僕が音楽を志した理由。#2 松田聖子 とTHE MONKEES と TOTO
1980年4月、80sの幕開け、この年晴れて中学生になり、都心の中学に通い、行動範囲も大幅に広くなった。"楽器の街"御茶ノ水に学校があったこともあり、音楽を楽しむ環境には非常に恵まれていた。通学路にはギター、ベース、ドラムはもちろん、シンセサイザーやその当時の最新機器を手に触れられる機会に恵まれていた。
円高で、輸入盤のレコードが1800円ぐらいで手に入る。しかもDiskUnion の様なレコード屋に限らず、文房具屋やの店頭やスポーツ品店でもなぜか売っていた。
中学生になって、僕の音楽ライフは一気に豊かになった。最大の貢献者は"ウォークマン"、そして、貸しレコード屋。
そして80年代は、街に新しい音楽が溢れていた。
"FMレコパル"や"FM STATION"と言った雑誌を買って、それらを情報源にラジオを中心にエアチェックをし、少し音にうるさいステレオマニアにもなっていた。
時系列は頭の中で上手く整理でき無いが、1980年は、僕の中で幾つかのトピックがあった。
松田聖子がデビューし、ジョンレノンが射殺され、ザ・モンキーズのリバイバルブームが起こった、81年には、サイモン&ガーファンクルが、NYのセントラルパークでチャリティーコンサートを開き、日本にもツアーでやってきた。
松田聖子 【瞳はダイヤモンド】
中学生の僕が初めて行ったコンサートは松田聖子でした。
1980年9月、"THE MONKEES"のモンキーズショウというテレビのバラエティ番組が再放送になった。
"THE MONKEES"は、60年代のアイドルバンドですでに解散していたが、80年に日本でリバイバルブームが起こり、本人達も来日するぐらいの人気になっていた。
The Monkees - "Pleasant Valley Sunday"
"THE MONKEES"には、当時相当はまり、実は復刻されたレコードは全て今でも持っている。特にギターを弾いているマイク・ネスミスが好きで、彼のソロのバンドのレコードまで買うぐらいになっていた。
この"モンキーズショウ"でバンドのかっこよさを知り、バンドを組みたいと思いはじめる。まだ楽器が弾けないので、お年玉で中古のYAMAHA製のレスポースを2万円で買い、アンプは買うお金がなくてラジカセにギターを繫いで練習を始めた。
誰でもギターの初心者はそうだと思うのだけれども、中々上手くならないので、「上手くならないのは、ギターの教本のせいなんじゃないか」と、思うようになる。
楽器屋で自分でもできそうなギター教本を探しまくるのですが、そこで出会った、"伊藤銀次"さんの教本に"TOTO"の曲の、簡単なギターリフが載っていて、実はそれが、洋楽とロックの世界に入っていくきっかけになった。そして初めてギターでコピーした曲がこれ。
Toto Live 1979- I'll Supply the Love
最後がかっこいいので、是非最後まで見てね。
"TOTO"に限らず、"VAN HELAN","RAINBOW","Deep Purple"などなど、当時にロックバンドは、実はギターの教本を通して知ったことが大きかった。
まあ、何せ40年近く昔の記憶なので、時系列は曖昧だが、当時から洋楽も邦楽も、かなり雑多に音楽を楽しんでいたのは確かである。それもこれも、ウォークマンのお陰は大きい。
まだ中学生時代は終わらない、つづく。
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