「坐」は孫臏拳、いやすべての中国武術に必要
(おそらく日本に20人くらいしかいない)孫臏拳士に捧ぐ…。
ようやく孫臏拳に可能性を見出せた。
正直、孫臏拳は半ばあきらめてた。
どうもハマらない。
不安定すぎて、技を打ったこっちがよろけそう。
しかし、孫臏拳を安定的に使うための大前提があったのだ。
それは「坐(ツォ)」。
基本は、馬歩站椿や馬歩冲拳。
ざっくり言って、人間は「背面」が「陽」になる。首の後ろから踵まで、概ねすべて「陽面」だ。
この理解のもとに馬歩をとったとき、陽面が背中、尻、腿を「下から支える」形となる。
まさしく陽面が椅子状になり、そこに「坐る」形になる。
初心者が馬歩をとったとき、「腿の前面」で突っ張って支えようとしがちだ。
しかし、これはしんどい。根性でやる状態になる。
しんどいのは「陰面」でやろうとしているからだ。
陰面は注目されるのを嫌う。陰キャなのだ^^
陰面はそっとしておいて、陽面を輝かせるようにしなければならない。
椅子状になった陽面に「坐る」のが「坐(ツォ)」だ。
これは、ほぼすべての中国武術の大前提となる。
「坐」ができてないと、形はそれなりのように見えても、根性で形を維持する状態となり、技として使用に耐えない。
五歩拳は、まさに「坐」の稽古だ。
特に最難関が「虚歩」。
片足の「坐」で全体重を支えなければならない。
形状や身体観に少しでも漏れがあると、虚歩は維持できない。
そして孫臏拳は、8割方この「虚歩」と同様の身体観で行う必要がある。
孫臏拳は「馬歩・弓歩を死歩として嫌う」と言われるが、これは馬歩・弓歩を学ばなくてよいということではない。
むしろ逆に、孫臏拳をやる前にまず五歩拳をみっちり稽古し、「坐」を把握しなくてはならない。
馬歩・弓歩を把握し、虚歩ができるようになって初めて、孫臏拳を学ぶ準備ができあがる。
特に現代人にとっては「坐」は難しい。
このあたりが、現代で孫臏拳がいまいち広がらない理由ではなかろうか。
しかし「坐」が把握できれば、孫臏拳に可能性が見出せる。
この地点まで来れば、氷の上を滑るような孫臏拳の軽快な歩法が活きる。
はてさて、これをどうやって現代に活かそうか…。