明けまして怪文書2025

 いつもの部室に、いつになく張り詰めた空気が流れている。
 ストーブの上に載せたやかんが口から勢いよく湯気を吹く。
 時折、窓ガラスが風に揺らされてがたがたと音を立てる。
 それらの音などまるで意に介さぬ、と言った様子で、先輩は新聞を敷いた床の上、座布団に座り、瞑目していた。
 やがて静かに目を開けると、筆を手に取り、墨をつける。
 そして目の前に広げられた和紙に、そっ……と筆先を載せた。
「……っ!」
 ふっ、と息を吐くと、そこからは一気呵成。
 さらさらさらり、と白い紙の上で筆が踊る。
 程なくして四文字目を書き終え、筆が和紙から離れた。
「ふーっ……」
 達成感に満ちた長い息を吐く先輩。
 やたらと達筆な字で記された四文字。




 嘘だと言ってくれ先輩。

「……………………あっ」
 こちらに指摘される前に誤字に気付いてくれたらしい。
 数秒の気まずい沈黙の後、耳まで真っ赤になった先輩がくるくると書き損じの紙を巻き取ると、そのままゴミ箱に放り投げた。
 ……外れた。
 座布団から立ち上がり、改めてゴミ箱に捨てる。
「…………」
「…………」
 正直このレベルのやらかしともなると茶化すに茶化せない。
 数秒の気まずい沈黙の後。
「……後輩君! 新年一発目の活動は書き初めだよ!」
 まさかそこまで時間を巻き戻す気ですか先輩。

◇…………◇…………◇

 ……と言うわけで、新年早々呼び出された部室で、先輩に見守られながら、墨をすっている。
「別に今日は新年初ベイブレードでも良かったのでは?」
「それも勿論やるよ? でもその前に新年なんだし書き初めしなきゃ」
「……もしかして毎年やってんですかこれ?」
「そうだけど。後輩君はやらないの書き初め?」
「書道なんて小学校以来ですよ……」
 小学校の時に買わされたであろう、先輩の書道セットを使っているのだが、やけに使い込まれてるように見えたのは気のせいでは無かったらしい。
「それじゃお題は『今年の抱負』ってことで、いってみよう!」
「今年の抱負……」
 真っ白な和紙の前に座り、腕を組む。
 流されるままに日々を過ごしている無気力学生の辞書に、目標などという前向きな単語が記載されているはずもなく。
 かと言って、この感じは何か書かない限りは解放してくれそうにない。
 それらしい四字熟語はないもんかと頭を捻りつつ、先ほど先輩が書き直した『一射入魂』を眺める。
「と言うか先輩、字が綺麗ですよね」
「んーまぁね? これでも中学校まで書道やってまし?」
「あぁ、成程それで」
 書き初めの習慣もその頃からのものなのだろうか。
「いいからほら、ささっと書いた書いた。早くしないとベイブレードやる時間がなくなっちゃう」
「そう言われましても」
「なんかないの? ほら、その……たとえば……『一日一善』とか?」
「一年の抱負としてどうなんですかそれ?」
「えー別に悪くないと思うけど……っと、電話だ」
 先輩がスマホを取り出し、画面を見る。
「あれお母さんだ、どうしたんだろ……ちょっと電話してくるから、その間にさささっと書いといてね!」
 言うが早いか、部室を出ていく先輩。遠ざかる靴音……どこまで離れる気だろう。

 一人、部室に取り残された。
 目の前には未だ白紙の習字用紙。
「…………」
 何の気なしに筆を取り、文字を書く。


 先輩の苗字である。

「………………」

 そこに続けて自分の名前を書こうとして、
「……いやいやいや何やってんだ」
 思いとどまる。
 いや先輩の姓って婿入りする気か自分よ書くなら自分の苗字に先輩の名前だろっていやそもそもそういう話ではなくて

 ぱたぱたぱた、と靴音が近づいてくる音がして、思考の迷路から引き戻される。
 慌てて用紙をくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱へと放り投げた。
 外した。
 投げた紙はゴミ箱の縁に当たり、ころころと床を転がっていく。
 タイミング悪く、勢いよく開かれる扉。
 書き損じの紙が、ちょうど先輩の足元で止まった。
「やー帰りにおつかい頼まれちゃった。後輩君、ヒマなら帰り道付き合って……って何これ、書き損じ?」
 と、屈んで拾い上げようとする先輩、よりも早く動いてゴミを奪取。
 本気出したらこんなに素早く動けたのか自分……火事場の馬鹿力、というのは恐ろしい。
「ちょっ、どうしたの後輩君、なんか凄い動きしてたけど?」
「いや別に何も?」
 手の中の紙屑をそのままポケットに突っ込む。
「そ、それなら良いけど……それで、何て書くか決めた?」
「えぇ、たった今思いつきましたよ」
 新しい紙を準備し、再び筆を取り、さささっと書いていく。




 今年は何があっても動じないよう、落ち着きを持って日々を過ごしていきたいところである……が、既に難しいような気もしているのだった。




 明けましておめでとうございます。
 こういう記憶ってのは一度書き始めると仲間を呼ぶんですかね、マドハンドかな?
 まあなんか、こんなんばっか書いてく一年になるかもしれませんが、変わらぬお付き合いのほどを。それではでは。

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