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2020→2021中田大樹について

あけまして、おはこんばんにちは!
忙しいを自分への言い訳に、11月、12月とNoteを更新できなかったダイキです。
#師走だしね
#すみません

今回は2020年の振り返りを月ごとにしてみたいと思います。自分のメモのようなものなので、興味ある方、暇つぶしを探している方は、ご覧いただければと思います!

1月

- ほぼ毎週末スノボーに行く
- グループ内転籍の話が出る
- オンラインサロン・コミュニティの研究を始める

LAでは、コロナが少し顔を出したくらいで、普通に夜もご飯に出ていたし、なによりスノボに毎週のように行っていた。この頃から、本格的に日本とアメリカのコミュニティについて研究し始めて、いろいろなオンラインサロンや、アメリカのコミュニティに入ってみたのがこの月でした。

2月

- メキシコ旅行(グアナファト、グアダラハラ、レオン)
- NYにToy Fairへ出張
- 離婚の話がでる
- Note始める

コロナが少しずつ更に顔を出してきたけど、マスクは人が多いところに行くときしかつけてなかったしそこまで気をつけてもいなかったのが正直なところ。日本は結構話題にもなっていて、温度差をすごい感じた。余裕でメキシコ旅行にも行ったし、このときは タケちゃんにもゆうすけにもすごくお世話になった。メキシコ人の友達の家に、謎にアメリカのスーパーボール(アメフトの決勝戦)を見に行って、ステーキ食べたのを覚えている。ちなみに、そのときに一緒に食卓を囲んだ友人は、LAで3月に会うんだけど。2020年後半でコロナで亡くなってしまった。唯一の周りでのコロナの犠牲者で、けど正直あまり実感がない。

ちなみに僕は現在離婚しています。笑 この月はカオスだった。元奥さんに離婚を切り出されて、抵抗もなく普通に受け入れた。その時の理由は、アメリカ生活がしんどいとのこと。けど一緒に帰るのはイメージができないとのこと。この最初の記事を書いたときはまだ話してなかった。この直後ぐらいだった。日本から向こうが帰ってきた瞬間に言われた。ショックはショックだった。実は2019年の秋に違和感を感じたので、一度「大丈夫?」と話はしていた。ので、サプライズってわけではなかった。「日本に男でもいる?」って聞いたのは、今考えると笑える。笑

3月

- 引越し先を決定
- 元奥さん日本へ帰国
- コロナでロックダウン
- 離婚

引っ越しもリアルに考えていたので、一気にひとり暮らしの場所に切り替えた。職場も近くて、ジムもプールもついてて、便利な場所にしたかった。お金を貯める必要もなくなったし、遊んでやろうと思ってたので、ちょっと頑張ってみた笑 中旬のロックダウン直前に、向こうが日本に帰り、3月末には離婚届を出してもらった。3月24日に提出してくれたみたいで、あとから受理証明書を郵送してもらった。

一番やばかったのは、荷物をあとから配送したこと。フェデックスに持っていくのにめちゃくちゃ惨めな感じがした。8個大箱を送ったのは、いまでは笑い話としてのこった笑

4月

- 会社設立
- キャリアブランディングコーチングを受ける
- LAダウンタウンに引っ越し
- ガジェット買いまくる
- スニーカーアートを始める
- 甥っ子が生まれる

もともと、長らくの知り合いの先輩と不動産を共同購入(僕はほぼ名義貸しみたいなもん)して、Airbnb運用しようと動いていたので、会社を設立した。何もない空っぽの会社だったけど、友人と一緒に立てた。僕はビザの関係上自分で動けないので、いまはいろいろなメンバーにメンテナンスや営業活動はお願いしています。そして、キャリアに悩んでいるわけではないが(笑)縁あってキャリアブランディングコーチングを受けてみた。自分が整理されてよかった。ダウンタウンのど真ん中にも引っ越して、Staples Centerのほぼ目の前に今も住んでいます。遊んでやろうかと思っていた目論見は、ロックダウンで儚く散り、かつジムも、プールも今まで一回も使っていない笑

それまで、色々と伸ばし伸ばしにしていたガジェット類を買い漁って、何を思ったか、アートを始めたりして自由っぽいものを謳歌していた。なにより、弟の子供がうまれて、おじいちゃんおばあちゃんが、ひ孫の顔を見られたのはすごく嬉しかった。長男だから、少し離婚も申し訳なく思っていたけど、これには救われた。ちなみに、甥っ子はめちゃくちゃアイドルになっている。

5月

- 祖母が日本で亡くなる
- DJのチャリティイベント参加
- グループ内現地法人へ転職
- 睡眠研究を始める

LA時間の5/3にアニソンDJのチャリティイベントがあった。2019年に趣味で始めた、LAでのアニソンイベントチームと他の都市、各国のDJたちと一緒にコロナの募金を国境なき医師団に寄付するという目的でイベントマラソンをやった。その出番の直前15分前に、母親から連絡がきて、父方のおばあちゃんが亡くなったと連絡があった。原因はコロナではないが、家族葬にするけど来れるか?って話があった。とりあえず日程確定をまって、そのままDJした。淡々とやったので「俺はプロか?」と思った笑 けど、おばあちゃんがやれと言ってくれてる気がしたのは割とガチ。

で、さらに、現地グループ内法人に転籍になって、人生初めてのアメリカ人上司ができた。めちゃくちゃおもしろい人で勉強にもなった。会社に日本人が一人なのが初めてで、ロックダウンになってからだから少しコミュニケーションは大変だった。けどいい感じで馴染めてるし、楽しいことが多い。

なぜか、2019年あたりからショートスリーパーになっていたので、よりよく眠れる方法は結構さがしていた。このころから、かなり色々ためして、食べるものとかも実験してた。メラトニンとかそういう成分の話になるので、またどこか時間があれば書きます。気になる人はDMしてください!

6月

- オンラインコミュニティの運営を手伝い始める
- ファッションデザイナーに会う
- 色が見えなくなる
- DJのチャリティイベント参加

この月は自分のターニングポイントでした。2019年から、色々と完全ボランティアでなにかプロジェクトに個人的に参加するようにしています。2020年はコロナも離婚もあったので、この時期になりましたが、サムライビレッジというオンラインコミュニティを立ち上げました。あつしさんと、みほさんを筆頭にやっております。また、ファッションデザイナーのしゅんくんにも出会って、色々と新しい出会いが多い月だった。5月にやったDJのチャリティイベントをもう一回やった。また、おばあちゃんが見てくれてる気がした。

と、同時に月末に変な現象も起きた。見るもの見るものの色が少し薄れて来てた。なんか初めての感覚だったけど、シゴトも忙しくて割と無視してました。この頃から、早起きを習慣化初めて、6時前には起きるようになりました。冷たいシャワー浴びるとか、習慣を増やした月でもありました。

7月

- 新しい人達にオンラインやLA周辺で会い始める
- 医者に「Psychogenic Visual Loss」(心因性視力障害)と診断

この頃から、オンライン飲み会が増えたり、人との再会があったり、少しずつ活動感がでてきた。けど、中旬に流石に目がおかしいので、バーチャルで医者に見てもらった。コロナもあるから、バーチャル診断というのがあって、最初に症状を伝えたらモニター見すぎと言われて、ブルーライトカットのメガネをおすすめされた。もともと持っていたのでかけるようにはしていたが、濡れタオルを温めてやったりしても、なかなか治る気配もないので、別の医者に診てもらった。バーチャルだったが、最初にストレスチェックみたいな問診票がオンラインで事前にあって、診断の最初に、最近「親族が亡くなったか?」「会社の仕事はどれくらいやっているか」「離婚はしたか」「ペットが亡くなったか」「1日何時間寝るか」とか、色々と聞かれて、答えていったら「おそらく、Psychogenic Visual Lossよ」といわれて、

- コーヒーをへらすこと
- 睡眠時間を6時間は取ること
- ウォーキングでいいから運動をすること

いや、生活改善やん。っていうような話をされた笑 「俺がきついのは目だぞ?」とおもいながら、騙されたと思って色々とやることにした。ちょっと、自殺する人の気持がわかってしまったような気がしたのはリアルです。

8月

- 山に2週間籠もる
- G-Shockからアートの依頼がある

リモートということで、良い機会なので、10日ほど山に籠もることにした。空気がきれいで、Wifiがあれば働けるし、今の住んでいるところよりもやっぱり静か。救急車の音も、ヘリの音もないきれいな場所は、睡眠の質をめちゃくちゃ上げてくれました。朝は陽の光で起きて、コーヒーを飲んで。夜はゆっくり過ごして、絵を書いたりして。過ごした。

8月の終わりにスニーカー?アート仲間?まぁ、変な縁の友人経由経由で、G-shockからアートの依頼がありました。なんか人生捨てたもんじゃないなって思ったのを覚えてる。

9月

- 自主制作映画を手弁当チームで作り始める
- G-Shockアート公開

7月からの流れで、コロナにも関わらず違う業界の人達に出会う機会が多かった。普通に仕事をしていたら、もしかしたらこの広がりはなかったとおもう。コロナなのにアクションを起こそうといいう人たちが多かったと思う。その中でも、現在活動中のホラー映画の制作チームはめちゃくちゃ勉強になる。手弁当で、チームでも年上の方なので、むしろ資金も出しつつ、学ばせてもらっております。特に、一連のプロセスが見られるし、プロジェクト進行のフォーマットや、新しい用語も知ることができるし、何より熱い、本気の人たちと関われるというのは本当に最高です。

10月

- 映画チームに誕生日してもらう
- ハーバード大学オンラインに入る

10月7日は誕生日なのですが、映画チームの中に偶然同じ誕生日の子がいて、その子は19歳で、妹ということになった。(アニメかよ)その子と、もうひとり、10月12日の人もいて3人同時にお祝いをしてもらった。久々に人にお祝いしてもらったので、嬉しかったし、サプライズだったから、ビビった。この月は本当に忙しかった。映画の制作準備もそうだし、11月に控える新商品のローンチが控えていて、バタバタしてました。

なのに、ハーバード大学のオンラインコースにはいったりと、何をしているんだ。という感じですが、今も時間を見つけては楽しく勉強しています。あとはやっぱりコミュニティがすごいな。と、改めて感じてます。

11月

- 新商品ラインをリリース
- 会社で組織変更がある
- 今年最後のやばいサプライズ(詳細割愛)

ようやく、このアメリカの文化に日本の文化を昇華、消化させたものをリリースできたのは感慨深くて、ライン商品なのでずーっと出し続けるもので、そこのプロデュースに関われたのはすごく良い経験になっている。というか、会社には感謝しかない。

リリースした商品はこちらから

ここで会社でも組織変更があって、「おーアメリカの会社だー」ってくらいのスピード感で色々と変わっていき、本当に勉強になってます。

最後のやばいサプライズは、書きたいけど書けないのですが、最高に落ち込みました。もうまじで、ビビったというか、ビビったを超えてもう完全に前にすすめることになりました。ちょっと割愛するなら中途半端に書くなよ!ってはなしですが、今後の自分のために記録として、残させせてください。

ただ、支えてくれた人には本当に感謝しています。

12月

- コロナの影響で撮影が延期になる
- ハワイで少し休憩

例の映画プロジェクトが、コロナの影響で撮影が延期決定。(そもそも9月スタートで12月スタートは早すぎる?笑)完成に向けて色々と戦っています。諸々、今年は世界も、仕事も、プライベートも、場所も動いたし、流石にちょっと疲れたので最後ハワイにいってきました。仕事もリモートでできるので、リフレッシュも兼ねて。観光客が少ないハワイは、すごいいい場所で、はじめてはじめてだったけど、すごく歓迎されている気がした。めちゃくちゃ休めた。

2020年の自分へ

LAにもどって、今この文をまとめてみましたが、改めて、まじで色々とあったなぁ。と、感じるし、対応してきた自分にも感謝している。とくに、仕事、プライベート含めて、人のつながりが大事だと実感できた一年だったし、支えてもらったことが多すぎて、これからどうやって返していけば、循環させていけばいいのかなとよく考える。どうにかして、人には還元していきたいし、更に学んでいきたいとも思うんです。

2020年はすごく普通でない世界だったけど、やっぱり結果楽しかったし、今までにない経験ができたし、世の中の価値観も変わってきたし、新しい世界に向けて動けた年だと思っております。

次の記事は、2020年の最初に立てた目標と、2021年の目標を書きます。

最後に・・・

ここまで読んでくださった方、ほんとにありがとうございます。いつもか、今回初見かは、残念ながらわからないのですが、本当に感謝しています。

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Daiki Nakata
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