WSプログラムデザインの記録「ツレヅレ市場弁当」
実施日:2019.3.30 10:30-13:30
場所:神戸市灘区 水道筋商店街界隈
参加者数:8名(講師、事務局スタッフ含む)
イベント名「Team G-Navi ファシリテーションを学ぶ「ツレヅレ弁当@水道筋商店街(灘中央市場)編」」
WSタイトル「ツレヅレ市場弁当」
カテゴリー区分:価値の変換、疑い系
プログラムデザイン&ファシリテーション:中脇
【ねらい】
テーマは「グレーゾーンを遊ぶ共犯性」
私たちの暮らしやコミュニティは、住む(もしくは関わっている)人たちの行動が成立する最大公約数や最適化によって、役割や仕事や習慣が生まれ、維持するためにルールも作られ、秩序が出きあがり、社会となる。
著しく秩序を乱すものは、社会性を犯すものとして罰が与えられるが、白と黒は、はっきりと区別化されるものではなく、その間にはグレーゾーンがある。最大公約数が小さくなるほど、もしくは最適化が進み過ぎれば、グレーゾーンは少なくなる。
「ツレヅレ市場弁当」は「買い物」における最大公約数が大きい(もしくは最適化を進めすぎていない)商店街や市場を舞台に、「買い物」のグレーゾーンの魅力をグレーに踏み外すことで顕在化するワークショップである。数名単位のグループで空のお弁当箱を持ちながら、商店街や市場を練り歩き、買い物をしながら、その場で一品一品を分けてもらい弁当づくりをしていく。一手間かかることをお願いする「買い物」行為は、「買い物」のホワイトゾーンからグレーゾーンに踏み出す逸脱コミュニケーションから始まる。忙しすぎない状況や楽しがってくれそうな店主の雰囲気を察し、主旨の意図開きを行い、少しずつ甘えていくやりとりは、チーム内でも売り手買い手の間柄でもどこか共犯性を有した一体感を生む。お弁当箱というキャンバスに、商店街ないしは市場という絵の具で一体どのような絵画を描けるかという、共に作り上げていく創作性も重要な要素である。
市場や商店街を舞台に、オリジナル丼や弁当を参加者が作っていく取り組みは全国各地にあるが、「ツレヅレ市場弁当」が他の類似例と違う点は、主体があくまでも「買う側」にある、ということだ。いつもの日常が流れる商店街をいかに使いこなすか、遊びこなすか。「ここまでお願いできるか?」「こんなこと言って怒られないか?」というドキドキした感情は、自らが知らず知らず設定している秩序の範囲を逆照射してくる。そして市場や商店街という「買い物」のグレーゾーンを有する場所についても思いを巡らせてほしい。最適化や合理性が進められていく社会の流れと、「ツレヅレ市場弁当」をやる中で沸き起こった自らの感情や表出された関係性。やる前とやった後を比べた自分の更新性にも敏感になることで、私たちが暮らす社会への考えを深めてもらいたい。
【内容】
10:30〜11:00 集合と移動
(集合と実食などは一堂に集まれる場所がおススメ)
11:00〜11:30 講師自己紹介と参加者自己紹介と導入説明
今回は「ファシリテーションを学ぶ」という講座の一環で行われたため、単なる”市場を活用したお弁当づくり”という風に捉えられがちな本プログラムを狙いを明確に伝えることがまずは重要であった。
特に「価値の変換、疑い系」のワークショップは、いかにワーク中に自分の心や感情、価値観の機微や変化をキャッチするメタ認知が大切であるため、序盤のこういったマインドセットは重要である。
そのため、手がけてきた一連の地域プロジェクトを簡単に紹介した後に、端的に本日の狙いとワークをしている最中に敏感になっておいてほしいことを以下のように伝えた。
「私は日常の既にあるもの、できることをいかに視点をずらしたり組み合わせたりすることで、従来とは違うコミュニケーションや関わり合いや関係を作ることを大切にしています。プロジェクトの長いプロセスをファシリテートして進めていますが、今回はこのワークショッププログラムで、私が大切にしているそんなモットーを端的に体験してもらいます」
「ファシリテーター役は空のお弁当箱です。お弁当箱を持ちながら歩き、お店の人に趣旨を説明して、一緒に詰めていってもらう。そのやりとりはきっといつもの買い物とは違うコミュニケーションになると思います。その”いつもと違う”感じを今日は敏感にキャッチしてください。“空のお弁当箱がどうしてそんなコミュニケーションを誘発できているのか”“このワークはお店の人とのやりとりや関係性をどう変えたか”ということを最後振り返るので」
11:30〜12:30 ツレヅレ市場弁当づくり
※会計係を決め、一人1,000円ずつ出してもらい預かる
※グループでどんなお弁当にするかテーマを決めても面白い
安全設計において、このワークショップでは、“普通に買って、あとでお弁当に詰める”という選択肢も幅としてはOKとしているが、今回は事前に商店街の会長に挨拶が出来ていたことと、紙皿食堂という類似イベントを商店街が実施していること、人通りも大混雑していないことからも、お弁当箱を片手にうろつき、ライブで盛り付けていく、ということを前提条件とした。
このワークショップは最初の一品目を決めて、お店の人にお弁当箱を見せながら声をかけるのが一番ビビってしまうが(笑)、怒られたことはないし、むしろ面白がってくれるお店の方が圧倒的に多い(変な目や怪しい目で見られることはもちろんある)。
「ツレヅレ市場弁当」のグレーに外れていく行為の醍醐味は、やはりお弁当を見せながらやりとりするときの、お店の人のお節介や妙にノリにのってくれる共犯関係だと思う。そんなハネる出会いの確率を上げるのが、空のお弁当を見せながら、共に作る行為にある。
そんなことはおいておいて(笑)、写真の通り、水道筋商店街は惣菜、肉屋、魚屋、八百屋、お菓子屋、お茶屋などなどなどが豊富に揃い、また昔ながらの市場の趣も強く、シンプルに面白いやりとりの連続であった。(中には買った以上の商品をおまけしてくれるお店があったり、バランをくれたり、調味料や自家製の漬物をおまけしてくれるお店など実に豊かな市場であった)
12:30〜13:15 お披露目と昼食と談笑
今回の「ツレヅレ市場弁当」は「春の旬と彩り弁当」「魚介をテーマにしたアラカルト弁当」「食べ盛り男子のための揚げ物弁当」の3種類が出来上がった。
言わずもがな、食事は楽しいし、みんなでお披露目してどんなテーマで作ったのか、どんな店で買ったかなど、自然と語り合える。また食事をしながら「道中、どんな名場面、名シーンがあった?」と問いかけることはさりげなく、振り返ることにもなり、また自分たちの感受性のアンテナがどこに立ったのかメタ認知していくことになるため、有効である。
あと、冒頭では言っていなかったのだが、このワークショップはお店の人との共犯関係のみならず、グループ内コミュニケーションもミッション達成型になるため、チームビルドとしてもかなり効果的なのだが、参加者自身が自ら「このワークショップ、婚活に使えそう」「どんなお弁当を作るかって、その人のキャラクターが出てくるもんね」と汎用性にまで食事中に盛り上がってくれたため、最後の振り返りでは、この流れを活かして、かんたんに喋るだけでいいと思えた。
13:15〜13:30 まとめ
「ツレヅレ市場弁当」は「価値の変換、疑い系」のワークショップであるため、食事の会話でのやりとりを拾って、やる前とやった後の参加者の変化や、通常の買い物とどう違ったのかをつなげて語ることが重要である。ここで「どうして変わったんでしょうね?」「お弁当箱を持って歩くことの効果ってなんだったんでしょうね?」と問いを投げかけても良かったが、十分に食事中に同じ質のことを語り合えていたので、改めて「社会にはルールは必要だし、最適化する合理性も大切だが、それだけでは息苦しい。ちょっと崩す・ズレるやりとりや関係性を作り出すことは、身の回りの世界を豊かにしてくれる。私はこういうことを大切にしている」と説いて終わった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後記
ツレヅレ市場弁当は、2011年に兵庫県淡路島にて開催された「淡路はたらくカタチ研究島」における観光系研究会の一つ「ツアー販売スタッフになる研究会」から誕生した。“その街に住んでいる目線”を大切にした街の楽しみ方・使いこなし方の一つなのだが、中々面白いプログラムになったので、大阪大学が開講していたワークショップデザイナー育成プログラム(現在は閉講。青山学院大学でのみ実施)の講座でも活用していた。
実のところ、当初は“コミュニティデザインを軸にしたワークショップ”“誰でもやろうと思ったらできるオープンソースなプログラム”と言った軽い気持ちだったので、それほど重要視はしていなかったのだが、京都造形芸術大学でマンデイプロジェクトという創造学習の授業を手がけることになり、多くのオリジナルのワークショップを考案し実施する中で、自分の中の手グセというか、こだわっているポイントがあるように思えたし、また自分が手がけるプロジェクトの切り口にも、これらの視点がやはり通底するものがあると感じ始めたので「ツレヅレ市場弁当」もじっくりと言語化をしてみる必要があるように感じた。
また最近、講演や講座を手がける際に自分の仕事を紹介するのだが、最近その反応に変化が生まれてきた。「鳴く虫と郷町」や「伊丹オトラク」のように地域を巻き込んだプロジェクトよりも、個人ができる範囲の他愛のないツレヅレ市場弁当のような小さいプロジェクトの方が反応が良くなってきたこともあり、この状況はどういうことだろう、というのもあった。
そして実際、今回手がけてみて、言語化にもチャレンジしてみて、狙いに書けたのだが、これは”最適化を進んでいく(最大公約数を小さくしていく)社会への違和感の表明”とそれを軽やかに遊びで提案していく行為なのだときづいた。そして日常の関係性をごちゃごちゃにする一時的かつ手軽なこのプログラムは、私たちの社会のグレーゾーンを拡張する行為である。
一方、ファシリテーションという視点で見ると、このプログラムは、ファシリテーターという存在がほとんどいらないプログラムである。勝手に空のお弁当箱が買い手と売り手の関係性をごちゃ混ぜにする促進役となっていく。優れたプログラムはファシリテーターがいなくても促進されていく。これはワークショップデザイン力が効いている、とも言える。
豊かな場への考察として、ワークショップデザイン力とファシリテーション力の掛け算がどれくらい噛み合うか、ということであると思う。