ネパール生活記🇳🇵5
2日かけてここまで来たものの、まだ幻の国には辿り着いていなかった。時間が経つに連れて大きくなっていく不安。もしかしたら、騙されているのではないかという疑念までわずかに出て来てしまうところだった。首都カトマンズを出発してから今日が3日目。朝、きちんと確認すると、ここから1〜2時間で着くらしい。やっと現実味を帯びてきた。
長い時間をかけてきた道のりもラストスパート。もうここからは一瞬だった。何もない平野を駆け抜けるジープ。道は相変わらず悪いが、この時は気にならなかった。
もう草木はない。当たり一面が大地そのものだ。恐らく私の瞳孔は開きっぱなしだったに違いない。言語を覚えたばかりの子供のように「すげーーー」しか出てこなかった。
こればかりは文章では伝えられない。大きな大きな山と大地に囲まれた場所。その中に突如現れる生活環境。顔はまるで私たち日本人のような顔つき。馬やヤック、を扱い仕事をこなす。なんなのだここは。ネパールにいるのにネパールにいない感じがするのはなぜか。
空気は薄い。しかし、絶品だ。こんなにうまい空気は未だかつて吸ったことはなかった。見渡す限りの大自然。そこに立っている私はとてもちっぽけだ。こんなにも世界は広い。そして美しい。
圧倒的な景色というのをここ数日で何回も更新した。間違いなくここが今までの人生で断トツNo. 1の場所だ。
幻の国とはなんなのか。そこにはまだ手つかずの自然と、チベット文化が色濃く残る町並み。まだ解放されてから間もない小さすぎる観光産業が存在している。
どこを見渡しても山に囲まれ、綺麗な水と空気に触れられる。
私はさらに山の上にある、寺に向かった。こんなところに寺を作ること自体クレイジーなことだと思うが、ここにお祈りに来る人もまた然りである。
ただ、土地柄、やはり神聖な場所なのだろう。それは宗教について乏しい日本人にもわかる。彼らにとっては大事な場所なのだ。
そこで行われていたのは水を浴びるものであった。ただでさえ寒いこの地で、皆服を脱ぎ、水の中へ入っていく。日本でいう滝行のようなものなのかも知れない。しかし、そこには宗教の枠を超えた迫力があり、何を言ってるのか、何をやってるのかはわからないが、ギャラリーさえできていた。
この写真で伝わるだろうか。彼らもまた、この地に魅了され、長い時間をかけてここまできた同士なのだ。どこまでが観光で、どこまでが信仰なのかわからなかったが、彼らには彼らなりの「幻の王国」に来る理由があったのだ。
果たしてここが幻なのか、それとも私達が住む時間が幻なのか、現実なのか夢なのか。一言で片付けるのはあまりにも難しい話になってしまう。ただ2日半かけてきた甲斐があった。この地にいればいるほど何が幻かわからなくなる。
でもだからこそ、魅力的で幻なのかも知れない。
私は翌日、今見ている景色が現実なのか、夢なのか、それとも幻なのか考えながら、同じ道のりを帰る、危険なバスに乗った。
長い時間乗った車内で、揺られながら、風を感じながら出した答えは
まだ、そっと胸にしまっておく。