普通に生きたい?

みなさん、こんにちは。NAKASHIです。

最近はPSvitaでスパロボばかりしていたところ「脳内が情報過多になるから疲れやすいんだ!」と叱られることが増えました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
前回公開の骨折にまつわる記事もスキ!の数はともかくそこそこ多くの人に読んでいただけたようです。ありがとうございます。
ゲームばかりしているよりは健康的かとも思いますので、noteを再始動させてみます。

「普通に生きたかった」

最近Twitterの相互フォローになってくださった某フォロワーさんの話。

発達界隈からの繋がりで相互になってくださったようですが、最近
「普通に生きたかった。特技とかはなくていいから、人並みレベルの大学に通って、仲が良い友人を得て、安定した就業ができて…という人生を送りたかった。」
というような趣旨のツイートをして、多くの共感を呼んでいました(特定などを回避するためあくまで趣旨)。
一方少ないながら言いがかりをつけられたり、嘲笑したりするような反応があったりしたようで…なんだかなぁ…という気持ちにはなりましたがとりあえず今回はこの辺の経緯はスルーしましょうか。

この話から私が感じたことを並べてみます。

「普通」を渇望する

まず、この方の気持ちはすごくわかるというか、かなり理解できると思います。

発達界隈にいる我々は、多くの人々が発達障害の当事者。未診断やグレーゾーンも含めればかなりの人数でしょう。そしてその多く…というかほとんどの人が、何かしらの形でコミュニティからはみ出すことになった経験をしているはずです。大なり小なり。そりゃ「普通」に憧れます。コミュニティで無難に平和に幸せにやっていける環境や能力に惹かれるのはおかしいことではありません。

私のように学生時代から数々のコミュニティでトラブルに見舞われて、その度に戦って…という生き方をしていた方々も、ひょっとしたら少なくないかもしれません。そんな生き方をしていると「『普通』によってもたらされる安息の場所があるかもしれない」…と、ふとしたときに「普通」に憧れた瞬間も、一度や二度ではないと思います。これが「普通」を渇望する、ということです。

「普通」とは?

ところで…「普通」ってなんでしょうか?こう思われた方は少なくないと思いますし、私もそう感じました。
文脈から前提を引き出すと
・発達障害とは無縁である
・人間関係やキャリアで悪目立ちせず、悩みを抱えていない
…と、発言者の方にとっての前提はこんなところかなぁと私は予想します。

「発言者の方にとっての」というのは「普通」を渇望する我々であっても、それぞれ求める「普通」は様々であるという前提から踏み込んだ結果です。

例えば、多くの友人に囲まれて慕われるコミュ力を備えたトップオブ陽キャを「普通」の前提に据えるケース。
あくまで目立たない、コミュニティにおけるモブでいいからとにかく安全な立場を「普通」とするケース。
友人なんていらないけど、自分が満足できる世界を誰にも邪魔されずひたすら維持できる環境を求めるケース。

…などなど、様々あるかとは思います。今回は、先程の文脈から予想した前提で話をしてみます。

結局つまらなくなりそう

いきなり前段階での話をひっくり返しますが、私はあまり「普通に生きたい」と思っていない人です。「たまに憧れることがある」と話しはしましたが「たまに」であって、それ以上にはなりません。

私だけでなく発達障害の診断を受けた人々は、無意識のうちに自分の内面に向き合う習慣を身に着けている場合が多いように思います。

さて、コレが発達障害と無縁の生活になってみるとどうでしょうか。

特に世の中の大きな流れのことなんか知ることも知ろうとすることもなく、目の前の課題や人間関係だけをこなしながら、まぁ…地元のそこそこの大学(私の地元鹿児島からですと、鹿児島大学とか福岡大学とか、例えばそのへん?)でもテキトーに卒業して、教員か公務員にでもなりながら、特に悩むことなく結婚して、面倒だけど子供作って育てながら老いていく…

…と、例えばこんなところでしょうか(あくまで例に過ぎません)。

別に茶化す気はありませんし、この生き方に憧れる人もいるでしょう。私にもひょっとしたら、こんな生き方があり得たのかもしれません。
特に何かを知ることも意識することもなく、ひたすら自分の周りの幸せを求めて守っていけばいい。

アリだと思います。

しかし…

私はこの生き方をするには傷つき過ぎたかな。
わけがわからない家族に振り回されながら、望まぬまま引っ越しを繰り返して、行く先々で人に疎まれて…

という生き方をして、もう普通の生き方で割に合うと思えなくなったようです。

「そもそもそんなに苦しむことがないほど、発達傾向が大きくなくて、周囲ともうまくやりながら幸せになって、まぁそこそこの暮らしができるような『幸せな健常者』になればあなたのようには考えない!」

…みたいなご意見の方もいるかもしれません。

…そこまでの健常者になると、もはや自分自身じゃなくなってるような気もしちゃいます。

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