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大切なてんぐさ

突然だが我が家の愛犬は晩年、『天草(てんぐさ)』の香りを後頭部に漂わせていた。

これは愛犬からの「もうすぐ万物創成の源となった海へと帰るのよ」というメッセージだったのか、単に海が近い町に住んでいた為なのかはよくわからないが、とにかく我が家の愛犬が、天草の芳しい香りをまとっていたのは事実だ。

ちなみに天草というのは、ところてんや寒天の原料となる海藻らしい。太陽の陽をいっぱいに浴びて、そこらやここらで干されている(田舎だから)天草から放たれる濃い潮の香りは、ここに住む人間のソウルスメルとも言っても良いだろう。

見えないカウントダウンに怯えながら嗅ぐ天草の香りは私の心の奥深くに、にゅっと押しだされるようにゆっくりと入ってきた。もうその頃は三角の厚い耳を触ってもひんやりとしている事が多くなっていた。

そんな我が家の愛犬は15歳と11か月で天国に向かって旅立った。

天草の香りを拝めなくなっておよそ1年半が経った今、愛犬についての思い出をここに書き記したいと思う。

名前を『ハナ』という。まだ若い時のハナの後頭部は、まろやかなはちみつの香りがしていた。焼きたてのホットケーキのような毛色に、浸み込むはちみつの組み合わせは黄金だと思った。

ハナは自分を人間だと認識しているようで、食べる時は私達の食事と一緒のタイミングで食べ、眠る時は私達と同じようにいつも枕と布団を使っていた。

ハナが横で寝ていると寝言といびきで騒がしいけれど、それがなんだかとても安心だった。けれどたまに突然歯をカチカチするからびっくりして目が覚める。体温の高いハナは冬は湯たんぽのようで、夏でもやっぱり湯たんぽだった。

「暑いのよ、あなた」

そう告げて振り返りもせず部屋を出ていく後ろ姿は、自立している人間みたいだった。

多分それは、普段私や母がハナに対して「犬として」ではなく「人として」接してきた事が関係しているのではないかと思う。
友達や家族と話すのと変わらない口調でハナに、今日の出来事や明日の天気について意見を交わしていたのだ。

何言ってんだ。と思われるかもしれないが、ハナはちゃんと投げかけられた言葉を理解していて、鼻で笑ったりくしゃみ交じりに返事をしたり、都合が悪い内容だと無視をしたりしていた。

ハナは夕方の散歩に繰り出すのが大好きだった。
しかし散歩の度に玄関の鏡に映る自分の姿にハナは納得がいかないのか、鏡の前はいつも早足で通り過ぎる。
四本足と二本足の二人組。ハナは自分が『二本足』なのだと信じていたのだと思う。

だから散歩中に他所のワンちゃんに出くわすと、

「あら。四本足のボーイ。ごきげんよう」

という具合に、ちらりと会釈をする誇り高き貴婦人のような風格を出して、颯爽と歩みを進めていた。全然立ち止まってくれないので、飼い主としては少々気まずい。

「西へ。西へね。太陽が沈むのを見るのよ。あれはいいわ。」

私は頼りない飼い主だから、散歩はハナが主導権を握っていた。なぜか傾いたオレンジ色の陽に当たるのが好きなハナは、沈みゆく陽をおでこに浴びながら眩しそうに、だけれども颯爽と歩くのだ。私はいつだってそれの付き添いだ。

「沈んじゃったね」

私がそう言うとハナは興味なさげに、くしゃみ交じりの返事をすると踵を返して家路につく。今日も太陽を無事に見送れたからハナは満足なのだろう。時折何かを確認するように私にアイコンタクトを送るハナが愛おしかった。

くるり。とは言えないが、巻きかけているシッポをリズミカルに揺らしながら歩く姿を見るのが私の楽しみだった。

毎日がそんな風に当たり前に幸せに過ぎていくから、いずれやってくる『別れ』についてほとんど意識していなかったと思う。

平穏に繰り返されていく毎日を、沈んでいく夕陽と同じように「明日もある」と都合良く捉えていたのかもしれない。

二人で歩いた散歩道は、今も変わる事なく西に向かってまっすぐに伸びている。だけどアイコンタクトをくれるキラキラと黒目を輝かせたハナはもう隣にいない。

傾く陽が届けるオレンジ色もきっとハナを照らしたがっている。
だってハナはいつだってその陽をおでこに浴びたかったのだから。
まるで道で日向ぼっこをする天草みたいに。たっぷりと。

きっと今頃ハナは、念願の二本足に生まれ変わっていると私は勝手に予想している。でももしもまた四本の足で地面を踏みしめていても、気高く誇りを持って歩いていると信じて沈む陽を見送った。

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