ツール・ド・おきなわ 市民200km 11位
1週間前の鈴鹿とチームのサポートライダーとして出たヒルクライムで過去感じたことの無い圧倒的な仕上がりで迎えた今回のおきなわ。
初参加でベテランの方々と比べて経験値は圧倒的に不足しているが僕の脚質や走りのスタイル的にも優勝を狙えるレベルにいると思っていた。
結果として自分の判断ミスや経験不足が重なり、一言で表すならば「弱かった」に尽きる。
来年の自分ならきっと勝てると信じてもっと頑張るしかない。
目標
結果
機材
体重
コース
名護の市街地発着で200km2800up。
レポート
鈴鹿を終え、最後まで着いて行けば自分の得意なスプリントで勝てると思いながら沖縄入り。
着いたあとも山本や田中🐉さんと出会い少し話をしたりして宿へ。
この日はカーボローディングではま寿司を引くくらい食べた。
足の浮腫を感じたので1時間ほど軽く足を回しに行き移動日は終わり。
レース前日になる翌日は遅めに起きて山本と羽地の試走へ。
僕が目指すべき展開であればここで勝負が決まるので勾配や距離、路面状況などをしっかりと確認した。
昼食、夕食はやよい軒でカーボローディング。米は最強の食事である。
出走が7時20分頃なので30分前までの召集に間に合うように宿を出る。朝起きた時点で雨がかなり降っていたのでレインベスト、アームウォーマー、おしりにビニールの3点セット+脚と腕にワセリンで会場までは長袖レインウェアと傘を持って行った。
スタートしてからはひたすらに前にいるように心掛け、足を使わない程度で前を引いたりと体を冷やさないように気をつけ続けた。
そんなことをしていても寒いものは寒いし周りの選手を見てもほとんどの選手が寒そうにしている。
そんなこんなで1回目の普久川へ突入。思っていたよりもペースは早くパワーは平均で5倍近く出ていた。そして20分登ればそれに見合った下りがやってくるわけで寒さと落車の恐怖に耐えながらダウンヒルを開始。
途中3名ほどが僕の15m前で落車するも何とか回避し無事下りきる。
そこから奥の登りらへんで牧野くんや高杉さん達が抜け出したがまだ先は長いので静観。僕は周りの選手と比べて短時間は強いと思うけど、長い上りや逃げ的な動きが得意な訳では無いのでひたすらに足を温存し続けた。
2回目の普久川は1回目よりも少し強度が落ち平均で4.7倍程度。ここの補給所でボトルを受け取ったが無理やり割り込んで来た選手に前輪はすられて死を感じた。
何とか落車せず耐えきり次の学校坂を前の方で入るために少し頑張って下る。そして自分の思惑通り学校坂は集団前方で入ったが亮さんの踏みがキツすぎる。あとから見たら5分MMP更新してた。そのまま亮さんは抜け出し僕は5名の追走集団へ合流した。
結果的にこの動きが良くなかった。後ろには20人程度のメイングループがいて多分20秒差しかない。追走は前へ追いつくために踏み切る訳でもないしメイン集団へ戻る訳でもない中途半端なペースで回り続けていたので脚を少しづつ削られて行った。メイン集団が追いついてきたあとは少し足を回復させるために後ろへ下がったりはしたけど雨なのもあって大して回復しない。まずいと思いながらも集団が亮さんを捕まえたがそのまま有銘の登りでもう一度亮さんがアタックし着いていけた3名以外全員処された。もちろん僕も学校坂以降の無駄な動きが響き処される。
はこぶねさんの声掛けもあり何とか全員がローテーションして追うがタイム差を詰め切ることが出来ず羽地へ…僕はそれまでの無駄な動きで脚を使ったことが響きここでも遅れる。
何とか下りで前のパックに合流し11位でレースを終えた。
レースを終え今までに感じたことの無い悔しさを感じた。自分がレース前1番やってはいけないと思っていた後手後手の展開になったことや無駄足を使いすぎたこと…。全て自分が未熟だしそもそも更に強いフィジカルがあればそんなことも関係ないわけで。
自分が追い求めた結果とは程遠い終わり方だけどグランフォンド世界選手権が終わって1ヶ月くらいは疲労や暑さ、腰を痛めたことで思うようにトレーニング出来ず、10月からの短期間でここまで仕上げれたのは奇跡に近いのでトレーニング面でこれ以上できることは無かったと思う。
来年はメンタルもフィジカルも経験も全ての面でさらに強くなっておきなわで1番いい景色を見たい。