PJ01-プロジェクト型チームの危険性と心構え
答えのない時代故に、「正解は納得解をどう紡ぐか」と以前のnoteに書いたが、つまりそれは、社会がプロジェクト化している、ということを指す。従来の会社組織であれば、序列や役割が明快な体制や組織図があり、意志の流れや決裁者が位置づけられているが、個人個人に正解がある時代では、今まで以上に組織を強固にするか、プロジェクト型の組織に舵をきるかどちらかしかない。いわんや私は後者の方を選択しているのであるが、それはそれで多くの困難が伴う。
プロジェクトの良いところは「この指とまれ」形式の想い賛同型・共感型でチームが形成されることが多いため、年齢、背景も多種多様なことだ。それ故に参加動機も背景も人によって違うし、プロジェクトが取り組む「ミッションへの現状認識(課題の原因)」でさえ個々によって違う。それゆえ、“そもそも”な部分である「何を目指すか」「何がゴールか」「何のためにやるのか」という「目標設定」がまず難しい。
そして、序列や役割、意思決定がいい意味で「あいまい」なため、「で、誰が決めるの?」「どう決めるの?」という合意形成ならびにそのプロセスが難しい。話し合いを重ねることで疲れきってしまうこともあるし、長い間話し合った最終結論がベストなものだとは限らない(むしろ、途中の意見が良い選択肢なのことは多々ある)。
目標設定も難しい、合意形成も難しい。それでもなんとか粘りに粘って話し合ってなんとか決まり、さあ、あとは実行していくのみだ。となったとき、駄目押しの壁が立ち現れる。それが初めてやるチャレンジだからこそ出てくる先行きの見えない不安である。ゴールもプロセスもどうなるかわからない。またしても準備のための話し合いが延々と繰り返される。「お願いだから、誰か決めて…」「やっぱり役割分担を明快にしよう」。そうやって数多あるプロジェクト型組織が旧来の縦割り組織の方に振り直されていくことを何度見てきたことだろう。
もしくは、その不安感ゆえに「目標設定をちゃんと話しあおう」という慎重なベクトルが強まり、誰も正解が見えないからこそ「誰が決めるの?」「その責任は負えない(負いたくない)」という気持ちから議論ばかりが続き、始まる前からプロジェクトないしチームの心の体力が削がれていくこともある。
プロジェクトの良いところが、「目標設定」「合意形成」「一歩目」の3つの壁となり負のスパイラルとなる諸刃の刃になることは心得ておかないといけない。「一人一人違っていい」と「一人一人違うと困る」。この間でどのようなプロセスをデザインしていくか。そこにワークショッププログラムのデザイン力とファシリテーションの活かし方が試される。
何もプロジェクトだけのことではない。「正解がない」「正解が人の数だけある」という現代特有のジレンマであり、全員が当事者なのだ。この両義的な状況においては頑張りすぎず諦めない態度が重要だが、それでも無駄な衝突を避ける上でいくつかのコツがある。いわばチームビルディングや協働の場づくりのコツであるが、まずは大前提をおさえておきたい。
【プロジェクト型チームの大前提】
・3つの役割の循環を心がける。(PDCAサイクルよりIDCAサイクル/コミュニティナースPJより)
プロジェクトにはプレイヤー、プランナー、ファシリテーターの3種類の人間が必要。と以前のnoteで書いたが、あくまでも主役は「DO」の人であるプレイヤーだ。プレイヤーの人が動きやすいように、プランナーは「PLAN」を考え、ファシリテーターが全員で「CHECK」と「ACTION」を考えるための場を整える、というのが鉄則なのだが、やはりどうしても、「PLAN」を考える人が影響力を持ちやすく、「DO」のプレイヤーの人がいきいきして活動する前に「そもそもこのプロジェクトの目的は…」とか話し始めて、意気消沈することが本当に多い。企画書には5W2Hとはよく言ったものだが、話し合いで5W2Hを考えたらロクなことにはならない(5W2Hを否定しているわけではないが、5W2Hという考え方がSNS化してる社会において少しずつ機能不全に陥っている気もしている)。ある程度、話し合ったら、とりあえず行動せよ、と思っていたのだが、先日「PDCAサイクルよりIDCAサイクル」と言うコミュニティナースPJの言葉を知って、自分の言っている「PLAN」は「IDEA」と言い換えた方がしっくり伝わる、と気づいた。そう「PLAN」を練るよりも「IDEA」を実行し、ふりかえり、気づきや改善点を活かしたアイデアを再び実行するという温度感や鮮度感を大切にしたい。
上記は3つの役割の噛み合わせ方を整理したものだが、PLANの部分は、なるべく想い重視で動くために「IDEAの即実現」を重視した方がいいし、そのためには「IDCA」サイクルという考え方の方が、今となってはしっくりきている。
3つの役割と循環するサイクルを意識すること。何よりプレイヤー(ないしは行動)を重視すること。それが重要なのであるが、プロジェクトとして大勢の人が関わっていく際の心構えも大前提として伝えておきたい。
・6つの心得え
大勢の人と「一緒につくりあげる」仕事が増えてきていた2009年ごろ、なんとなく活動やスタンスにシンパシーを覚えたNPOの見学(当時の訪問記がブログに紹介されている)にいった(もう一つ記事があるので、こちらも)。徳島県の山奥に位置する神山町で活動しているNPO法人グリーンバレーだ。今でこそ「創造過疎」「IT企業のサテライトオフィス」「移住者の劇的な増加」など話題に事欠かない神山町であったが、当時はまだ知る人ぞ知る、という状況で、私は「粟生の森づくり」という山の手入れの取り組みに参加させてもらった。山に入って木を切り倒したり、おかあちゃんたちが作ってくれた昼ごはん食べたり、メンバーの方のおうちに泊めてもらうことを体験しながら感じたことは、とても大切にしている。
放置林があっという間に光が差し込むように。この達成感。そして、本来なら、これを木材として運び出すわけだが、全部それをすると大変だから、ある程度はそのまま放置。この無理のなさがいい。
お昼ごはんは森の中に作った簡易広場で。お昼ごはんは、集落の女性陣が作ってくれている。この場が活動の充実感を高めている。またチェーンソーなど使えない人は、小さいノコギリなどで枝打ちしたり、落ちた小枝などを拾ったりとできる範囲の関わり方がある。
“へっぴり腰”と表現されたが、この木を倒すことの爽快感ったらない。もちろん、安全面では地元の人がきっちり指導してくれるが、あれしろ、これしろという命令はなく、「やりたいっていうなら見てやるで〜」な自由さが居心地よかった。余白と緻密さのバランスがとても良い。
この経験をプロジェクト型チームの活動指針6か条とするなら以下の通りになる。
1、個々にできる仕事がある(仕事の為に人を充てない)
2、命令仕事ではない(本人の意思や熱量に応じた関わり方を用意しておく)
3、ゆるさ(余白と緻密さのバランス。いい加減とゆるさは違う)
4、充実感と達成感(参加者が関わることで周囲や環境の変化を体感できる)
5、コミュニケーションの場(参加者同士の交流が生まれる工夫を仕込んでおく)
6、楽しくないと続かない(利益や正しさだけでは息苦しい)
頭で理解する分には簡単だが、これらをプロジェクトの仕組みや活動に落とし込んでデザインすることはかなり意識的になっておかないとできない。「各々の<自発性>をいかに育み、支援し、どう<持続>させるか」という視点で言えば、これらは外せない考え方だろう。
プロジェクトの魅力の裏側にある難しさに対し、どう向き合うか。大前提として3つの役割の循環と行動重視、そしてプロジェクト型チームの活動指針をまとめてみたが、それではいよいよ「では、どんなコトから立ち上げていったらいい?」ということを次では述べていきたい。