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アゼルバイジャン生活記1🇦🇿
大きな衝撃と、たくさんの暖かな気持ちを頂いたイラン旅があっという間に終わった。名残惜しい気持ちと、次に進まなくてはいけない気持ちが交差している。複雑に絡み合った気持ちは大きなエネルギーを生むのではなく、どこか気持ちを落ち着かせていた。
テヘランに着いたのは午後9時半のことだった。わけもわからない場所に降ろされるのは海外のバス事情ではもはや恒例行事になっている。今回もまた場所のよくわからない殺風景な場所に降ろされてしまった。
路頭に迷っている時間もない。私は深夜便に乗りアゼルバイジャンに向かわなくてはならなかった。幸いにも近くにタクシー乗り場があった。金も申し分ない程度には残っている。しかしテヘランの彼らは他の地域に比べてスレている。現地価格を知ってしまった私にとっては法外な料金を提示してくる。これもまた海外では必ずと言っていいほど体験し続けなくてはいけないことなのだ。いかに日本が整った国なのかがよくわかる。私は重いバックを抱えているのに加えて、尿を足したかった。彼らと交渉をしていても拉致があかなかったので私は一旦諦めてトイレに行くことにした。
「トイレはどこですか?」
「ない。」ニヤニヤ。
これが彼らのやり方か。私はそう思った。悔しい。違う人物に当たる。
「トイレはどこですか?」
「ない。」ニヤニヤ。
こいつもそうなのか。クソ野郎。
「トイレはどこですか?」
「ない。」
もう自分で探すしかなかった。辺りを駆け巡るアジア人。周りから見たら滑稽だっただろう。それでもこんな場所で小便を漏らすよりはよっぽどマシだ。私は必死に探し回った。
そしてそこにトイレは本当になかった。
仕方なく私は建物の隅で開放的な小便をした。隅と言っても大通りからは丸見えで大した物陰にはなっていなかった。
気分を取り直したタクシーを探す。タイミングよく一台が入って来た。交渉していると彼はシェアタクシーの運転手で空港方面には行かないという。そしてわざわざ知り合いを呼んでくれた。
そして来たのがいかにもガキ大将みたいな容姿の運転手だった。彼も最初は法外な値段を提示して来たが、彼の一声もあり、相場の値段に落ち着いた。私はホッとしながらタクシーに乗り込んだ。今思えばこれはタクシーではなかったのかも知れない。なんせタクシーという表記は一切なく、カラーも違う。おまけに内装はガキ大将好みのLED仕様。ただの友達だったのかとも思う。ただこれで空港までたどり着けると思えばなんでもよかった。
見た目とは違い彼はとても優しくフレンドリーであった。英語は兄全く話せないが身振り手振りで自分の経歴を伝えてくれた。
ただ、その見た目と同様に運転はまるでキ大将のような運転で私を空港まで走り届けた。
もし日本の法律がこの国で適用されていたら、この国の人は誰一人として運転免許を取得することができないであろう。仮に取得できたとしても、免許の剥奪はすぐに訪れる。それほどまでに彼らの運転は荒く、時に死を意識しなくてはいけないほど荒れ狂っていた。
彼に至っては時速150キロを出してから、なぜか音楽のボリュームをMAXにし、片手でタバコに火をつけ、空いた手で携帯をいじり、Instagramのライブ配信を始めてしまった。その勢いそのままに160キロを突破した時には思わず、日本語で
「前見ろよ!!!!!」と叫んでしまったくらいだ。彼は私を見て大笑いをしていたが、こっちからしたら笑い事ではない。全くふざけた野郎であった。
しかし、それもまた、私を楽しませるための1つの方法に過ぎず、彼は空港に到着するその瞬間まで1度も私を飽きさせることなく楽しませてくれた。これもイランの在り方なのだ。
空港に到着したのも束の間、私は早速搭乗手続きを行った。前回の一件もあった為、少し身構えてはいたものの、前回とは打って変わって一瞬で搭乗が済んだ。これで陸路の旅に無事復活が出来た。
深夜2時30に飛行機は光り輝くテヘランの街に別れを告げた。その瞬間に私のイランの旅は完全に終わったのであった。
アゼルバイジャンはイランの北側に位置する国だ。飛行機でも1時間半程度で到着してしまう距離だ。到着後ビザを申請する。日本人だけビザ代が無料なのは不思議な光景であった。他の乗客を颯爽と追い抜き、私は一目散にイミグレーションを抜けた。まだ4時台。ここで移動するのは安全面、交通面の観点から見て得策ではない。その為現地通貨だけ準備し、私はロビーで夜が明けるのを待ち続けるのであった。
太陽の起床がわかると、次第に外の様子が浮き彫りになる。そこには大都会ともいえる綺麗な街並みがそびえ立っていた。綺麗に整えられたアスファルト。紫色に輝くイギリス製のタクシー。私を歓迎してくれているのかわからないオブジェや。そこはまさに先進国そのものであった。
変わらないものもある。タクシーの客引きはここも変わらずに存在していた。もちろんそんな高い乗り物に乗れるはずもなく、私はバスで首都「バクー」の市内に向かったのである。
アゼルバイジャンの首都「バクー」日本人にはあまり馴染みのない国かも知れない。今までの国と比べると、観光客におけるアジア人が占める数が圧倒的に減少した。人も風景もそこはまるでヨーロッパだ。私は発展し過ぎているこの街に気まずさを覚えた。なんせ格好も小汚く、今までのようにどこか適当に座れるような場所もない。煙がわんさか溢れ、店の前で豪快に作り上げるローカルフードもない。野良犬の姿も少なく、もちろん牛や馬などはこの街にはいないのだ。そこにいる誰もがお洒落をし、その街を彩る。足元を見てもビーチサンダルを履いているのは私唯1人であった。
ただその街の首都を見るのはその国を見るのにとても重要な役割がある。だからこそすっ飛ばしてはいけない気がした。
街並みとは裏腹に宿は激安だった。こんなに綺麗な街の中だからこそ、その安さは目立つ。1泊300円程度の宿はとても綺麗で何不自由なく生活ができる設備が整っていた。
私は宿に着くなり、イランでの思い出を頭の中で整理しながら休めることのできなかった身体を休めることにした。
この日もまた、すぐに夢の世界に連れていかれた。