君よ知るや 井上尚弥の強さの秘密
12/13、井上尚弥がポール・バトラーを制し、バンタム級でアジア人初の4団体制覇を成し遂げた。
脱帽という他ない。
単に4団体制覇したのみならず、それぞれの王者全員をKOしているのである。
今回のバトラー戦においては、ノーガードで顔面を晒したり、さらには両手を後ろに組んだりと、余裕綽々とも見える試合運びだった。
まさに「怪物」である。
ただ、井上尚弥の強さを「怪物だ、すごい」で終わらせてしまっては、後進につながらない。
一朝一夕に真似るのは無理でも、どこに着目すべきで、どういう方向性で練習をしたらこういう強さが身につくのか。
一応武術研究者を任ずる私としては、一端なりとも明らかにしておきたい。
井上尚弥の強さを明らかにするためには、以前も紹介した、井上尚弥自身の著作である「勝ちスイッチ」が最も示唆に富んでいる。
2019年の1回目のノニト・ドネア戦直前の著作だが、「王者は何を考えて、何を考えないのか」の帯タイトル通り、井上尚弥の考え方・環境・練習スタイルなどが窺い知れ、非常に参考になる。
①前提:圧倒的な練習量、そしてその「中身」
当たり前ではあるが、その強さの秘密の第一が「圧倒的な練習量」にあることは疑いない。
これを指摘しておかないと勘違いがあるかもしれないので、念のため記しておく。
まさにここに書かれている通りで、量、というか時間、中国武術的に言えば「功夫」を積むのは当然で、さらにその「中身」が問われる。
漫然と練習をしていても井上尚弥にはなれないし、さらにその「中身」の「方向性」を間違えても井上尚弥にはなれない。
逆に言えば、天才でなくても井上尚弥になれるのであれば、希望の持てる話ではないか^^
この記事ではその「中身」の「方向性」を少しでも明らかにしたい。
また以前ご紹介した『超一流になるのは才能か努力か?』では、同様のコンセプトを様々な実例で紹介しているので、こちらも一読をお勧めする。
②試行錯誤が導く「身体の可能性」
多くの人が驚いたであろう、バトラー戦での「後ろ手」。
プロのリング、しかも世界タイトルマッチでこんなことをやる選手は前代未聞だ。
余裕なのか、挑発なのか、手を出してこないバトラーへの苛立ちなのか。
もちろんそうした側面はあるだろうし、井上尚弥本人も試合後そのように語っている。
しかし、いくら苛立ったからといっても、次の瞬間リングに大の字になってしまうような行動をそうそう取れるものではない。
事実、この「後ろ手」のあと、井上尚弥はこの体勢から閃光のような左フックを放っている。
「ここから打てる」という確信があるから、この体勢ができるのだ。
実はこの体勢は、韓氏意拳の形体訓練のひとつ「玉鳳飛翔」の一形態によく似ている。
韓氏意拳の形体訓練の目的のひとつは、身体の可動域の中の「最大有効範囲」を掴むことにある。
人間の関節の可動範囲のうち、「有効に使える範囲」はどこまでか。
形体訓練はこれを教えてくれる。
この「後ろ手」と同じ形が、形体訓練「玉鳳飛翔」の中にある。
つまり、この形は「有効な打撃が打てる体勢」なのである。
はたして井上尚弥は、韓氏意拳を研究したのか。
それとも、独自にここにたどりついたのか。
仮にこのバトラー戦で初めてこれにたどり着いたのだとしても、「これが有効な体勢だ」とこの瞬間に悟るためには、これ以前に相当な試行錯誤が必要なはずである。
これが、井上尚弥になるための「方向性」の一端を示している。
単なる反復練習ではない、自分の身体の可能性を探る様々な試行錯誤、自分と丁寧に向き合う作業が必要になるのである。
③「足で打つ」
井上尚弥も、最初からKOを量産していたわけではない。
経験を積み、試行錯誤を繰り返すうちに、重要な「気づき」を得る。
そのときより、まったく質の異なるパンチが打てるようになる。
ここだ。
ここが「モンスター」の核心である。
「足で打つ」。
これはどういうことか?
これは
「【足】とは何か」
というテーマと結びついている。
この点については、井上尚弥も「一言では語れない」と記しているが、言葉だけで説明するのが難しくなってくる。
ひとつ言うなれば、「現代人は驚くほど【足】が観えていない」ということだ。
このあたりは稽古を共にしていかないとなかなか伝わらない領域になってくるが、兵法武学研究会の光岡英稔先生は、こうしたことを伝えてくれる稽古を実施している。
ぜひ受講をお勧めしたい。
私も現在、板橋武研で【足】が観えることをめざす稽古に取り組んでいます。
ご興味がありましたら月例講習会の予定をご案内しますので、jouta@nakatsuma.jpまでご連絡ください。
費用は会場費程度のボランティア価格です^^