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わが集落に校外学習でやってきた奥山の小学生たちに、おせっかいおばちゃん発動!

夏休み前の最終週となりましたね。
奥山の1学年数名の小さな小中学校にマイペース通学する小2の末娘。

連休中、まちの家に滞在して、自分のペースでゆっくり過ごしたおかげか、昨日、今日と連続して、無事、スクールバス登校して、平穏なわが家。

奥山の小学生たちと粘土採集&川の生き物かんさつ

そんな昨日、家で家事にいそしんでたら、なんだか家の前で、小学生たちがガヤガヤ騒いでいる物音がする。

なんと、末娘の学校の上級生の子たちが、先生方といっしょに、水着姿で十数名、ぞろぞろと歩いているではありませんか!

ん? これは校外学習かな。

即座に、おせっかいおばちゃん、発動!

河原に集合している子どもたちのそばに、そっと並んでみます。

「あっ、ヨーコさんだ!」
ご近所の男の子が私を見つけ、みんなに私のことを紹介してくれています。

なんとなく大丈夫そうなので、みんなの後ろの方で、中学校の理科の先生が、みんなに説明を始めるのを聞きます。

「今日は、この川の中に入って、粘土を採集します。

この粘土は、どうやってできたんだろう?

今から360年ほど前に大地震が起きて、この川が土砂でせきとめられたことがあって、そのときに溜まった粘土ではないか、という説があります。」

ほう、川に入るのね。
そういえば、先生方、子どもたちのライフジャケットも持ってきてはるわ。

小学生の担任の先生が、「では、川に入る準備をしましょう。膝上まで水に浸かる子はライフジャケットを着てください」

ん?
どうみても、全員分のライジャケはないぞ。
生き物かんさつもするみたいで、網や飼育ケースも持ってきてるみたい。

私も一旦帰って、装備してこよう。
家に戻って、ライジャケ、ウォーターシューズ、タオルに塩分チャージ、水生生物最終セットをリュックに入れて、濡れてもいい長袖・長ズボンに長靴履いて、再び、河原へ。

中学校の先生は、すでに川に入って、子どもたちを誘導中。

私も、シューズを履き替え、ライジャケ着て、少し上流の浅い場所から入水。

すると、川岸に、河原の面から数十センチ下に、2,30センチほどの粘土の層があるのがわかる。

11年前、特別警報の出た台風の豪雨で、うちの集落のお宮さんの祠が流されたとき、河原が大きく削られてあらわれた粘土層。

当時、野山をかけまわっていた小学生の次男が、いち早く見つけて、その粘土で土器を作り、河原の焚き火で焼いていたのを思い出す。

入水を待っている子たちに、「こっちにも粘土あるよ〜!」と声をかける。

「あ、ほんとだ。粘土だ。つるつるする〜」
「ねんどパックやな。お肌にいいかも」と返したら、顔に塗られそうに。

移植ゴテですくってバケツに入れて、学校に持って帰るらしい。

次は、支流の沢で、生き物かんさつ。

ご近所の男の子たちが大きな石で堰き止めて水泳場を作っていた、彼らの秘密の場所に、みんなでゾロゾロ行くことに。

男の子はちょっと悲しそうだったけど、気を取り直して、みんなを案内。

飼育ケースを持って、上流に上っていく子たちを横目に、私は下流に下りながら、岸の石をそっと裏返して、表面に動き回る小さな川虫を集めたり、

網を借りて、淵をいくつかガサって見たけど、何にも捕まらず。

でも、堰堤の落ちる水の裏には、ぜったいに小魚がいるはずなので、上流にいる子たちに「見てみなよ」と箱メガネを渡しにいく。

堰堤をいくつも登っていく子たちもいる。登るのが楽しいみたい。
落ちる水の下に座って、滝行もどきをしている子の姿もあった。

元気の出る粒をみんなに配ってお見送り

だんだん楽しくなって川遊びにはまっている子たちだけど、お昼近くになって、疲れたり、体温が下がっている様子も見えてくる。

「あと5分」と叫ぶ先生の声を聞いて、一足早く戻って、「元気出る粒、食べたいひと〜」と声をかけて、ばててそうな子に塩分チャージの袋を開けて配り歩いた。

(事前に、先生に確認して、アレルギーの子はいないので食べさせてOKをもらっていた)

流れた友達のサンダルを最後まで探していた女の子に、お疲れさまと渡しに行くと、もっと食べたいというので、二個目も渡す。

子どもたち全員、一通り食べたので、残りも分けようとしたら、
「いま、配るのは適当でないので、バスに戻ってからにしましょう」と先生に言われて、とりあえず、バスに戻ることに。

戻ってから、先生方にも、ひと粒ずつ、お渡しすると、みなさん、喜んで、食べてくださった。

その後、僕もほしい、私もほしい、と幾人もの子たちに囲まれたので、バスの中で女子が着替えている間に、男子たちに伝える。

「もう、あと5個しかない。
みんなが元気に学校に戻るために、どうしたらいい?

私は、この中で、一番、弱い人、この粒がないと元気に帰れないかもしれない人に渡したい」

それでも食べたいという男の子がいたので渡すと、「もっと年下の子いるやんか」と責める子がいた。

「(あなたは)要るの?」「ぼくはいらない」「そうなのね」

女の子たちと入れ替わりに男子が着替えに行ったので、女の子たちは、一人ひとりの顔を見て手を握って、「もう一個食べたい」と言った冷たい手の子に一粒渡した。

なんで私にくれないの?という顔をして「わたしもほしい」という子に、
「(あなたは)こっちの子より、手、温かいで」と伝えると、その子と握手して「つめたっ」と納得したよう。

冷たい手の子は着替えたあとも「さむい」とふるえていたので、バスタオルを肩にかけてあげて、「もう一つ食べる?」と聞くと頷くので、もう一粒渡した。

ほかの女の子にも聞いて、ほしいという子に渡しきった。

顔なじみのバスの運転手さんに、「お渡ししたかったんですが、全部、なくなっちゃいました」と伝えて、みんなが学校に帰るバスを見送った。

最後まで、子どもたちの主体的な学びに寄り添えたことに感謝

私は、こんな感じで、子どもたちに仲間入りしながら、臨機応変に関わることで、その場の学びあいが深まった様子をみることに、喜びを感じる。

これは、博物館学芸員してた時から、ずっと変わらない。

まずは、すべての人の安心安全が第一。
「どう?」「困ってる?」「どうしたい?」「なんか助けてほしいことある?」の声かけ。
心理的安全が確保されると、その人らしい言葉や行動があらわれてくる。
その姿は、どんなものでも尊いものだ。

指導しようと、めあてを与え、やることを決め、指示に従わせようとする大人の前で見せるその子らしさ。

「あなたはどうしたいの?」と心のなかで問いかける大人の前で見せるその子らしさ。

どちらも、尊い。

だけど、わたしは、目の前の人が、自分の想いを巡らせるスイッチが入って、その時、その瞬間の自分の想いを目を輝かせながら口にし、行動する姿を、少しでも多くみてみたいのだ。

そう思って、マイペース通学するわが子とも、学校でがんばっている先生方とも、保護者や地域の方、出会うすべての方々と、長年接してきた。

今回も、その想いが発動して、突然、授業に乱入したようなもんなのに、よくぞ、最後まで、先生方や子どもたちが受け容れてくれたものだ。

手渡しした元気の出る粒を、みんな(とくにすべての先生方)が、嬉しそうに食べてくれたことが、とても嬉しかった。

ほんとうにありがとう!

やっぱり、私は、こういうときに、一番、生き生きするなあ。

この夏休みに計画されている、この奥山で小中学生が過ごす寺子屋プロジェクトが楽しみになりました。

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