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登校意欲が湧かない末娘と「理想の学校像」が担任に伝わらない現実
すっかり記事投稿から遠ざかってました。
奥山の1学年数名の小さな小中学校に通う小2の末娘の話、最後の投稿は2週間前でした。
この記事のあと、無事、登校できて安堵して、上の子達のときの過去の理不尽な学校ルールを振り返ったりしてたのに、下書きのまま・・・。
その後、私がバタバタお出かけしてたんですね。
そんな中、末娘は安定のマイペース通学でした。
今週は、登校意欲の湧かない末娘
今週は、毎朝、登校意欲は湧かない様子で、月曜、水曜は、長休みからの登校、火曜と木曜は学校をお休み。
今朝は、スクールバスには乗れなかったものの、夫に送ってもらって無事登校。
月曜は、久しぶりに「かあちゃんも一緒に来てほしい」と乞われて、夫の車で長休み登校。
奥山のおばあちゃんから頂いた手作りのあやとりをやりたいと、自分で担任の先生に伝えて、2人で図書室へ。
あやとりの本を探して、それを見ながら2人で盛り上がっていたら、支援の先生が来られ、3人でさらに盛り上がり、一息ついたところで、
「もう、かあちゃん、帰っていい?」「いいよ」
と、了承をもらって帰りました。
帰りはスクールバスのお迎えに行くと、いつものように笑顔で降りてきて、「プールが楽しかったー」
火曜は、まったく学校に行く気は出ない様子。
この日は夏休みに奥山でやることになった「寺子屋プロジェクト」の会議があり、夫も在宅でなく出勤だったので、
「お休みするなら、かあちゃんの会議に一緒に来てや」「いいよ」
会議には、小さな子連れの方もいらっしゃって、一緒に遊んだり、
下校バスから降りてくるお友達を待って、いっしょに遊んだり。
水曜は、私は、夫に送ってもらって、都会の「ぽかぽか茶屋」へ行く予定。
(じゅんちゃんの「みんな違ってみんないい会」(略して「みちがいい会」)に参加)
末娘は、5時間目のプールに行きたいということで、夫の車に同乗。途中で学校に寄って登校し、
下校バスのお迎えに行くと、いつものように、笑顔で降りてきました。
そして、木曜も、全く学校に行く気が出ない様子。
たまっている漢字ドリルや、あやとりや、自転車練習、やりたいことをゆっくりお家でやりたいとのこと。
私も、久々に予定がないので、「掃除やごはん作りも手伝ってくれる?」「いいよ」と話をまとめて、夫が出勤したあと、女2人でのんびりモードで過ごすことに。
学校での出来事が思い出されて涙ぽろぽろ
洗濯物をいっしょにたたんだり、あやとりにしたり、お昼ごはんは「お好み焼きがいい!」と乞われたので一緒にお好み焼きを作りました。
2人で「美味しいね〜」と食べ終えて、お茶飲みながら、「明日はお祭りの伊勢節の練習会があるから、いっしょに行こうね」とか話して、合いの手を口ずさんだりしてたら、急に、思いついたように、
末娘が「音楽の時間に、毎日、鍵盤ハーモニカを使ってるんだよね」と話し始めました。
「吹くやつ(←ホース)を片付けるときに、縮めるのが難しくて、時間がかかって、みんながもう、教科書の何ページって準備できているのに、末娘はまだできてなくて。
みんなに「ちょっと待ってね」っていう勇気もないし、言っても「そんなの早く片付けたらいいやろ」とか言われるかもしれないし。
先生は、新しいのを買ってもらったらいいって言ってたし・・・。」
「そうなんだね」と言葉を返すと、末娘はぽろぽろ涙をこぼしてました。
「・・・そっか。末娘ちゃんは、つらかったんだね」
「・・・早く片付けられるようにしたい」
「明日、一度、お家に持って帰ってかあちゃんに見せてくれる。
新しいのも、必要だったら、ネットで買えばいいから」
「うん、そうする」
学校では、先生にも、子どもたちにも、マイペースを認めてもらえている末娘。
「ちょっと待って」って言ったら、「いいよ」って待ってくれる仲間たちだと思うし、末娘自身もそう思っているようですが、
「一斉授業」のスタイルの中では、自分のペースを大事にするより、みんなのペースに合わせることに意識が向いて、疲れるのでしょう。
それが積み重なってきて、学校に行く気持ちが湧かなくなっているのかな。
「おかあさんの理想が学校で実現しているイメージができない」
末娘の担任の先生は、経験の豊富なベテランで、いろんな子達に配慮しつつ指導力のある方。
末娘の意向も聞いてもらえていることに深く感謝しつつも、あくまでも学校のシステムにどう乗っけるかが前提の対応に、違和感と限界を感じていました。
先月、先生との面談のときに、その気持ちを素直に伝え、「学校が、こどもが安心安全の中で、主体的に選択して、自分のペースで育っていく姿を支援できるところになったら」という理想を語ったのですが、
先生は「お母さんの言ってることはわかるけど、それがこの学校で実現したときにどうなるかがイメージできない」と口にされました。
すごく、正直で素直な感想なのだろうと思いました。
「教えよう」とする大人の前では、子どもは「教えられよう」とする。
学校では、ただそれが起きているだけ。
そんな場から離れて、眼の前の子どもに、
「どう?」「どうしたい?」「困ってる?」「助けてほしい?」「きっとできるよ」という眼差しを送り続ければ、
子どもは、自分でやることを選ぼうとしたり、困り事を伝えて助けてもらおうとしたり、できるまで諦めようとしない姿を見せるのです。
夏休みの寺子屋プロジェクトで、そんな子どもたちの姿をたくさん引き出せたらなあ。
そして、そんな姿を先生方に見ていただけたら、イメージしてもらえるようになるかな。
・・・と、そんなことを夢想したりしています。