感想:死神の浮力(伊坂幸太郎)
今日は、最近読んだ本のご紹介をさせて頂きます。
伊坂幸太郎の「死神の浮力」です。
僕自身、この本を読むのは3度目くらいな気がします。
1度目・2度目読んだときは、単純にストーリーを追っていくのでも面白かったんですが。
今回3度目を読むと、なかなか今までは気づかなかった示唆が得られたりして。
この物語は、「人間の模様を1週間観察・調査し、死ぬことを【可】か【見送り】するかをジャッジする死神」の千葉が主人公。千葉が【可】とジャッジしてしまうと、その人間は翌日死んでしまう。
で、千葉は山野辺という男を調査することになった。子供が殺されてしまって犯人に復讐しようとしてる山野辺を調査する傍ら、千葉がいろいろな出来事に巻き込まれて…というストーリー。
子供を亡くした親がフィーチャーされるため、暗い物語になるかと思いきや、千葉のコミカルな仕草や言動も相まって、それは伊坂的世界観というか。
そして、伊坂幸太郎独特の伏線に次ぐ伏線、終盤に向けてどんどん盛り上がる展開…というのはもちろんあるのですが。
個人的に刺さったフレーズをいくつか書いてみます。
「怖くない。大丈夫だ。俺が先に行って見てきてやるから。」
山野辺が小さい時、父親とお化け屋敷に行った時に、入るのが怖い山野辺を見て父親が言ったセリフ。父親がお化け屋敷から出てこないのではないかと心配になった、というエピソードが語られたあとで。
父親が死ぬ間際、山野辺に対して、自分が先に行く(=死ぬ)けど、怖くないことを見てきてやるから、安心してくれ、と諭す場面でも使われるセリフ。
人間はいつか死ぬ。父親は、子供に対して、いつかは死ぬけど、怖いことではないんだ、ということを伝えるのが最期の勤め、というエピソード。
自分自身がもうすぐ死んでしまう、というのに、自分の子供にそんなことを伝える、器量の大きさというか。そんな父親に自分はなれるのだろうか。
「寛容は自分を守るために、不寛容に対し不寛容になるべきか」
山野辺が好きな文学人の名言として紹介される。
寛容、つまり、人に対して優しく出来る人は、不寛容、つまり、人に対して優しくない人が、仮に嫌がらせや危害を加えてきたとき、不寛容、つまり、非合法な手段で応酬すべきか。
小説の中では、不寛容になるべきではない、と諭されるのですが。
これ、まさに先日の池袋の事件で会見を行なっていた遺族の男性に当てはまるなと思って。
自分の妻と子供があまりにも理不尽なプロセスで命を落とすこと(=不寛容)になっても。
犯人を憎んだりする気持ちも、もしかしたらあるかもしれないけど、仇打ちをするのでなく、交通事故で命を落とす人を少しでも減らそう、というポジティブな動きに変えること(=寛容)ができる。
心が強い人でないと出来ないことだなぁ。自分もそうならないといけない日が来るのかなぁ。
ということで、ストーリーも面白ければ、いつも何かしら自分の血肉になっていると感じる伊坂幸太郎。よろしければ。