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「顔」はすべて「仮面」である

現在、本職に総力を投じなければならない状況だが、そうするとそれに応じた身体も観えてくるからおもしろい。

それは「顔」。

何しろ顔と名前で勝負する仕事だ^^
その割には
「あれ、今まであまり『顔』、観えてなかったぞ…」
と、唐突に気がついた。

「顔」を観る要決は、「顔の表面」と「頭蓋骨」の間の「隙間」をきちんと観ることにある。

ホラー映画『悪魔のいけにえ』の殺人鬼「レザーフェイス」をご存知だろうか。
自分の顔の上から、他人の顔の皮を被っているのである。

パッと見「顔」に見えるが、何かおかしい。
よく見ると、その「顔」は自分自身の顔ではなく、他人の顔の皮なのだ。
それに気づいたときの嫌悪感と恐怖感。
ホラー映画の古典的名作だ。

しかし実のところ、私たちは全員「レザーフェイス」なのである。

「ペルソナ」とは「仮面」を語源とする。
「顔」は「仮面」なのだ。
社会を生きる上で、仮面をつけてない人間などいない。

レザーフェイスを見たときの嫌悪感は、何というか、自分自身との関係性を否定しきれない嫌悪感ではないだろうか。

しかし、本当に他人を殺してリアルに皮を被ってるならともかく、「ペルソナ」を被っているなら、自分自身に嫌悪感を感じる必要はない。
それが人間という生き物なのだから。

仮面なら仮面で、それをきちんと認めて、丁寧に扱ってあげることが大事になってくる。

身体としての顔と、ペルソナとしての「顔」をきちんと切り分けられることが大切だ。

「顔」は強力な呪力を有する。

天井のシミや木のウロが顔に見えてしまうと、そこから目が離せなくなる。
観音や阿修羅のような神性は、多数の顔を持っている。

あまりライバルに知られたくないのだが^^;、政治家のポスターは「顔が大きければ大きいほど当選確率が高い」ということが実証されている。

大半の政治家ポスターは「笑顔」で写っている。
笑顔は呪力が高いからだ。

「笑顔」「泣き顔」「怒りの顔」など、呪力が高い「顔」には共通点がある。
「口の中」を見せているのだ。
また「目」の形も通常とは変わる。

口腔の奥には「頭蓋骨」がある。
それは本物の身体だ。
表面上の「顔」だけではなく、中身の身体を見せているため、相手の感情に働きかける力が強くなる。

「目」の呪力も強力だ。
これは人間に限らない。
眼球がどこを見ているかは、多くの生物にとって重大関心事だ。
だから、眼球のあり方は本質的なものと捉えられ、見る相手に大きな影響を与える。

だが、中身を見せるのも「顔」でコントロールできるのだ。
演ずることに慣れた者たちは、自在に「眼孔」と「口腔」をコントロールして「頭蓋骨」や「眼球」を相手に見せ、呪力を作り出すことができる。

人間以外の動物がどれほど「顔色」を読み取っているかはわからないが、人間はずば抜けて「顔色」を見る生き物と思って間違いないだろう。
それ故に、人間はこのような「顔」を操る技術を高度に発達させているわけだ。

人間は、武力だけで支配しない。
日本では、卑弥呼の時代から政治はあった。
「顔による支配」は、少なくとも数千年の歴史がある。

なれば、少なくとも私は「顔の集注観」に、もっと前から自覚的でもよかったな…と、自分の迂闊さを恥じ入る次第。

「いい顔をする」
という言葉は、決していい意味ではない。
しかし「良い顔になる」ということは必要なことではなかろうか。

良い顔になるようがんばります😊

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