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インド生活記4🇮🇳

すみません。タイムラグがありました。現在はオマーンのマスカット空港でこの記事を書いています。

インドの記憶を辿りながら書くとします。

インドで少し沈没しかけていたプリーを出発したのは夕方だった。
ここから約二日間かけて次の目的地「ハンピ」に行くことにする。電車に乗り、バスに乗り、何よりよく歩いた。1人というのはこんなにも心細いのかと、改めて実感するとともに、今自分は試されているんだと、心を鬼にして、とにかく話しかける。わからないことは聞く。別に騙されてもいい。何人もの人に聞けばそのうち答えは出てくる。世界中どこに行ったって悪いやつは悪いし、良いやつは良い。これは世界共通だと思っている。

結果としてはインドの人々は本当に優しかった。
みんなが親切に助けてくれた。
20時間の電車移動ではとにかく寝た。寝たと言っても爆睡には程遠く、うたた寝を繰り返すと言ったものではあったが。翌日に経由地チェンナイに着いた頃には、まだ此処か。という絶望とも不安とも取れない微妙な感覚になっていたのは記憶に新しい。そこから4時間後にはバスに乗らなくてはいけない。しかしバス停までは13㌔程度。もちろん歩く。結局インドで「リキシャー」と呼ばれる観光客が大好きな移動手段にお世話になることは1度もなかった。つまりその分は全て歩いたことになる。よく頑張った。我ながら褒めたい。こんなスタイルもあっては良いのではないだろうか。

さて、バスに乗ったは良いもののとにかく寒い車内。なかなか快適なのは良いが寒い。しかし、気にしていてもしょうがない。とにかく寝る。シャワーがこんなにも恋しくなったのはいつぶりだろうか。汗まみれになりながら移動するその姿は、まさに旅人そのものなのかも知れない。

そして出発から45時間が経った頃、ようやく「ハンピ」に到着した。小さな小さな村であるが、大きな石がそれ以上の勢いで私を迎え入れてくれた気がした。

少し休憩したのち「夕日」を見に向かう。もちろん徒歩で。なんだろうか。徒歩の方が自分の世界に入り込めて楽な気がする。気温は軽く40度を超えている。灼熱地獄だ。でもそれすらも何か歓迎の意味があるのかも知れない。やっとインドに来たとそんな気もした。

今思うと本当に親切な国だ。皆笑顔で話しかけてくれる。何かわからなければ、わかるまで教えてくれる。素敵な国なのかも知れない。そこから見る夕日はまるで今までの苦労を全て吹き消してくれるかのような素敵な光であった。

思わず1人でニヤケてしまった。大きな大地に横になってみた。もう汚れているとか気にしなくなった。汗をかいていようがどうでも良い。横になりたかった。

大きく息を吸い込む。そして思い切り吐き出す。「何をしているのか」「なんでこんなところにいるのか」そんなことを考える時間が長い分、こうやって思い切りリラックスできた。もうここまで来たのか。長かったような短かったような。

だが、今確かに私は自分の足で、自分の体を使ってこの地に立っている。この景色を見ている。これに意味などはない。しかし、ここまで来たのは紛れもない事実だ。それだけがいまの私を支え、奮え立たせる唯一の事柄なのだ。

そこにはどれくらいいただろうかあたりは暗くなって来ている。それでも動く気になれない。達成感のようで達成感ではないこの気持ち。まだエネルギーはある。そう決めた瞬間でもあった。

こんなに広大な景色の中、ここに立っている人間はこんなにもちっぽけだ。この景色からすればどんな人種でも、言語でも、関係ないのであろう。だからこそ、少し気にならなくなった。

こうして私はこの地を後にすることになった。その晩はあまりの暑さに眠ることができず、飯も食うことができず、次の日に体調を崩してしまったが、それもまた良い経験だと捉えたい。