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アメリカ11年生目。人生37年生目。友人の死別が教えてくれたこと。

みなさん、おはこんばんにちは!

ご無沙汰しております。Anime Expoも終わり、Anime NYCも終わり(プライベート行きました。)気づいたら10年目の節目を超えていたので、簡単にエモい記録を書いておきます。長くなるか、短くなるかは書いている今、わかりません。

何者?


(こちらテンプレなので飛ばしてね)日本生まれ日本育ち。です!日本人です。二世ではありません。

職歴はこんな感じでちょっとだけかなり変わっているかと思います。

【職歴】
▽小学校日本語教師
大学卒業後、アメリカのポートランドという地で日本語教師のインターンを1年

▽海外向けEC立ち上げ
株式会社ブラシナの社内新規事業のメンバーに入り、6カ月で事業撤退。制作部を少しだけ経験。

▽小学校日本語、英語教師
日本にて小学校の教員に戻り1年と1学期。

▽Tokyo Otaku Mode
各部署の立ち上げを日本で経験し、2014年〜2019年でUS法人・拠点の立ち上げと経営を少し。

▽Ultra Tokyo Connection
Good Smile Company(日本のホビー・エンターテインメント会社)の米国子会社にて、マネージャーとして転職

▽Good Smile Connect
上記姉妹会社に転籍。商品開発として、アメリカでものつくり

▽Hamee US
日本ではiFaceで有名なHameeのUS子会社にて、マーケティングとライセンシングを中心に日々走り回り中

Jetroのレポートお手伝いしました!

https://www.jetro.go.jp/ext_images/_Reports/02/2024/c4e281f9a67a5ddb/2024-07.pdf

Tokyo Otaku Modeの時のご縁で、常に情報交換をさせていただいてましたが、ついに渡米10年で形になりました。控えめに言って、今までの公的レポートの中で一番現場に近く、US進出の足掛かりとして使っていただける内容かなと、自負しております。たくさん「情報交換」と言う名の「アメリカどうしたら攻められるんですかね?」という相談もいただくようになり、結果教科書を作るのがいいかと思い、権威性・信頼性の確保としてJetro LAチームと一緒に創り上げました。

めちゃくちゃフレキシブルなチームかつ、なんか夜中まで付き合ってくれたり、すごくやりやすいチームでした。この場を借りてほんとにほんとにお礼を言いたいです。ありがとうございます!

ということで、読んでいない方は必ずご笑覧いただき、感想や質問などいつでもなんでもくださいまし。

今後も日本の皆さんが、もっとハードル低くアメリカ進出できる世界を目指して頑張って参ります!

覚悟はしていたアメリカにこだわることの「正体」

コロナを通してか、歳をとったからかは真意はわからないが、思考が変わったのも事実あって。「あと何回」と言うカウントダウンが増えたこと。決してネガティブではないけど、逆算もできるように(してしまうように)なった最近です。

得られることは無限大∞

日本にいないと言うことで得られることは無限にあって。機会が圧倒的に増えるということ。と言うのは少し語弊があって。
厳密にいうと、「海外にいる<英語が少しできたら」かもしれない。日本であまり働いたことがないので比較ができないけど、機会はまぁ単純計算で、会話できる人が増える分だけ、皮算用で増えているはず。

あとはまぁ生活基盤とかにもよるけど、割とメンタルた強めになる気がする。理性が完成してから怒られることがあっても、「できない」「わからない」ことってあまり少ないと思う。

言葉が違うと、さも英語でわかってますと言う雰囲気で完全武装して、レストランでイキって注文したらなんかマジよくわからないもの出てくると言う意味での、食べたいものが食べられない。とかそんなことを経験する。

文化が違うと、映画館で声出して笑ってもいい。と聞いて、これは文化に触れるにはもってこいと。意気揚々と映画にいって、字幕がないから60%くらいしかわからなかったりして、とりあえずみんなが笑ってるタイミングで合わせて笑ってみて。何言ってるかわかってるのに、なんで笑ってるのかがわからない。から笑いして映画で$20払って激疲れするとかも経験する。

こう言う大人になってからの訳のわからない理解不能な体験をすることはある意味得るものがある。兎にも角にも、生きていける基盤を保てれば(ここ重要+大変)なんか視野が広がった気分だけはくれる国が日本人にとってのアメリカかとおもう。

あとは圧倒的なる愛国心が芽生える。日本は遅れてるとかなんちゃらとかよくわからんけど、実は世界の進化のはるか先を言っている可能性が高い。まぁこれはひと記事ふた記事書ける内容なので割愛。けど、マジで日本は大好きな最高な国であることに疑いはない。

一番大事なのは失う可能性が高いモノコトを理解して対策すること

コロナ禍で父方の祖母と、母方の祖父が天国へ行ってしまった。メキシコの友人も、元同僚も。

そして先日高校のサッカー部の同級生が亡くなった。テンプレの言葉を吐くが。嘘かと思った。けど、本当だった。28人くらい同期がいて、4人くらい連絡が取れる人がいなくて、(心配っちゃ心配) 通夜には20人集まった。冗談抜きに集めてくれたんだと思ってる。いま仕事を休んでこうやっていける環境にはすごく感謝したい。

みんなで献杯(みんな早すぎる友人の死で、献杯ということに慣れてなかった+僕はそんな言葉知らなかった。集まったと言って、毎回同じ話するし、みんな全然変わってないし、くそしょーもない話ばっかだし、大人の自覚が全くない。笑 甘酸っぱいと言われる青春を捨てて?男子まみれの汗酸っぱい青春を過ごした仲なので、そりゃ仲はいいし、いつ会っても楽しいわけである。

最近思うのは、「あと何回会えるか」である。海外生活は、得られるものは多いが、考えておかないことも比例して増える。一番大事なのがこれである。

例えば、親が63歳なのでじゃあ100歳まで生きるとして、年に一回帰国時に会うとしたら、あとたった40回ほどしかない。仲間も同じ。同級生たちあと60年は生きるとして、60回しかない。サッカー部の仲間を考えると週末を共にしていたし、毎日学校でも会うし。たかが2ヶ月分しかない。約1,000日強一緒に過ごしてきた仲間だからかもしれないが、なかなかの数字である。

でも大人になるって、国がどうとかなんとか関係なくそうなんだなって思う。これが僕たちが子供だった頃に大人が言っていた、「遊んでおけ」と言うことの正体かと最近思っている。僕が「日本に帰るのも悪くないよな。」と思える瞬間はこう言う時にある。だからと言って帰るわけではないが、正直揺らぐこともある。

サッカー部の仲間とは来年からこの時期に集まることになった。「あいつが作ってくれた機会」であることをキャプテンが言ってた。月曜日の夜献杯のあとに、路上で円陣の中心で青春を叫んだキャプテンが。そういうことだとおもう。9月はこれから日本に帰る月になる。

これがアメリカでこだわることの正体だと最近思っている37歳です。

それでも僕はアメリカにこだわる

総合してみても別にどっちが正解とかはない。ただ挫けそうになる時は、挫けるときはいつも人を考えると言うこと。結果自分という人について一番考えるということなんだけど、すごくなんかエゴの世界だと言う認識もある。

それでも僕は、今の環境に感謝しながら、ちゃんと続けて凡人がどこまでできるのかを試したいと言うのがこだわる理由の一番なのかもしれない。これを体裁の良いように言うのが、「日本のみんながアメリカ進出するハードルを低くする世界」ということなんだと言語化できました!

僕の最近は田中龍之介さんのこの金言につきます!
カッケーっす!

兎にも角にも引き続き、世界のハードルを下げるべく頑張ります!

お誕生日のメッセージありがとうございました!!!

サポートいただいた大切なお金は、正直に言いますが、僕のやる気に使わせていただきます。