という考えである。これが一番いけない。妥協や遠慮をして合意形成するのは納得解とは言わない。

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衝突を恐れず対話できる環境や関係性、プロセスが作られるかどうかが質の高い納得解をうむ。とはいえ、先ほども書いたように納得解や共創というのは、体験していかないとわからない。そのため、コミュニティの場数や経験値が少ない場合は、小さい成功体験をいかに多く作り、そこから何を得たか、ということを問い直し、そこから少しずつ振る舞いや気づきを全体で共有していくことを意識しなければならない。

このコラムでは、HOWTOよりもワークショップ やファシリテーションを機能させていくための心構えや目指すべきゴールに向かうためのマインドについて触れてみた。本来ならば、すぐにでもHOWTOを書くべきなのだろうが、この基本的なマインドの理解が浅いことによって、そもそもの振る舞いやプログラムデザインの一貫性がないことがいかに多いか。その一言に尽きるからだ。「共創」や「納得解」というものをいかになぜ目指すのか、それはどういうものなのか。言葉では中々説明しにくいことをなるべくわかりやすく伝えたつもりだが、それではいよいよ、ワークショップをデザインしていくことで何を気をつけなければいけないか、ファシリテーションというのは一体どんなスキルのことを指すのか、という実践的な部分について触れていきたい。 




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