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人類の「成功体験」から離れる

人間の概念化能力はものすごい。
現実を抽象化・概念化することで一般化し汎用化してきたことが今日の文明を築き上げてきた人類の「成功体験」なので、そんな気がなくても、油断するともう一瞬にしてこの「成功体験」に走る。もはやDNAレベルと言えるかもしれない。

武術における「繰り返しているとうまくいかなくなる現象」は、この人間の強烈な「概念化能力」によるものと思う。
一回、うまく身体を捉えた。うまくいった。
さすると、即座に概念化を始める。先ほどうまく捉えた「身体」を「概念」として扱おうとする。

しかし、1回目にうまく身体を捉えた理由は、まさに「一切抽象化されてない身体そのものを観ようとした」ことによるのであって、成功体験を得て概念化しようとした時点で、もう2回目は1回目と同じことをやってはいない。そして失敗する。

このことはもう散々理解しているつもりだったが、それでもやっぱり概念化してしまう自分を発見し、己の業の深さを反省するばかりである。
これは本当に成功体験なのだ。人間は「ラクをするためならどんな努力もいとわない」業の深い生き物だ。私のような「知識大好き哀しき現代人」は特にそうだ。

私は幼少の頃からコンピュータ大好き。なかなか買ってもらえないのでショップに通い詰めて、店頭展示のPCで、閉店になったら消滅するプログラムを書き続け、ついに見かねた親が小5のときにMZ-700を買ってくれた。
そして、大学卒業後初めての仕事はゲーム製作。
私は「概念化の権化」なのだ^^;

オブジェクト指向。クラス。抽象化。インスタンス生成。関数呼び出し。
「法則性を見出しまとめあげよ」
「同じプログラムを二度書くな」
「ラクをするためにあらゆる努力を払え」

これらはプログラミングであればすべて必要なことだし、正しいことだ。
しかし「身体」と向き合う際には、誤りとなる。

この「概念の権化」「知識大好き哀しき現代人」の私が身体と向き合うというのは、もうショッカーの人体改造レベルだ^^;

自分のショッカー改造に取り組む機会を与えてくださった光岡英稔先生に、心より感謝申し上げます^^
そんな、先週末の兵法武学研究会でした。

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